箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

新聞の役割

2019年10月26日 14時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ




新聞は、事実を報道する役目があるのはもちろんです。

新聞を読んだ人は意見や感想をもちます。

それが集積されると、「世論」になります。



10月20日の毎日新聞には、次の記事がのっていました。


台風19号で避難所生活を送る被災者は、19日午前11時現在で4646人にのぼる。

今も1000人以上が避難している長野県では、記者自身も家族と避難所へ身を寄せた。

だが、そこは必ずしも安心が得られる場所ではなく、結局は自宅へ引き返した。

避難所といえば「体育館で雑魚寝」が定番だが、その環境は国際基準に照らすとかなり劣悪と指摘される。

このままでいいのか、震災の避難所を取材した経験のある記者と共に探った。」



たしかにこの記事は、事実を報道しています。

しかし、この新聞には別のページにも関連記事として、「雑魚寝が問題だ:」と続いていました。

わたしは、その新聞を読んでいて、記者の恣意的な意図を感じました。

つまり、避難所での雑魚寝を問題化しようという意図を感じました。

記事を読むと、雑魚寝は問題だと、わたしも考えます。

しかし、いまこの時期に避難所での雑魚寝を問題にすべきでしょうか。

避難所が周りを気にしたり、寝にくい体育館のフロアで休んでおられる苦労を思うと胸が痛みます。

しかし、行政も鋭意努力しています。

その取り組みの結果、やむをえず雑魚寝で我慢してもらっているのです。

新聞は、行政の必死な対応の様子も、事実として報道すべきです。

災害対策として、多くの自治体は学校を避難所に設定しており、今後どこかで災害が起きて、人びとが避難するとき、雑魚寝が予想できます。

いま、雑魚寝をしなくてすむ避難所を設置しようとすると、莫大な予算がかかります。

問題にするだけで、あとは行政が雑魚寝しなくてもすむ避難所を用意しなさいという新聞を発行する側の無責任な態度を感じます。


新聞は、避難者のために行政も必死で取り組んでいることも報道すべきです。

その上で、今後、雑魚寝をせずにすむ避難所の運営を展望するのであり、それが公平な報道であると言えるでしょう。

しかし、今回の報道は、雑魚寝をピックアップして取り上げ、それだけを問題化して世論を形成しようという意図が透けて見えてきます。

まして、今はインターネットの時代です。

一面的な事実の断片と取材を切り貼りして、拡散することにネットは長けています。
 
そのようなネット環境の中に人びとが置かれているという点も、新聞を出す側はふまえなければなりません。


公的な新聞が、意図的に避難所の不備を煽るような記事を載せていることに危惧をいだきます。

わたしのような教育関係者は、子どもへの影響をやはり考えてしまいます。

中学生がこの記事を読めば、「避難所ってひどいんだ」という一面的な印象をもってしまうかもしれません。

子どもには、さまざまな角度から報道された資料をもとに、自分自身の考えをもってほしい。

そのためにも、新聞は多面的に、公平に、客観的に事実を伝え、読者の判断に委ねるという報道メディアであってほしいと考えます。