私は学生の頃、英語が好きで、大学も英文科に進学しました。
その当時は、グローバル化という言葉はまだ聞かず、国際化という言葉がよくつかわれいました。
そして、「国際化に向けて、『国際人』とは」というテーマで、大学ではディスカッションを英語でしていました。
その後、教員になってから、講演で落合恵子さんの話を聞きました。
私はその話に深く納得したことがありました。
「国際人とは英語が話せるだけではありません。英語を使い、相手の背景を理解して対等につきあう人権を尊重する人のことです」
私は感銘を受け、深く納得して、その教えを受け、私は英語の教員として、機会あるごとに中学生に話してきました。
「英語を使うとき、相手の多様性を理解できる人になってください」と言ってきました。
そして、世界はいまやボーダレスが進み、グローバルの時代へと変わってきました。
校長のとき、かなり多くの3年生が、「将来、英語を使う仕事をしてみたい」と意思表示をしていました。
世界共通語として、英語はたしかに便利な言語です。
世界で英語を母語としている人々は、約2割です。
それ以外の人びとは、英語以外の言語を母語としています。
ところが、違う言語を母語とする人どうしが会話するときには、共通語として英語を使う場合が圧倒的に多いという現状があります。
したがって、「地球市民」として、日本人も英語が使えるほうがいいというのは、その通りです。
グローバル化が進み、アメリカの「一国化」が進むなか、英語はコミュニケーションをとるのに、必要不可欠なツールです。
でも、言葉は意味さえ通じればいいのではありません。
言語の背景には、民族、宗教、社会と密接に繋がった文化があり、そこまでを理解しないと、本当の意味でお互いのことが理解できたとは言えないでしょう。
相手の文化を知るには、早いにこしたことはありません。
おとなの偏見や刷り込みが入る前に、学生のうちから直接顔を合わせて、交流することで、文化のちがいや考え方のちがいに触れることで、相手を理解し、対等な関係のパートナーとして、育ってほしいと思います。