箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「それを言ってもOK」の学校に

2021年01月07日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いま、日本の学校教育では、児童生徒に身につけさせたい力の一つとして、「合意形成力」があります。

コロナ禍により、いまは外国人が日本国内への入国には制限をかけていますが、グローバル化は、今後も変わらない時代の流れです。

グローバル化では、異なった文化、考え方、価値観、宗教観をもつ人とつきあっていくときに、合意を形成し、相手との多様性を尊重しあい、ともに暮らしていく必要があります。

ただ、日本人が合意をつくるというとき、欧米の合意形成のつくり方とはちがう捉え方をしていると、わたしは考えます。

対立し合う意見や考え方を聞いて、その中間をとって、「まあまあ・・・」と折り合いをつくり出すのが合意を形成することであると曲解しているように思います。

そもそも、欧米の人びとの議論の仕方が日本人のそれとは違います。欧米では、バズセッションという活動があるように、ワイワイ、ガヤガヤと議論をします。

たとえば、新型コロナウイルスについて、

ある人は「インフルエンザの少し強い程度ものだ」という人もいますが、「感染拡大が広がると怖いウイルスだ」という人もいます。

また「環境破壊が続いているので、COVID-19のあとには、また別のウイルスの時代が来る」という人もいます。

これらを、まるで口論しているように激しく議論しますが、それが欧米での普通の議論です。

日本人がもし、この議論の場に居合わせたら、言い合いをするのも、聞くのも苦手で、「まあまあ・・・」と仲裁するのではないでしょうか。それが日本式折り合いのつけ方です。

でも、おもに欧米で行われる議論は、意見や考えをはっきりとぶつけ合い、ときにはケンカになりますが、後に引きずらず、お互いに機嫌を直し、人間関係にひびが入ったりしないのです。

それによりお互いの考え方に触れることができたという満足感が残るようです。

対立することを恐れず、はっきりとものを言い、その上で折り合える一致点を見つけるのです。これが、本当の意味での「合意形成」です。

日本国外では、コミュニケーションというものはもっと激しく脈打っているのが常なのです。

ところで、いま、世界には「民主主義」とは相いれない「権威主義」が伸びてきています。

中国では、国家が国民を統制し、個人が発する情報を集めて、規制します。国家の権威で、国の方針を進めるような状況であると言われます。

いっぽう、日本や欧米が維持している民主主義は、手間がかかります。

多数決で決めるだけでなく、少数意見も尊重して調整するので、時間もかかります。

ですが、自由や人権は、人間として生き方や尊厳にかかわるため、長い目で見る必要があります。

こうして、人びとは民主主義を維持発展させようとするのです。

民主主義に不可欠なのは、議論することです。

「それを言うと友だち関係が壊れる」と他の子に同調する圧力が強く働きがちな日本の学校です。

はっきりとものを言わず、人にあわせていくことを続けていると、みんなが納得のいく合意をつくることはできないのです。

「それを言ったらダメ」という学校から「それを言っても大丈夫」という学校に変えていかないと、民主主義を育てて、発展させていくことはできないのです。



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