教師とは「教える人」です。「教えること」が仕事であるがゆえに、教師は生徒に関する問題が起こると、指導をしたくなります。
「だめだろう。あなたの考えはまちがっている」
しかし、その指導は、どこまでも「正論」です。
子どもは正論を突き付けられると、何も言えなくなります。口を閉ざすばかりでなく、心を閉ざします。
そうならないためにも、教師は生徒の問題行動が起きたとき、指導は必要ですが、自分の発言は少なくして、まずは生徒の言葉に耳を傾けます。
たとえば、ある生徒が万引きをしたとします。
ポツリポツリ語るなかで、家庭でのきょうだい関係での不満が出てきたり、学習で成績を上げなければならないという抑圧を吐露する子がいます。
生徒の言葉を聴いているうちに、「なぜこの子はこのような問題を起こしたのか」がわかってきます。
「そうか、そういう気持ちだったんだな。つらかったな。話してくれてありがとう」と、返します。
今の子どもは、自分の悩みや葛藤を誰かにしっかりと聴いてもらったという経験が不足しています。
人は、誰しも、自分の苦しい気持ちや悩みをわかってくれる人と出会ったときに、自分がどうしていくべきかを考える出発点に立てるのです。
教師がしんどい気持ちを受けとめてくれた。自分がなぜ問題を起こしたかを、自分自身で理解できます。
そのとき、はじめて「悪かった」という反省の気持ちが出てきます。
どうするべきかも、自分で考えることができるようになります。
これが、本来の「生徒指導」の本丸です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます