孤独について私が考えていることを書きます。
アメリカのアーティストJ.D Souther(J.D サウザー)の1979年の曲に「You're Only Lonely」という曲があります。
「あなたがひとりぼっちで孤独なとき」という意味でしょうか。
また、日本の楽曲にも孤独をタイトルにしたものがあります。1991年に発表したZARD(当時はZard表記)の「Good-bye My Lonliness」です。「わたしはひとりにさよなら」という意味の歌詞が続きます。
さてこの「孤独」には、英語でsolitude(ソリチュード)とlonliness(ロンリネス)があります。
solitudeは望ましい孤独、lonlinessはどちらかというと有害な孤独になります。
前者は、人との接触や会話に疲れたとき、一人になりたいという感覚です。
一人になって仕事や作品づくりに打ち込みたい。休息や休暇を一人で謳歌したい。
いまはやりの、ひとりランチやひとり旅などはそれの延長上に位置づく行為です。
これは決して悲観的な孤独ではありません。というよりは望ましい状態ではないかと思います。
このsolitudeという孤独は、自分で選んで求めることができるという選択性があります。
しかし、後者のlonlinessは、いまでは精神的にも身体的にも疾患リスクを高めるということが明らかになった、有害な孤独です。
他者とのつながり、人間関係に乏しい、あるいは人間関係から隔絶された状態、突き進むと「孤立」になるのがlonlinessという孤独です。
だれかとつながりたいのだけれど、適切なだれかがいない。選択せずして一人ぼっちに追いやられた場合、その人には苦しみが沸き起こってきます。
そうなると、人づきあいにますます消極的にもなりがちで、さらに孤独が深まり、心身の不調にいたることもあるのです。
福祉の分野では、いま行政は住民の孤独対策・孤立対策を迫られていますが、独りぼっちを防ぐときに、lonlinessとsolitudeを区分して、人間関係の選択性・自由性を施策や事業にどう織り込み孤独・孤立を防いでいくかを検討しなければなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます