最近は減ってきていますが、メディアがマイノリティの窮状を伝える記事を書くとき、取り上げる視点が「かわいそう」とか同情をさそうようなタッチになることがあります。
たとえば、これだけこの国は貧しく、食べるものに事欠き、飢えに苦しみ、子どもたちが痩せ細っている。かわいそうに。支援をしてあげましょう。
わたしは支援が必要ないとは言っていません。支援をするときの視点が問題だと思うのです。
この「かわいそう」や「同情」というあわれみで当事者が抱えている問題の解決にはならないと思います。
「〜してあげる」というとき、わたしは上から下にいる人にほどこすという上下関係も感じとるのです。
飢餓の問題は世界のしくみの問題です。あわれみや同情で解決するものではありません。
世界の人びとは対等な関係で支援をする、支援を受けるという援助関係が成り立つべきです。
まして、メディアが人びとに与える印象は大きく、人びとの見方・考え方を固定化する危険があります。
学校で人権教育を進めるときも、同情や「かわいそう」という心に働きかけるだけでは不十分です。
問題を社会の問題と見抜き、問題を解決するため社会を変えるという視点での行動につながる学習をねらいとするのです。
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