わたしは、何度か卒業する中学生に、
「過去がすべてである。卒業という節目では、よく未来や将来の夢に向かって、といいますが、みなさんは過去こそを大事にしてください」
と言ってきました。
その意図は、過去にこそ意味があるという考えに基づいています。
未来は今からはじまる、まだゼロの状態である。
その意図は、過去にこそ意味があるという考えに基づいています。
未来は今からはじまる、まだゼロの状態である。
中学3年間で学習や学校行事、部活動などにいそしんできた、友だちとのたわいもない会話に胸が弾んだ。悩んだ日もあった、
学校に来にくい日があった。苦しんだ日もあった、でもその3年間をくぐってきて、いま卒業の機会を迎えている。それらすべてのこと(過去)に意味がある。
その体験は人生の宝です。
このような根拠により、過去にこそ意味があると教えてきたのです。
その考えは、今でも変わりません。もし卒業する中学生がいるなら、同じことを語るでしょう。
ただし、過去を大事にすることと、過去に執着することはちがいます。
たとえば、結果にこだわり、
このような根拠により、過去にこそ意味があると教えてきたのです。
その考えは、今でも変わりません。もし卒業する中学生がいるなら、同じことを語るでしょう。
ただし、過去を大事にすることと、過去に執着することはちがいます。
たとえば、結果にこだわり、
「あのときに、ああすればよかった」
「あの子に『好きだ』と言えばよかった」
「あのときに決勝のゴールをきめていたら」
などこだわりをもって過ごすと、それは自分で悩みを背負うことになります。
そのような悩みからは、何も残りません。
やるだけやったなら、過去を捨てて、それこそ未来に向かって羽ばたくことができます。
これから飛び立とうとするハトが、「いや、地面にまだ餌が落ちているかも」と思っていたら、大空で羽ばたくことはできません。
人はやるだけのことをやっていないから、いまに満足できず、過去に執着してしまうのです。
そのような悩みからは、何も残りません。
やるだけやったなら、過去を捨てて、それこそ未来に向かって羽ばたくことができます。
これから飛び立とうとするハトが、「いや、地面にまだ餌が落ちているかも」と思っていたら、大空で羽ばたくことはできません。
人はやるだけのことをやっていないから、いまに満足できず、過去に執着してしまうのです。
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