五感とは視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚をいいます。
体は外からのそれぞれの刺激を受け取り、その情報を脳に伝え、脳がその情報を理解するしくみになっています。
この経路のどこかで、過剰に反応するのが感覚過敏です。
とはいっても、この五感の受信のしかたは人によって大いに個人差があります。
音楽家と言われる人は聴覚が敏感かもしれません。
シェフは味覚が鋭いかもしれません。
つまり、感覚の過敏さには個人差があるのですが、学校生活や日常生活に支障が出るような程度になると、感覚過敏の子となります。
・学校の騒がしさが苦手で頭痛を感じる(聴覚過敏)
・蛍光灯の光がまぶしいと感じる(視覚過敏)
・学校の給食を食べにくい(味覚過敏)
・ズボンをはく肌触りを気持ち悪いと感じる(蝕覚過敏)
・柔軟剤を使って洗濯した服の香りで気分が悪くなる(嗅覚過敏)
・学校の騒がしさが苦手で頭痛を感じる(聴覚過敏)
・蛍光灯の光がまぶしいと感じる(視覚過敏)
・学校の給食を食べにくい(味覚過敏)
・ズボンをはく肌触りを気持ち悪いと感じる(蝕覚過敏)
・柔軟剤を使って洗濯した服の香りで気分が悪くなる(嗅覚過敏)
などがその一例です。
学校はたくさんの児童生徒が集う場であるので、なかには感覚過敏の子がいる場合があります。
まわりの人の無理解で、「気にしすぎだろ」とか「給食食べないと大きくなれないよ」と言われても、本人にとってはがまんできるレベルではないのです。
感覚というものは人の目に見えないので、子どもがどんな感覚で困っているかを理解するのは難しいのです。
理解しようとする教職員と出会えた子はさいわいです。
心得た知識のある教職員なら、デジタル耳栓をしてみることをアドバイスしたり、給食をやめてその子にお弁当をもってこさせるような対応ができます。
心得た知識のある教職員なら、デジタル耳栓をしてみることをアドバイスしたり、給食をやめてその子にお弁当をもってこさせるような対応ができます。
さらに他の児童生徒との関係を考慮し、必要な説明をしてくれます。
「みなさんの中には、学習がちょっと苦手な人、運動が得意でない人もいます。
同じように○○さんは、食べることが苦手です。
お医者さんと話し合って相談して、今日からお弁当をもってきて食べます。
〇〇さんの食べる様子は先生が見ます。だからみんなは気にしなくてもいいからね」
このような言葉で本人は気が楽になります。これで学校が楽しくなることもあるのです。
考えてみれば、一つのクラスを担任するとなると、通常は30名以上の児童生徒がいます。
その子たち一人ひとりに目を行き届かせ、必要な子には必要なかかわりをもち、どの子も大事にする。
どの子も自分が大事にされていると感じていれば、「○○さんだけ先生から特別扱いされている」というような不公平感はクラスメートから生まれにくいのです。
どの子も自分が大事にされていると感じていれば、「○○さんだけ先生から特別扱いされている」というような不公平感はクラスメートから生まれにくいのです。
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