少し前まで、休みの日は誰かと会う、おすすめのスイーツを食べる、はやっている映画を見る・・・・。
このような過ごし方で、「リア充」を求める生き方をしてきた人もいると思います。
しかし、コロナ災禍はそのような過ごし方を覆しました。
コロナ災禍で社会や生活は停滞し、「お預け」になったのでした。
2020年の感染が始まった1月、2月頃には「1年ほど続くのかな」と考えた人も多かったのではないでしょうか。
わたしもそう思っていました。
いまはがまんして終息したら、前のような生活が取り戻せる。
しかし、アフターコロナの時代になっても、コロナ以前の社会や生活にまったく同じように戻ることは、もうないのではないかと思います。
出社して仕事をするのも、職種によりますが、必ずしも必要でなくなりました。
外国の人と交流するのには留学するというスタイルが、オンラインでできるようになりました。その便利さを覚えました。
オンラインで相手の顔や声をリアルタイムで見たり、聞いたりする便利さを覚えました。
マスクをするのが当たり前になり、初対面で人と出会うときは相手がどんな顔をしているのかは半分しか見えません。
親しくなってから、やっと顔の全貌や表情を見ることになります。
大阪では、2020年の最初から数えると、およそ半分以上の日数が緊急事態宣言またはまん延防止重点措置がとられていたことになります。
制限された生活が非日常とは思えないようになりつつあります。もはやどちらが日常でどちらが非日常かわからないほどです。
私たちは、爆発する感染者数の知らせを聞きながら、その状況に合わせ、なんとか適応していく術を学んでいます。
コロナとの「戦い」が長期戦になるほど、人は、その人なりの軸をもつ必要はあります。
軸とは、いろいろと変化に合わせていさなければならないけど、「これだけはゆずれない」というものや価値を、それぞれの人が大切にしていくことす。
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