この頃の寒さが増す夕暮れの夕焼けは、しみじみとその美しさを増すように思います。
空気がピンと張り詰め、オレンジ色も心なしかその色を増すようにも思います。
さて、日本では19歳以下の自殺者の数は、1998年(平成元年)以降で最も多くなりました。
さて、日本では19歳以下の自殺者の数は、1998年(平成元年)以降で最も多くなりました。
コロナ災禍も関係しているのかもしれません。
これは他の諸外国では見られない傾向です。
なぜ、日本では若い人が生きづらいのでしょうか。
死に急ぐ若者がよく口にするのが「生きている価値がない」です。
わたしは、よく教職員に「いまの中学生は自分に自信をもてない子が多い。だから、自分も周りに役立つという実感を深めるようサポートしてください」と説いてきました。
中学校の職場体験学習などは、仕事を体験して、お客さんから「ありがとう」と言ってもらったり、お店や事業所の人から「よくやってくれた。助かったよ」と言ってもらえます。
それが中学生の役立ち感を高めることになり、自分も将来社会に貢献することができるという実感をもち、自分への自信を高めることにつながる。
このように説明してきました。
それは真実ですが、では役立ち感を感じずに学校へ戻ってくる生徒にとって、職場体験は無駄なことだったのかといえばそうではありません。
自分が働く主体として、人として生きていくことを経験するだけでも大きな意味があるのです。
しかしいまは、過剰なほど世間や社会が若い人に「まわりや社会に役立つ」ことを求めすぎているのではないでしょうか。
文科省も、経済産業省の要請を受け、society5.0社会を見据え、学校教育に社会に役立つ人材の育成の役割に重きを置いています。
でも、人間は社会に役立たないと生きていてはダメなのでしょうか。
これは他の諸外国では見られない傾向です。
なぜ、日本では若い人が生きづらいのでしょうか。
死に急ぐ若者がよく口にするのが「生きている価値がない」です。
わたしは、よく教職員に「いまの中学生は自分に自信をもてない子が多い。だから、自分も周りに役立つという実感を深めるようサポートしてください」と説いてきました。
中学校の職場体験学習などは、仕事を体験して、お客さんから「ありがとう」と言ってもらったり、お店や事業所の人から「よくやってくれた。助かったよ」と言ってもらえます。
それが中学生の役立ち感を高めることになり、自分も将来社会に貢献することができるという実感をもち、自分への自信を高めることにつながる。
このように説明してきました。
それは真実ですが、では役立ち感を感じずに学校へ戻ってくる生徒にとって、職場体験は無駄なことだったのかといえばそうではありません。
自分が働く主体として、人として生きていくことを経験するだけでも大きな意味があるのです。
しかしいまは、過剰なほど世間や社会が若い人に「まわりや社会に役立つ」ことを求めすぎているのではないでしょうか。
文科省も、経済産業省の要請を受け、society5.0社会を見据え、学校教育に社会に役立つ人材の育成の役割に重きを置いています。
でも、人間は社会に役立たないと生きていてはダメなのでしょうか。
そんなことはありません。人は生きているだけで尊いのです。
生きていて、周りの風景を見て、きれいな夕焼けを見ることができる。そのような生きている価値に気がついてほしいのです。
周りの大人は、もっと「今日の夕焼けはきれいだったね」「彼岸花が燃えるように咲き誇っている」「星が降るように見えている」・・・のような言葉を中学生にかけるのです。
自然や動物・植物など、この世界のすべてのものを見たり、聞いたり、感じたりする。
それらの対象物と自分との関係の中で自分が生きていることを感受するのです。
周りの大人は、もっと「今日の夕焼けはきれいだったね」「彼岸花が燃えるように咲き誇っている」「星が降るように見えている」・・・のような言葉を中学生にかけるのです。
自然や動物・植物など、この世界のすべてのものを見たり、聞いたり、感じたりする。
それらの対象物と自分との関係の中で自分が生きていることを感受するのです。
桜が満開な中、正門をくぐると、桜が「いらっしゃい。入学おめでとう」と、満面の笑みでささやいているように感受する。そのような関係性の中で、自分が生きていることを味わうという感覚です。
自然だけではなく、心がいろいろなしがらみから解放され自由であるという実感も生きている価値を味わえると思います。
生きるということはそういうことだと思います。
自然だけではなく、心がいろいろなしがらみから解放され自由であるという実感も生きている価値を味わえると思います。
生きるということはそういうことだと思います。
世の中には数えきれない職種があります。
自分が生活設計をどう考えるかというのが現実的です。
可能性の薄い物を空想するのが「理想」ですが成功率は非常に低い。
従って、夢ではなく限りなく成功に近い「目標」を見つけることだと思います。
それを手助けするのではなく「助言する」ことが大事な気がします。
例えば、学力に不向きな子供が寿司職人の弟子となる。
苦節10年後にはおそらく自分の力で生きて行けます。
そこで、考える次の一手は日本一になるのか?
成れなくても人より優れた味と技術を出せるまで頑張るのか?
自分の城となるお店を出すまで頑張るのか?
いやいや目標は更に大きく、努力して全国に50店舗を持つのか?
こうなると経営学です。商売の基本は何処にあるのか?
PDCAサイクルの活用だろうと思います。これの繰り返しが有効?
Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
Do(実行):計画に沿って業務を行う。
Check(評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを評価する。
Act(改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて改善をする。
これらは学校では教えてくれません。人間は学力ではなく
生きていく術をどう理解するかを子供達が解ればよい事です。
やはり重要なのはどういう職業で一生を終える事が出来るか?
これが基本でないと全く意味がないと思います。
自主独立の起業型か?一生雇用される企業戦士となるか?
どちらを選択しても正解です。また、どの位置で活躍するか?
或いは、日本か?世界のどこかで活躍するか?
最近の若者は、依頼心が強く、他人依存型と指示待ちが多い。
人生は自分で切り開くエネルギーと努力を発揮できる人間形成が
大事な様に思います。また、視野が狭せすぎる気がします。
それが「生きることの意味です」
子どもには、それぞれに持ち味があると思います。負けずぎらいな子もいれば、のんびりした子もいるように。
その持ち味をいい味わいにするのは、「あなたはあなたのままがいい」と、親がほんとうに思ってあげることです。
子どもに努力を強いるのではなく、親がそう思えるように努力するのがまずは大切だと思います。
その承認があるからこそ、子どもは安定すると思います。
でも、色々と心配なことがあると、最終的には存在してくれているだけでいいと思います。
時々、そこに立ち返ることをしないと、親のエゴを押し付けちゃうことになると、自分に言い聞かせてます。