Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

小諸旅行

2014年06月05日 10時06分00秒 | 旅行


待ちに待った、温泉旅行に行く
まずは小諸城址懐古園*¹ へ。


道は渋滞もなく すいすい
途中、首長竜みたいな形の雲


小諸懐古園には「イロハ英男ガッパ」というのがいて
身体の悪いところをなでると良いというので
腰のあたりを なでなで した。

先日、
妊婦さんのおなかを なでなでさせてもらったが
想像以上に気持ちよくてクセになりそうだ。
なので、別の妊婦さんのおなかも なでなでさせてもらう約束をした。
良いことがありますように❤



ツツジがとてもきれいでした。

懐古園を出て、
次には布引観音*² へ
あんな断崖絶壁に観音堂があります。

このスポットにたどり着くのさえ、大変だった。
これ以上登るのはやめました。

宗教建築物はクレイジーだ。
「ここまでしないと、救われない」
修行だ修行だ!!
…的な感じを受ける。

それは古今東西、共通しているように思う。

不幸から救われるための信仰だろうに
信仰のために、わざわざ不幸を増やしてるような気がします。







「死の欲動」*³ という本を読んでいる。
著者は精神科医 熊倉伸宏
その中に、「悪性の運命」について書かれているところがある。

患者ではない正常な人の中に
決まって同じような不幸を繰り返す人達がいるという。
当人は単なる不幸と思っているが
実は不幸な運命を内的理由から反復脅迫している場合がある。
快楽の見込みのない過去の体験を好んで反復するのである。
これは反復脅迫と快楽原則の比較の中で、挙げられた事例だが
反復脅迫は快楽原則と対立し、より「蒼古的」で「悪魔的」だと書かれている。*⁴

はっきりと説明はできないが、
古来からの信仰や宗教と、この「悪性の運命」は
どこかで繋がっているような気がしてならない。

人はそもそも、そんなに幸福にはできていないのではないか?
まぁその価値判断さえ私の傲慢かもしれませんね。

この本はもうすぐ読み終わるが
死の欲動に取り憑かれた人に対して
「このようにしたら良い」などといった
結論は書かれていない。

試行錯誤しながら生きていくしかないのである。

温泉旅行の話でしたよね…



*1 小諸懐古園 http://www.city.komoro.lg.jp/category/institution/kouen/kaikoen/
*2 布引観音 http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1248916342456/index.html
*3 死の欲動―臨床人間学ノート」熊倉伸宏  新興医学出版社 (2000/05)
*4 引用 p.107より




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