Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

ヒーローは要らない

2016年11月22日 08時30分23秒 | 映画


カリンが届く
一気に部屋中が良い香りに包まれた。

ほっとします。

匂いは目に見えず、感じるたぐいのものだけど
「護られてるな私、良かった~( ̄。 ̄;)」としみじみ。

実は、最近TVで横溝正史原作の映画が立て続けに放送されたのを
録画したので、
先日の夜、飲みながら一人で観た。

渥美清が金田一をやっている昭和52年の作品
怖くてタイトル入力できません!!

後半、「怖ぇ~…」と思いながら観ていたら、
隣の部屋でスリープさせておいたパソコンが急に立ち上がったり
キッチンのあたりでパチ、パチっと変な音がした、したよね? 今してるよね!!((((;゜ロ゜))))
それがしばらく続いたり。
腰が抜けました!

冷静に、
キッチンの音はきっと冷蔵庫が氷を作ろうとしているのだ、とか
パソコンは、ちょっとわかんないけど、あるある こういうこと、と流したが
いやな感じが続いていたので
カリンがとても有難かったわけです。





私は、
祟りやその類いの伝承話しは「迷信」ではなく「有り」だと思っている。
人間の世界だから有り、なのだ。
人は、気持ちと視覚が結びついて、実体のないものに「何か」を見てしまう。
そんなものにすっぽり支配されたり、逆に利用したりもする。
思い込み、と言えばそれまでだけど、
その思い込みで以て、綿々と人類の歴史は続いているのではないだろうか?

絵を描いているとつくづく思う

絵画の世界もそれらに限りなく近いと。

だから容易に「持ってかれないように」したい。
映画から学ぶことは多いが、それは
疑似体験という警鐘なのかもしれません。






ところで この映画では、
渥美清の金田一がとても良かった。
服装が普通だし(笑)

これを見たら、もう他の金田一が見られません。

定番の帽子、袴、マントとボサボサの髪型とか
あまりの現実離れに どん引きです。

そんなありえないヒーローの目線でストーリーを展開させられることに
もはや耐えられない、そんな自分を知りました。
ヒーローなんて要りません
好きに見させて下さい。



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