7月の下旬、都営地下鉄大江戸線の勝どき駅にやってきました。勝どき駅前から晴海通りを西側(東銀座側)へ歩いて行くと、隅田川に架橋されている「勝どき橋」が見えてきました。
近年になって、勝どき橋やその周辺の交通渋滞がひどくなってきているように感じます。東京都心部の繁華街やオフィスビル街と、晴海地区や豊洲地区を結ぶルートはここの勝どき橋しか存在しないためです。
1990年代までは、晴海地区や豊洲地区は造船所や倉庫街でしかありませんでした。現在は高層タワーマンションやオフィスビル街に変貌してきていて、湾岸地区と都心部を結ぶ自動車の流れの大部分がこの勝どき橋に集中してしまうためです。
勝どき橋から下流の南側(東京港側)を見渡して撮影してみると、下流側の700メートルほど離れた場所に、真新しい道路橋が架橋されているのが見えます。
この真新しい道路橋が「環状第2号線・(仮称)隅田川橋梁」です。この橋が開通すると、勝どき橋の混雑緩和が期待されると共に、2020年の東京オリンピックの際のアクセス手段としても活用されることになります。
勝どき橋や晴海通りの交通渋滞は本当に深刻なのです。平日の午前中の時間帯になると、勝どき橋から銀座四丁目地区にかけて、片側3車線の晴海通りは身動きできなくなってしまう程です。
勝どき橋上から下流右岸側を見渡してみると、築地市場の建物群と広大な敷地が広がっています。2015年度には新豊洲地区に移転することになっていて、数年後にはこの風景を見ることはできなくなりますね。
築地市場の建物群の背後には、JR新橋駅東側の「汐留シオサイト」の高層ビル群が広がっているのが見えます。
この日の東京は晴れ間が見えていたのですが、30度を越す真夏日の気温でした。遠くを眺めていると、東京タワーなどは霞んでしまっていました。
築地市場が豊洲地区に移転すると、東銀座や新橋駅に程近いこの場所に広大な空き地の一等地が出現することになります。一時は東京オリンピックのプレスセンターが建設するとかされないとか言われていましたが、今後はどうなるのでしょうか。
勝どき橋が架橋されたのは戦争が始まる直前の1940年(昭和15年)の6月のことです。かれこれ70年以上道路橋として使用されているわけですね。
現在の時点で隅田川の最下流部に設置されている勝鬨橋は「可動橋」の構造になっていて、1970年(昭和45年)以降は一度も開閉されてはいません。
勝どき橋の可動部脇には運転室用の建屋が設置されていて、現在は使われなくなっている自動車用信号機や、船舶用の信号機なども設置されています。
最近の橋では見られないようなビス止めされている鉄骨や街灯を見上げながら散策していきます。
環状第2号線の(仮称)隅田川橋梁と、築地市場の広大な敷地周辺を見渡してみました。環状第2号線は築地市場跡地の敷地内に建設されるので、築地市場が移転しないと、それまでは架橋した新しい橋も使うことが出来ないのですね。