緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

10月の銀座:松坂屋銀座店跡地の再開発工事現場周辺 PART2

2014年11月02日 08時01分00秒 | 中央区全域・銀座


銀座六丁目交差点の北西角、松坂屋銀座店跡地の「銀座六丁目10プロジェクト」の再開発工事現場の脇を散策していきます。




同じ場所から振り返って、銀座六丁目交差点の全景を撮影しました。この界隈まで来ると、高級ブランドの店舗が目立ち始めます。




中央通り沿いの、銀座六丁目地区の街並みを撮影しました。段々と、人通りや交通量が増えてきました。




「ユニクロ銀座店」など、銀座地区にも最近はファストファッションの店舗が増えてきました。




松坂屋銀座店跡地の再開発工事現場の工事用フェンスには、銀座の街並みや江戸の歴史の絵画などが描かれています。




午前9時過ぎの時間帯なので人通りがほとんど無いのですが、午前10時に開店時間になると賑やかになります。




前方には、「ニューメルサ銀座店」のファッションビルや「和光銀座」の建物が小さく見えます。




非常に地価が高い銀座地区なので、ペンシルビルばかりが目立ちます。




この日は平日だったのですが、再開発工事現場内はひっそりとしていました。警備員さんの姿もありませんでした。




2012年3月に開業したユニクロのグローバル旗艦店「ユニクロ銀座店」の建物を見上げて撮影しました。




2014年10月末に、大阪の梅田に日本国内で3番目のグローバル旗艦店「ユニクロ オーサカ」が開業します。




前方に「ニューメルサ銀座」のファッションビルと、銀座五丁目交差点が見えてきました。




再開発工事の解体工事のお知らせの看板を発見しました。




同じ場所から、中央通りの街並みを撮影しました。




現在の銀座界隈では6か所ほど再開発工事が行われているので、資材を積んだトレーラーやダンプトラックが走っているのを良く見かけます。




銀座の繁華街で最も賑やかな銀座四丁目交差点の周辺を散策していきます。



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10月の銀座:松坂屋銀座店跡地の再開発工事現場周辺 PART1

2014年11月02日 08時00分00秒 | 中央区全域・銀座


銀座七丁目交差点前から北方向を撮影しました。徐々に人通りが多くなってきました。




銀座七丁目交差点前にそびえ立っている「ヤマハ銀座ビル」の商業ビルを見上げて撮影しました。




ヤマハ銀座店と、H&М銀座店の店舗群を中央通り(国道15号線)越しに撮影しました。




家電量販店大手の「ラオックス銀座本店」の店舗を真正面から撮影しました。外国人観光客向けに特化してある免税店舗となっています。




銀座七丁目地区に編入される1930年(昭和5年)以前は、この界隈は「竹川町」と呼ばれていました。




しばらく道なりに歩いて行くと、前方に「銀座六丁目交差点」が見えてきました。「松坂屋銀座店」の百貨店跡地の広大な更地が広がっているのが見えます。




銀座六丁目交差点の南側、中央通りに面して並んでいる商業ビル群を撮影しました。




「銀座七丁目地区」とは、中央通りの銀座七丁目交差点から六丁目交差点までの間の長方形状の区画で、昭和5年以前は「竹川町」の全てと、「三十間堀三丁目」地区の一部が編入されています。




「銀座六丁目交差点」前にやってきました。目の前には松坂屋銀座店跡地を含む「銀座六丁目10地区プロジェクト」の再開発工事現場が広がっています。




現在は地下部分の工事が続けられていて、建物本体の工事が始まるのはもうしばらく先になりそうです。




銀座六丁目交差点で中央通り(国道15号線)と交差している「交詢社通り」を撮影しました。




松坂屋銀座店の百貨店の建物が文字通りなくなってしまったことにより、この辺りの景観は一変してしまいました。




東銀座地区の歌舞伎座タワーの高層ビルを始め、今まで百貨店の建物の陰に隠れていた街並みを眺めることが出来ます。




銀座六丁目交差点から北側一帯は「銀座六丁目地区」と呼ばれていて、昭和9年(1930年)に銀座地区に編入される以前は「尾張町二丁目地区」と呼ばれていました。




江戸時代にこの地を尾張藩が埋め立て工事をしたので、「尾張町」と言う地名が名付けられています。




横断歩道を渡って、再開発工事現場寄りの歩道を歩いて行きます。



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