自治会の史跡めぐり
薬師寺
先日は覘き見ただけたった薬師寺から見学。
修学旅行生がたくさん来ていた。
薬師三尊の祀られている金堂 南面のインドの力神
(薬師如来の台座の模型より)
中国の四神も東西南北に合わせて描かれている。
台座上部にはギリシャの葡萄唐草文も。
外国との交流が盛んだったことがわかる。
東塔は色あせてはいるがどっしりとした貫禄がある。
近々解体修理の予定があり、完成には10年近くかかるらしい。
内部を見ることができた。上部も見えるように鏡が取り付けてあった。
他の建物は火事や兵火で焼かれ、奈良時代の建築は東塔だけという。
玄奘三蔵院伽藍
大唐西域壁画殿は日本画家平山郁夫氏が奉納された壁画7場面が展示
されている。
玄奘三蔵の中国から天竺(インド)への求法の旅をたどって、30年
を費やして描かれたものだそうだ。青を基調とした荘厳な壁画だ。
しかも中央の山を本尊に、左右の場面は日光・月光菩薩になってい
るという。
そして、平山氏が帰国された時、高田好胤氏はなくなっておられ、
1枚の絵の中にそっとその姿を描き足されたのだそうだ。
深いブルーの壁画はすごい精神性を秘めていることを知った。
唐招提寺
苔むした林を横に見て参道を進むとどっしりとした金堂
この静かさが好きだ
10年かけての解体修理が完成したばかり(h21.11)
垂仁天皇陵
第11代 垂仁天皇陵 手前の小島は田道間守を祀る
垂仁天皇の命を受け常世の国に不老不死の薬を求めに行き、苦労の
末ようやく秘薬を持ち帰った時には天皇はすでに亡く、悲しみに打
ちひしがれて死んだのを憐れんで祀られたものだそうだ。
その秘薬とは「ときじくのかぐのこのみ」タチバナのことだったとか・・
菅原寺(喜光寺)
新しい門が出来ていた。5月1~2日落慶法要
ここは大仏造営に力をつくした 大僧正行基がここで亡くなった。
金堂は試みの大仏殿と言われ、創建当時の大仏殿の10分の1の大き
さだったそうだ。
西大寺を抜けて、駅で解散となった。
薬師寺
先日は覘き見ただけたった薬師寺から見学。
修学旅行生がたくさん来ていた。
薬師三尊の祀られている金堂 南面のインドの力神
(薬師如来の台座の模型より)
中国の四神も東西南北に合わせて描かれている。
台座上部にはギリシャの葡萄唐草文も。
外国との交流が盛んだったことがわかる。
東塔は色あせてはいるがどっしりとした貫禄がある。
近々解体修理の予定があり、完成には10年近くかかるらしい。
内部を見ることができた。上部も見えるように鏡が取り付けてあった。
他の建物は火事や兵火で焼かれ、奈良時代の建築は東塔だけという。
玄奘三蔵院伽藍
大唐西域壁画殿は日本画家平山郁夫氏が奉納された壁画7場面が展示
されている。
玄奘三蔵の中国から天竺(インド)への求法の旅をたどって、30年
を費やして描かれたものだそうだ。青を基調とした荘厳な壁画だ。
しかも中央の山を本尊に、左右の場面は日光・月光菩薩になってい
るという。
そして、平山氏が帰国された時、高田好胤氏はなくなっておられ、
1枚の絵の中にそっとその姿を描き足されたのだそうだ。
深いブルーの壁画はすごい精神性を秘めていることを知った。
唐招提寺
苔むした林を横に見て参道を進むとどっしりとした金堂
この静かさが好きだ
10年かけての解体修理が完成したばかり(h21.11)
垂仁天皇陵
第11代 垂仁天皇陵 手前の小島は田道間守を祀る
垂仁天皇の命を受け常世の国に不老不死の薬を求めに行き、苦労の
末ようやく秘薬を持ち帰った時には天皇はすでに亡く、悲しみに打
ちひしがれて死んだのを憐れんで祀られたものだそうだ。
その秘薬とは「ときじくのかぐのこのみ」タチバナのことだったとか・・
菅原寺(喜光寺)
新しい門が出来ていた。5月1~2日落慶法要
ここは大仏造営に力をつくした 大僧正行基がここで亡くなった。
金堂は試みの大仏殿と言われ、創建当時の大仏殿の10分の1の大き
さだったそうだ。
西大寺を抜けて、駅で解散となった。