みどりの野原

野原の便り

12月12日 知らないことだらけの奈良(燈籠・奈良春日大社・元興寺周辺 ・・)

2023年12月12日 | Weblog

歴史サークルの今月の例会で奈良へ。
ガイドさんの案内付き。
公園内の植物を見て歩くことはあるが、ガイドさんのお話に目からうろこが・・たくさん落ちた。

先ず、知らなかった「ぐるっとバス」に乗って春日大社本殿で降りる。
紹介して下さった「ぐるっとバス」上手に利用すると奈良観光もしやすくなりそう。


車舎(くるまやどり)春日大社二之鳥居の手前に建つ。
今まで気にも留めたことがなかったが、重要文化財の建物。
「春日大社への天皇の行幸や貴族の参詣の折に、牛車などの乗り物を入れた車庫」とのこと。
「くるまやどり」って優雅な名前ですね。


春日大社二の鳥居 参拝の仕方や鳥居の通り方を教えてくださる。
鳥居の中央は神様の通り道なので、参拝者は中央は避けて端を通る。


「剣先道」昔、藤原姓の人が参拝の時に通った道だそう。
剣先の「先」を踏んではいけないとか。なぜこんな形になってるの?

春日大社のはたくさんの灯籠がある。
燈籠はすべて春日の神を崇敬する人からの寄進で建てられたものだという。
石灯籠は約2000基、釣り燈籠は約1000基もあるという。

  
中)「伝、藤原忠通奉納の柚木型燈籠(重文)のレプリカ」 合ってるかな?
右)祓戸型燈籠(春日灯籠)

燈籠の構造 宝珠・笠・火袋・中台・竿・台座・・など各部分の名前
何となく知っているが、きちんとしたお話を聞いたのは初めてだ。

火袋の模様・中台の模様・竿の形・・う~ん。面白い。

 
中台の模様  左)巴紋      右)走り獅子 
他に、下がり藤・鹿・百足・干支・・・これを探し回るのも面白そう。


春日大明神燈籠(写真不鮮明・・)
竿の部分に「春日社」・「常夜灯」の銘の灯籠が多い中、「春日大明神」の銘のものが15基あり、「1晩に3基見つけたら長者になる」との言い伝えがあるという。
この話は聞いたことがあるが、2000基もある中で、しかも1晩(夜)に? そりゃ全く1から探せたら、長者にもなれるでしょう。
今日はガイドさんに4基ほど教えてもらったが、自分で夜に見つけないとご利益はないでしょうね。


初めて行った「夫婦大黒社」大国主命と妃神 須勢理姫命を祀る。
たくさんの奉納「しゃもじ」には有名人の名も。


春日若宮 御祭神は、天児屋根命と天美津玉照比売命のお子神「天押雲根命」
本殿は「本朱」という希少な顔料を使った朱色。
「本朱」を使った建物は、春日神社本殿4棟と、この若宮本殿の1棟のみらしい。

「春日若宮おんまつり」は若宮の例祭のこと。(後で・・)


若宮と春日大社 ご本社の間の道「御間道(おあいみち)」というのも初めて知った。
(ピンボケですが・・)
火袋が木製の灯籠がずらりと並ぶ。
木の火袋は10年に1度は取替が必要とのこと。


黒漆塗りの火袋の「御間型燈籠(おあいがたとうろう)」
戦国時代のルイスフロイスの記述を元に復元されたものだそうだ。
鎌倉時代にはこのような灯籠がたくさんあったらしいが、飾り金具等は失われ、白木になっていったという。


春日大社

奥の御本殿(第1殿~第4殿)は国宝
定まった一定の年限(約20年に1度)で、社殿を造り替える「式年造替」が行われる。
(遷宮は「神さまがお社ごと引っ越される」)


大杉(樹齢800年とも1000年とも)・左に、直会殿の屋根を突き抜けて槙柏(樹齢600年)

祭り始めはちゃんちゃん祭り、祭りおさめはおん祭り」といわれる。
「春日若宮おん祭り」のお話もおもしろかった。
・平安末期の保延2年(1136年)、時の関白・藤原忠通が天下安泰、五穀豊穣、万民和楽を願い始めた。
・「遷幸の儀」は、若宮神を本殿より御旅所の行宮へ深夜にお遷しする行事。
 深夜0時、暗闇の中、お~お~の警蹕の声を発しながら、楽人の演奏をお供に御旅所までお遷しする。
・翌日は「お渡り式」芸能集団や祭礼に関わる人々(楽人・猿楽・競馬・流鏑馬・大名行列・・)の行列が、若宮さまのおられる御旅所へ練り歩く。
・「御旅所祭」古典芸能などを神前で奉納
・「還幸の儀」若宮さまは、その日の内に御旅所より本殿へ戻らないといけないそうで・・
 23時~暗闇の中お遷しする行事 
 遷幸の儀・還幸の儀は参拝者の懐中電灯もおしゃべりも禁止。

こんな神秘的なお祭りが、平安時代から途切れず続いているという。

「お渡り」は以前に見に来たことがあったが、深く知らないままに見ていた。

砂ずりの藤を見て外を左へ回り込んだところ。


榎本神社 初めて知った。
春日大社創建以前から祀られていた地主神だそう。
この神様は耳が遠かったという。
この土地がほしかった武甕槌命が「この土地を地下3尺だけ譲ってほしい」というのを聞きもらし「3尺だけなら・・」とOKしたところ、すべて取られてしまい、文句を言うもあとの祭り。
こんな隅っこに住むことになった。
耳が遠いので、お参りの際はまずコンコンとノックが必要なのだそうだ。
聞こえないと損をすることもあるよね。私も耳が悪いので、なんか身近に感じた神様だった。


宝物殿入口近く「奈良公園 最大のケヤキ」


春日大社で一番大きい灯籠 

お昼は鷺池近くで。
鷺池・荒池・猿沢池 これらは皆人工池だそうだ。

午後


天神社 少彦名命・菅原道真公を祀る。
ここでは狛犬のお話を聞く。
角のある狛犬・脚がまっすぐな狛犬は古いものだとか。
私は好きなのだが、子連れや球を持ったものなどは前記のものより新しいものらしい。
本殿前にはもっと古い木の狛犬があったらしいが、見逃し。


元興寺 極楽坊 中には入らなかった。
今は、塔跡など数か所に残るのみの元興寺は、昔は、今の「ならまち」を含む広大な寺域だったそうだ。

鵲町(元興寺の南鵲院があった)・勝南院町(元興寺の1院、勝南院があった)・・など地名にも、元興寺の名残がわかるものがある。

平城遷都で、飛鳥から遷された元興寺。
奈良時代には栄えていたが平安時代後半~室町・江戸・・火災などもあり衰退。
境内跡地には人々が暮らす家が建って行き「ならまち」が出来てくる。


町は計画的に区割りされたものではないので、元興寺の名残を除けて?道路は細くなったり曲がったり、突き抜けたり。
「・・突抜町」と名のつく町があるのもこんな所以。 ・・面白い。


「嶋嘉橋」小さい石造りの橋。下を流れるのは「率川(いさがわ)
ここは上ツ道の始点でもある。
清少納言や紫式部も長谷詣での際に通ったという。


嶋嘉橋の下。率川に作られた船型の中州にはたくさんの地蔵が集められている。
そして、橋脚には(矢印)「明和7年庚寅五月吉日 椿井町 嶋屋嘉兵衛」の銘。
嶋嘉橋は嶋谷嘉兵衛が私財を投じて架橋した橋なのだそうだ。

帰り道には食事処なども教えて下さったり、また来ようと思える。

15時前に解散になった。
お天気が良くなくて傘を差したり畳んだりでややこしかったが、ガイドさんの説明はわかりやすくて勉強になったし、面白かった。

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