午前中は一人で京都府立植物園を巡る。
先日も来ているので、今日はあまり行ってないところを歩いた。
北山口近くの花壇
ハボタンの後にはパンジーが植えてあった。
今日は探していたイチイをやっと見つけた。
外国のイチイや、キャラボクの植栽は見るけれど、イチイの木を見たかったのです。
これを見ると高木で、キャラボクではないことはわかるけれど、民家に植えてある低い木がキャラボクなのか?イチイなのか?わからないのです。
側枝で葉が2列状になるかどうか・・比べてもはっきりしない。
右はイチイの葉だけど・・やっぱり葉だけではわかりにくい。
河津桜?咲き始め。
ヤバネヒイラギモ 濃い緑の葉、赤い実
シナヒイラギ・ヒイラギモチ・チャイニーズヒイラギ、別名がたくさんある。
ウグイスカグラ 小さくて目立たないがいくつも花が付いていた。
帰りにはニッサボクも見つけた。
世界3大紅葉樹と聞くが、紅葉を見たことがない。
アカギが植わっていたのはビックリ。
なかなかの高木。外来種で小笠原では困りものだが、ここではそんな心配もないようだ。
珍しい木もたくさんあった。花が咲けばいいが、混みあっているのでどうかな?
今年は京都府立植物園開園100年。
開園当初から植えられている樹木などに「歴史遺産樹木」の説明板がついている。
今日出会った「歴史遺産樹木 Heritage Tree」
①植物園会館前の ハナミズキ
ワシントンに贈られた桜の返礼に日本に渡来した樹木。
②ゴヨウマツ
開園当時に植栽されたと推定される、園内最大の個体。
こんな大きいゴヨウマツは見たことがない。
③果実が残っていた「ロウヤガキ」(ツクバネガキ)
我が国初導入種 第2代菊池園長が中国から持ち帰ったとされる。
④シナマンサク
昭和11年(1936)中国廬山植物園から我が国初として種子公館で導入
昭和16年2月ここに植栽
⑤メタセコイア
1945年(昭和20)中国で生きた化石として発見され、アメリカで増殖されたものが、1950年(昭和25)苗木として日本に導入されたその一部。
1953(昭和28年)京都大学演習林から苗木を導入。
⑥クスノキ並木
樹齢100年近いクスノキが約90本植栽されている。
全部で38種の樹木に説明板があるようだ。
コゴメイヌノフグリ 先日は天気が悪くて花は開いていなかったが、今日は全開。
花は純白で芯が黄色っぽい。茎や葉やガクなど毛が多い。
果実にも毛があった。
「早春の草花展」
ビニールハウス入口のそばの藁囲いの中にはボタンの花
あでやかに咲く”福雲”
草花展のハウスの中に、春咲きのものを開花調整して咲かせたという「正月牡丹」があった。
ナニワズ 満開
オステオスペルマム キクの仲間 スプーンのような変わった花弁。
オステオスペルマムには普通の花弁の花もあるようだ。
紹介は地味だが、実際はカラフルな春の花がいっぱいです。
出口近くの「100」の字をかたどった植物は・・
ムシトリスミレ
スミレのような距があるが、タヌキモの仲間の食虫植物。
「サクラ品種コレクション」の講演
講師は植物園の樹木に関わり、樹木医でもある方。
京都府立植物園の歴史
1924年(大正13年)に開園してから今年1月1日で100年を迎えた。
第2次世界大戦があり、その後連合軍の接収があり、1957年全面返還された。
この間、多くの樹木が伐採された。
1961年再開園
観覧温室や植物園会館もでき、多様な植物を楽しめる植物園になっている。
サクラの品種
開園当時は約70種類だったが、現在、展示されているサクラは180品種。
バックヤードで育成中のものも含めると、保有品種は200品種以上あるという。
これまで品種の継承には各時代にキーパーソンとなる人達がいた。
サクラを並木を作る・収集して畑で植栽 植木屋・桜守・サクラを研究して整理 研究家・植物園を設計 技師・サクラ苗を育てる・歴史ある桜を残していこうと取り組んでいる人・・
代々の植木屋 佐野藤右衛門氏の貢献が大きい。
たくさんのサクラに関わる人たちのお陰で江戸のサクラを今も見ることが出来る。
伝統ある桜を継承していくために、歴史のあるサクラの品種を日本植物園協会のナショナルコレクションに認定を目指す取り組みをされている。
そして、次の100年に向けて
「生きた植物の博物館」としての植物園機能の充実
サクラの栽培、樹勢回復のノウハウを蓄積し、広く発信する。
関西における桜栽培品種系統保存の拠点となる。
我が国を代表する桜の名所であり植物園であること。 と結ばれた。
「ソメイヨシノは短命」と誤解されるが、生命力は強く、芽吹いたり根を伸ばしたり、幹や枝を更新しながら同じ個体として長く生き続けられる。とのお話も。
1階で開かれている「開園100年の歩み展」を回る。
開園当初の作業服(男性用)大正 復刻版
今日の講師の先生も、この法被を着用しておられた。
開園当初の作業服(女性用)大正時代
モンペ姿だったんですね。