気になる所を何か所か廻る。
①香久山近く。
気になるものは見つけられず。天香山埴安伝承地の碑を巡る。(埴安とは土の神)
日本書紀に「・・神武天皇が天香山の埴土(粘土)で、八十八枚の平瓮(吉凶を占う神事に用いられた薄い土器のお皿)を作って祭り・・大和を平定することができた」との記述があるそうだ。
香久山には良い赤土粘土があったらしい。また、白埴もあったという。
奈文研の横を入って小橋を渡る。 「☞天香山埴安伝承地道」の指差し石碑
竹藪をクモの巣を払いながら登る。
奥に「天香山埴安伝承地」の大きい碑があった。ここまで来たのは初めてだ。
この丘は赤埴山(後に行く畝尾ザ健土安神社の説明板)
右)反対側に下る途中にも「伝承地」の碑の方向を指し示す「天香山埴安伝承地道」の碑があった。
山を下りた池のところにも「天香山埴安伝承地道」の碑
右)八釣山地蔵尊の石碑の横にも「天香山埴安伝承地道」の碑(小さい方の碑)
他にも天香山神社にも、あったように思う。
これらの石碑は昭和15年(皇紀2600年)に建てられたもののようだ。(石碑の横に記載)
畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)
健土安比売命と天児屋根を祀る。
「天香山 埴焼奉製会」の幟が立ち、埴土に因んだイベントをやっているようで、参加者手作りの器が並んでいた。
興福寺(八釣山地蔵尊) 地蔵堂
地蔵堂には2体のお地蔵様が祭られている。
物部守屋が橘寺を焼いた時、金堂に安置してあった地蔵尊が香久山頂上に逃げたそうな。
それを知った聖徳太子が香久山の麓に寺を建立して地蔵を祀ったのがここだとか。
小さなお寺やお堂にも古い伝承やいわれがあるのがおもしろい。
ここから飛んで・・いや車で走って・・
②先日のツルドクダミはもう果実になっているだろうと見に行く。
来る時期が遅かったのか?雌花が少なかったのか?・・果実はショボショボとまばら。
又飛んで、走って・・
③タコノアシはどうなっているか?
1ヶ所は全くなし。もう1ヶ所もよくよく探して5・6本。
草陰にわずかばかり残っていた。左)今頃つぼみを付けている。
右)果実はできているが「歪んだタコの足」
本来なら今頃は、果実がタコの吸盤のごとく充実して、ぼちぼち赤くなって「茹でだこ」状態になる頃なのに・・心もとない状況だった。
後ろから2枚目の写真のタコノアシって
黄色の花(ヒレタゴボウ?)の横の赤いのですか
石舞台までの田で見たような気がするのですが
なにかなぁ~と思ってましたが
はっきりした場所は覚えてないですが貴重なんですね
写真の緑色の葉っぱです。
今の時期は紅葉していることがあります。
果実もついている時期です。
飛鳥でも1か所見たことがあるのですが、その後通った時はなくなっていました。
他にもあるかもしれません。
ひょっとして葉と茎の間に小さい花が
咲きますか?
小さくて可愛い
公園館から橘寺へ行く途中でみましたが
今頃は稲刈りであぜ道・も綺麗に草刈りがされているのでないでしょうが
何かなぁ~と調べましたが判らなかった草に似ています
近じか通る予定なので写真撮ってきます
何本かの花序に花(果実)が並びます。