梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

髭と金髪と少し古い偏屈

2011-04-25 19:15:04 | 雑記
最近気になる事に「ひげ」が有る、テレビの放送でも芸能人だけでなく服飾系の店や飲食店の関係者もかなり多い、普通の人達でも若い人達に結構多くなっている、
私は基本的にひげが苦手である、同時に染めた髪も苦手である、人間が古いせいかもしれないが私と余り変わらない年齢の男性にも金髪が居たりするとはっきり言って少々不愉快に成る。
先ず染髪であるが私の見る限りはのっぺりとした東洋人にはなじまない気がする、
海外放送の画像を見ても中国、韓国では余り見られない、最近の韓国女性は増えてきている様だが男性は余り見ない。
イギリス人の友人に昔「お前は(こう書くと妙に乱暴になるが彼らは”You”なので日本語にすると親しいとこんな風になる)何色の髪の女性が好きだ?」と聞かれた事がある、
「自分はナチュラルが好きだから」といったら「そうか東洋人は黒が当たり前だからな、我々の国にはいろんな色の髪が有るので染めて楽しむのだが日本人は黒だけだな」と言って居たが彼らにしてみると東洋の黒髪は憧れだと言う。
憧れはともかく男まで髪を金色にしているのはどうも戴けない、第一髪が金髪で眉が黒だったりすると妙に違和感がある。
ひげに付いてはどうも「威嚇」する雰囲気が有ってそれがどうも好きになれない、スポーツ選手が「自分は童顔なので」と言っていたりするがそれも「甘く見られたくない」と言う事からすると「威嚇」の一つだろう、
ひげが威嚇だと言うのは勝手な思い込みではなく歴史的にもそう言う捉え方をした人間が居る
二代将軍の徳川秀忠(三代の家光かもしれない)が将軍となって参勤交代など外様大名に出した武家諸法度の中で「戦国は終わったのだから武辺を誇らかすひげは今後禁止する」と言う触れを出している、
大体中国から韓国、日本と言うエリアはひげをたくわえない文化である、中国も韓国も「ひげ」は賢者の証であり若い者はたくわえない、「ひげ」が世に蔓延るのは国の乱れた時である、
中国では三国志の頃、日本では戦国時代、そして明治新政府の役人達である、これは全て偉そうに、強そうにと見せる為の飾りである、実際の幕末戦争でひげをたくわえている者は居なかった、
自分をより以上に見せる為にのみひげはある様に思えてならない。
戦後ではその手を使う物は場末の下っ端ヤクザで夜の街で肩を怒らせて歩く連中に多く有った。
今は普通の若者がひげをはやし頭を染めている、ピアスをして「タトウ」と言う刺青をする、どうも我々の世代ではアウトローの姿をして居るのが多く、団塊の世代には中々なじめない、
ところで何で不良(古いか)達を「ヤンキー」と言うんだろう?松井の居たニューヨークヤンキーズはどう思うんだろうな、ヤンキー魂と言うのはアメリカのフロンティアスピリッツの代名詞なんだがな

此れからどうする

2011-04-24 07:48:55 | 雑記
昨日からの強い雨風は朝になったらすっかり上がって雲ひとつない空が広がっている、
先週ラジオで小林幸子さんが被災地を訪ねた時「街ひとつが瓦礫の廃墟になった海に何も無かったかのように真っ赤な夕日が沈んで行ってその美しさがすごく悲しくて涙が止まらなかった」と言っていたが天候の良いにつけ悪いにつけ被災した人達が思い浮かぶ。
今日は地方選である、どう考えてもこの人でなければという人選は無いが選挙を放棄するのは都民区民の権利を放棄し、責任を果さないという事になるだろう、国政選挙もそうだが取りあえず 投票に入っても”該当者なし”と書いて来ようと思う事が多くなった。
候補者や現在の政治担当者(政治家とは言いたくない)にシンプルに「貴方が考える政治とは何でしょうか?」と聞いてみたいものだ。大正昭和の初期に「政治家になると井戸しか残らない」と言われた物だ、滅私奉公と言う言葉も有った、丁稚奉公や主家に使える侍の話ではない、文明開化の後の政治家の話である。
最初は理想に燃えた新人政治家も当選1期に満たない内に理想とはかけ離れた政治屋になる、
確かに理想は現実とは大きくかけ離れているだろう、社会に出た新人が会社で待ち受けている現実も同じような物だ、しかし政治は我々国民を代表しその税金で運営する国家を任されているのだ、「此れが現実だよ」と片づけられては堪らない。
政治は国民のためと言うより国民と国家とは対極にある様な塩梅だ、国家が潤うと国民が困窮する、企業が潤うのは国民が潤うのとはかなり違う、それはそうだろう、国民の財産を吸い上げてこそ企業は大きくなるのだから、
「民意を反映する政治」出なければならないが「民意」は一つに纏まって居る訳ではないそれを良い事に国家が方向を決めてしまう、しかし「民意」は一つでは無くとも方向は大体同じだ、
この方向が大抵少数の資産家と企業(もとは同じだ)に有利に働く、シビリアンコントロールは軍隊だけではない、政治自体を行えないにしても国民が政策に「それは否である」と言う事が強制力を持って行える方法は無いのだろうか、革命どころかデモすらしない日本人もそろそろ限界だろうと思うが徳川幕府の「農民は生かさず殺さず」と言う政策の踏襲も1世紀もたったのだ、
若者が無気力なのは我々の責任も有るが政治国家の都合に沿った生き方をし続けるはあまりに損だと思ってくれないか、未来は我々より彼らの方が一杯有るの

議員の条件

2011-04-23 10:05:55 | 雑記
地方選第二ラウンドの投票日が明日になった、この辺りでは「区民党」と言う新しい党が出て来た
区政と国政は違うのだからそれで良いと思う。
地に足の付いた政治を目指し無駄を排して運営できればそれに越した事はないだろう、
スローガンの中に「殆どの区議が自営業者で続けている問題」を提起してる、地方議員は兼業を許されているが当選するかどうかも定かでなく、一度当選しても次に当選するかどうかは不明の状態では自営業以外に立候補することは難しいだろう、例えばサラリーマンが立候補して当選しても任期が終えたからと言って元の会社に戻るのは難しい、会社にとって経営上コストはぎりぎりで事業は進めている、一人抜ければ当然替わりの人員を雇い込むのだから4年たったら戻りますと言う訳にはいかない、その人員があぶれてしまうのだ、そうなると中々サラリーマンと言う立場の人が立候補する事は難しくなるだろう、
しかし大都市近郊の人口比率はおそらく70%以上がサラリーマンだろう、この人口比率でありながら議員の殆どは自営業、それも土地に古くから住んで居る人になるのが当然なのだがそれで区民市民の意見代行と言う事が出来るか疑問である、自分のことしか考えないという事ではなく、サラリーマンと言う立場を知らないということである、特に都会は賃貸生活の人が多く税金も給料天引きであり固定資産税は縁が薄く、若いうちは生活も仮住い的な心持が強い、
だからと言って労働組合がらの立候補と言うのも特定企業に偏った意見が出そうな気がする、
しかし、構成比7割の給与所得者層の意見が集約されないのはやはり上手くないだろう、外国のこの層はどうやって国政に意見を反映させているのだろう、たとえば身近な問題では年金問題がある、国家管掌の厚生年金があの様な酷い事になっても、初めに言っていた事と全く違う方向に向かってもしまっても問題を話し合っている人間は全く関係ないのだ、切実感は感じられないのは当たり前だろう、この問題は実に微妙な問題を含んでいるのだがやはり何とかしないと平等とは言えないのではないか

初恋

2011-04-22 09:59:08 | 雑記
中学の2年か3年生の時、親しい友人が怪我をして入院をした事があった、村の診療所は中学から歩いて行ける所にあるので毎日下校の時に彼の病室に寄るのが日課になった
この時初めて彼の妹に会った、小学校の4年生で明るくて人懐こい子だったがもしかすると彼女が私の初恋らしい初恋の相手かもしれない、
その頃の自分は父親と二人の生活で家に居ても余り会話もない生活だったのでその後友人の家で歓待してくれちょくちょくと遊びに行くようになった、それまで妹のYちゃんとはすれ違って有っていなかったがそれからは何となく会うのが楽しみになった、
私が中学を卒業して東京に出て1年目に父親が亡くなると帰省すると彼の家に泊まる事が多くなった、
友人は高校のクラブ活動で休みにも居なくなる事が多く、その間はYちゃんと二人で家にいたり散歩をしたりして過ごしていた、
田舎の農家なので中学校から彼女はよく家の手伝いをしていた、家の前に小さな川が流れていて下校すると洗濯をするのが日課だった様だ、随分大きくなったYちゃんとの時間は友人との時間より楽しいと感じる事も多かった、
東京に戻ると手紙のやり取りもする、太田弘美の「木綿のハンカチ」見たいな手紙が来た、今考えてみると友人も含め手紙のやり取りを一番多くしたのはYちゃんだった気がする、
漠然と自分は彼女と結婚するのかなと思ったりもしたが結婚生活に実感がわかず、所得にも不安が有って何となくそんな形のまま毎年何度か友人宅に泊まる生活をしている内彼女は高校を卒業し働き始めた、
友人が結婚する事になって新婚旅行に送り出したあと彼の家に泊めて貰い始めて彼抜きで彼の両親とYちゃんとで食事をした時、彼の両親は嬉しそうに祝い酒を飲みながら「次はお前達だな」と言った話になったが、自分はどうやら余り煮え切らない返事をしたらしい、その場ではYちゃんも「何を言ってるのよ、Iさんにも好みがあるでしょ」といって笑っていたのだがそれから数年後友人からYちゃんが嫁に行ったと連絡をもらった、
「俺も両親もY子はお前が貰ってくれると思ってたんだがな、」と言われて本当に心から「すまない、未だ結婚に自信がなかった」と言いながら大事な物を失った気分になった
Yちゃんは持病の膠原病が悪化し、嫁ぎ先の家と折り合いが悪くなって一度実家に戻ったのだが結局そのまま帰らぬ人となってしまった。
友人もその両親もその頃漸く遅い結婚をしたばかりの私にはその事を連絡しなかったのだが友人の奥さんからの電話で聞いた、Yちゃんと同い年のだった奥さんの電話は自分を責めているように聴こえた、
そのまま嫁ぎ先の墓に入っている彼女に会いに行く事は出来なまま彼女は私の記憶の中では16、7のまま笑っている、

男と女ー初恋

2011-04-21 10:17:11 | 雑記
初恋と言うのは何時頃だったのだろう?思い返してみると「初恋」と言う感情はどう言う感情になったら「初恋」何だろう?未だ幼い頃同級生や下級生に好きな女の子は確かに居たが一緒に居ると楽しいと言う感情だった、見えないと探す事も有ったし子供同士遊ぶ時に人気者の女の子は皆で探したり呼んできたりした、他の女の子とは違うと言う感情は無意識であっただろう、
しかし子供同士で遊んでいて他の男の子と仲良くしていても所謂嫉妬心は起きなかったと思う
あれはそう言う意味では「初恋」では無かったんだろうな、他の子と区別して特別の存在だと思っても独占欲と言うか嫉妬は伴わない感情だったのだからその後の恋とはかなり違うだろうと思う。
小学校低学年、多分1年生か2年生の頃遠足で町の遊園地に行った、そこで回転する飛行機の遊具に乗った時当時一番人気の有る子と二人で乗る事になった、その時先生が写した写真を暫く大事に教科書に挟んでいたが、もしかすると一番人気の有る彼女と一緒だった事が自慢だっただけかも知れない。
小学校高学年になった時中学生の女の子にあこがれた事が有る、田舎の生活なので登校は基本的に歩きだが雨が強いと特例としてバス通学が許可された、偶々その先輩が次の停車場から乗って来て空いていた自分の隣に座った時、自分が真っ赤になるのが分りどう対処していいか分らなかった事が有った、今思い返すとこれが初恋だったんだろうか?しかしそれ以外その先輩の事は全く覚えていない所を思うと単に思春期の入り口で自意識過剰だっただけなんだろうな、
中学の頃はやはりそんな話が盛り上がる様になる、中の良い悪友達と「お前は誰が好きだ?」とか「お前は彼女が好きなんだろう?」と言った会話がそこそこ出て来る、女生徒同士も盛り上がっていて男女を越えた中の良い女生徒からこっそりと情報が来たりしていた、当然お互いに「性」と言うものも理解し、玩んだり持て余したりしている時期になっているので妄想はかなり具体的になってくる、しかしどう言うわけか好きになった女子は妄想の対象から外してしまう、悪友に聞いてもやはり「対象は大人の女性」が妄想の対象でどうもその頃の恋愛とは憧れの様なものだった気がする、
東京に出てきて10代後半に大手の電気会社を辞めて食品会社のルート営業の仕事に就いた時に先輩から悪所を教わった、その頃元の会社の後輩とそのまま付き合っていて、音楽を聞いたり喫茶店で話をする付き合いをしていたが1年ほどで自分の前から消えていった、
それから暫くして同じ会社の女性と同じ様な付き合いを始めて半年位で関係を持った、そしてその時に消えていったあの子はこの関係に成れなかったのが原因だったのではなかったのかと気が付いた。
考えてみると恋と言う物がやはり男と女の関係が条件なら「初恋」と言う物と「憧れ」と言うものの境目はどの辺りにあったんだろうか、