梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

野田政権は国民の声を

2012-06-14 14:00:59 | 雑記
此れだけ国民の意思とかけ離れた政策を強行する政府は今まで無かったのではないか、
税と社会保障の一体改革と言うが「増税ありき」だと言う事は進むに従っていよいよはっきりして来た。
原発再開も最初から「再開あり」で進んでいる事は「私の責任を持って」と公言して憚らない、
二つとも国民の意向とは真っ向からぶつかっているのだが「私の政治生命を掛けて」行うと全く歯牙にもかけない、
野田総理には総理なりの論理があるのだろうが国民には全く説明をしていない、「私の政治生命」など掛けて頂かなくても結構だ、既に現在解散総選挙になれば民主党が死に体である事は間違いない、「私の責任で原発再開」と言うが万一の時はどう責任を取るというのだ、
現状の福島原発事故を見て「私が再開したから私が責任を」取れるとでも言うのだろうか、
増税をしなければ国家予算が立ち行かなくなると言う事のみ言い立てているが肝心な「今どの位不足していて今の状況だと何時どうなるか」が解らない、消費税しか方法が無いのか、もう支出を抑えることは不可能なのか、社会保障の中身と時期は何時からなのか、社会保障をしなければ増税は避けられるのか、全く説明する様子は無い、
原発が無ければ電力は本当に致命的に不足するのか、直ぐ代替の効く火力はコストが掛かるというが原発絡みの特別交付金と原料購入、使用済み燃料の処理費用を振り替えた時にどの程度の差額になるのか、
今野田政権の推し進めている国政方向はどう見ても国民の方向を見ていないで経済界、電力業界、そして官僚の方向に沿っているとしか思えない
大多数の一般国民と経済界、官僚システムの利害が真っ向から対立すると言うのも変な話だが、政府がこの間に入って国民の総意を無視する政策に固執しているのはとても民主政治とは思えない、国民の総意で国会解散をする事が出来ないのが実に歯がゆい、

道:大雄山最乗寺から久野へ

2012-06-13 11:50:27 | 雑記
足柄古道に出たら峠に向わず平塚方面に向う、少しだけ下ったら直ぐに右に分かれる農道がある、他の中を下ると小さな橋があってまた崖沿いに上がる道路が見える、
やはり車は少ないこの道も広域農道の様だ、登りきると左側が開けて左右にぼつぼつと家がある、
この辺から見えるのは小田急線の線路でその向こうには酒匂川、更に先には御殿場線が通っているのだが判然とは見えない。
暫く丘の上の農道が続くとよく整備された道を渡る、直ぐ右手から鬱蒼とした杉の古木が並んでいる、大雄山最乗寺の参道だ、左に折れると伊豆箱根鉄道の大雄山駅である、
此処から本道までは未だ3km位ある、九十九折の道は結構勾配がきつく軽四輪ではセカンドとサードを頻々と入れ替えて登る、
車道が切れる手前から中央に古木が有って左手に幾つかの土産屋と駐車場が交互にある、
突き当たりの狭い急坂を登ると本堂前の車庫である、
此処に車を止めて登ると右手に大きな宿房らしき建物がある、木造の3階建で此れも見事だがこの景色は何処かで見た事がある、浜松の奥にある広方寺と言う古刹が有るが此処の宿房が良く似ている、参道の木立もその中を流れている沢も同じ様な雰囲気だ、調べてみたら広方寺は臨済宗、最乗寺は曹洞宗で共に禅宗なのでつくりが似ているのかもしれない。
本堂は更に一段高い所にあり横に広い大きな屋根を持っている、前をを通り抜けて更に奥に進むと「奥の院道了堂」と言う看板が有ったので進んでみる、階段を上がると右手にまた階段がある、結構高い、汗をかきながら登りきったら此処は一種の踊り場で水平に2~30m先にまた同じ位の階段がある、此処を登ると今度は右に曲がって幅の広い階段が曲がりながら続く、
結構な距離と高度を費やして登らなければならない、夏の暑い日だったのと連れが本堂でダウンしたので途中で挫折してしまったがこの次は制覇しよう、と思っていたら最近は坐骨神経痛だ、
車に戻ると来た道を戻る、一番奥の店でうどんと味噌おでんで昼を取ったが目ぼしい土産は無い
ヤマゴボウの味噌漬を買うが案の定塩辛くて高血圧の年寄りには少々厳しい、
何時も(この店は良く成り立っているな)と思うのだが、全く大きなお世話だな、
元の広域農道に戻り更に下るとやがてまた足柄街道に出て最後は小田原に着く、途中の久野と言うところから辻村植物公園に向かいそのまま裏の林道を辿ってゆくと箱根の堂ヶ島に抜ける間道となっている、箱根が渋滞した時は此処を良く使ったのだが最近は電車バスが多くなった

道、足柄古道

2012-06-12 15:12:00 | ぶらり
国道246号線を西にはしり大井松田を過ぎて東名の下をくぐると左側を流れる酒匂川に沿って行く、一旦下った道は徐々に登りになる、
山北の駅を過ぎると坂は急になる、短いトンネルを抜けると少し道が下り、小さな川を渡ると直ぐに信号がある、樋口橋と言うこの信号を川沿いに左折するとほんの少しで右に「泗水の滝」と言う看板がある、しかしこの道路をさらに南に下る、対抗2車線の道路は「「広域農道」と表記されていて車の量は少ない、
信号も殆ど無く山肌に沿う様に走るこの道を無目的に走るのが私はとても好きである、
特に新緑の頃は道路においかぶさる様な広葉樹林やなだらかに続く畑の緑の先に薄青く空気を通して見える山肌の景色は特に素晴らしい、、
道に1箇所しかない信号を過ぎて暫くすると道は二つに別れるがどっちにイっても同じ道に繋がっている、そのまま小田原方面に下る道も良いが右に行って足柄峠に抜ける道が良い、畑と田んぼの中の道を進むと東から来る道に突き当たる、この道を右に行く、道幅はすれ違うのに減速する程度の上り坂である、1~2km程度上ると左に「夕陽の滝」と言う看板がある、
滝に入る道は更に細く、すれ違うのは不可能で畦道そのままの幅である、突き当りを左に下がると数十台の車が止められる程度の駐車場と時計台のあるトイレがある、此処に車を止め今来た道を少し戻ると細い階段があって売店がある、滝はこの奥である、
滝は西を向いているので夕陽が綺麗なんだろうが夕陽は見た事が無い、この場所で日が暮れたら帰るのは一寸嫌かな、と言った理由で午前中に通過してしまう、売店の無愛想な親父が焼く「おやき」は美味かったのだが、もうかなり前の事なのであの親父は居ないだろうな、
元の道に戻る、この道は東海道が箱根を越える前、足柄古道として奥州に抜ける街道だったそうだ、峠は丁度駿河と相模の国境だそうで戦国時代には足柄城も有ったと言うが城跡らしき物は見当たらない、今はかなり整備されているが20年程前には矢倉岳は金時山に抜ける登山道の分かれ道くらいだった、
此処から御殿場方面に行くと小山に下りるが其処までが富士山の絶景である、足下に246と東名高速が見えてその向こうの広大な草原越しに見事な富士山が見える、
此処から246までは急激な坂で狭く曲がりくねっているのだが登ってきた道と対照的で其れもまた楽しいのだ、

未来に希望が有ってこそ

2012-06-11 16:37:39 | 雑記
消費税と原発再開の問題はどの情報を見ても国民レベルでは両方とも反対と言う意向が勝っているように思える、
「消費税を上げなければ国家経済が成り立たない、」「原発が再開しなければ生産に大きな影響が出る、国際経済での沈下は避けられない」と言う総理の説明は経済の話で安全の話ではない、経済と言うより経済界と言う方が総理の説明は腑に落ちる、
税収は間接税が世界の常識だと言うがその世界的に今経済不況になっていて格差が広がり、失業率が軒並み二桁になっている、
経済界の力の強いアメリカですら「高額所得者への課税が甘い」と高額所得者層から出ている、
法人税も上げるべきだと言う意見はEU内部でもある、その辺りの説明が全く無いと言うより、政府の説明は全く信頼が出来ないと言うのが国民の感情だろう、
無論感情論で政治は出来ない、其れこそビジョンすら組めまい、しかし今の政府にビジョンが有るとも思えない、今の若い世代に希望を持たせない限り大阪でまた起きたような「自暴自棄」の犯罪や自殺が増えるだけだろう、
希望が有ればこそ人は生きていける、今が辛くとも必ず良くなると思えるから汗を流しても生きてゆけるのだがどう頑張っても今より良くならないのなら頑張る気力もなえてしまうだろう、
「生か、死か其れが問題だ」と言うのはハムレットの台詞だが「死は眠りの様なものだ恐れる必要は無い、しかし其れが眠りだったら夢を見るだろう、其れが恐ろしい」と言うのだが恐ろしい夢は死への抑制に成るかもしれないが逆に「夢」は生きる為の重要な要件だ、
どんな時代にも生まれ育つ中で将来の夢を思い、其れを目標に生きてゆく、夢はやがて希望に変り、希望が目標になり、目標を1つづつ手に入れて行くことで更に高みを目指す、
その力が社会全体を押し上げて来たのだが今の現実世界は生まれた所が低ければ抜け出す事が難しい、江戸時代の士農工商でも能力と意欲がある者には門戸が開けられていた
インドのカーストとは違うが今の日本社会は「自由資本主義」と言うカーストが有る様だ、
経済格差が学歴格差を生んで学歴格差が更にまた経済格差を広げてゆく、「自由経済社会」は競争社会原理の社会であり此れが経済の発展を促している事は言うまでもない、
しかし、それには産まれたカーストによってハンディキャップを持たされる子供が有ってはならない筈だ、終戦直後の様に「家が貧しいから高校をやめ無ければならない」と言うのはまさしく社会進歩ではなく逆行だ、「其れを無くす為に子供手当て、学費の公的補助を」と言っても「その財源が足らないから消費税を上げる」のでは本末転倒である、貧しいと言う事はエンゲルが唱えたように収支のバランスが衣食住で収入を支出が越える家庭が数多く有ると言う事で学費を免除しても子供手当てを与えてもその金は取敢えず「雨露を凌ぎ、寒さを凌ぎ、飢えを凌ぐ」事でなくなってしまう家庭が多いと言う事だ、
一方学歴格差上方の者達は高額な学費と充分な教育環境で教育を享受し国や企業の重要な社会を占めて所謂「エスタブリュッシュメント」化することで国家と経済界の結び付きを手にしてゆく
「巨大化したライオンが数頭残って餌になるウサギは死に絶える」事は彼らはしないだろう
「生かさず殺さず」が彼らの方法だが、北朝鮮が抱えている問題の様に生きる意欲の減衰は労働意欲の消滅になりやがては行き詰る、金の卵を産む鵞鳥には充分餌を与えなければずっと生ませる事は出来っこないのだ

昔も今も言葉の話

2012-06-09 17:47:15 | 雑記
テレビのバラエティで貧乏料理の話題が有って「シーフードカップヌードルで茶碗蒸しを」と言うのが有ったのでやってみた、麺を全て食べたらスープに卵1個を入れて電子レンジで3分と言う話だったが若干あやふやだったので取りあえず2分やって見た、
しかし、650Wは少々強かったのかスチロールのカップが変形する、一旦マグカップに移してから再度30秒ほど加熱してみた、途中で器を入れ替えたので見た目はかなり悪い、しかし味は確かに悪くは無い、只最近女房に合わせて薄味に慣れた自分には少し味が濃かった、
まあもう一度やるかと言えば多分やらないだろうな、
貧乏料理は独身時代は随分いろいろ作ったものだった、「チョンガ料理」と言う言い方が有る、
「チョンガ」と言うのは韓国語が元らしいが今は使わない様だ、そう言えばあの頃使って居た言葉は消えたり用法が変わったりしていて違和感が有る事がままある、
今週のビッグコミックオリジナルで「山口一平太」の中で(題名は違うかもしれない、)
「ちゃりんこ」と言うのはは「昔は子供の掏りの事だったのに」と言う場面が有った、自分が上京した時には普通に使われて居た気がする、「げんちゃり」と言う言い方もその後出来て来た、確か関西では「チャリ」と言えばのばしたもみあげを指したのだが自転車をチャリンコと言うのだろうか?
おなじ漫画で「ヤバイ」と言う言葉の事が出て居たが確かに今の用法は違和感だらけである、
同じ様に若い女性(余り若くない女性も含め)やたらに「可愛い」と表現するのもなんとも嫌な感じがする、特に「おじさん、可愛い」と言う言い方は自分が言われたら実に不愉快になるだろう、(無論言われた事は無いが)我々の年代で「可愛い」と言うのは年上の物が年下の子に使う表現であり、それも15歳前後の男の子に「可愛いね」などと言えば「馬鹿にするな!餓鬼じゃない」と怒ったものである、
そう言えば実に嫌いだった「何気に」と言う言葉はいつの間にか消えてしまったので一過性と思えば良いのかもしれないがやはり日本語の文化は正確に継承したいものだ、
「英語が出来なければ国際的な時代に遅れてしまう」と言う意見もあるが日本語の意味合いがあやふやでは英語の単語や文法が出来ても意味は通じまい、英語教育に力を入れるのは結構だが日本人同士で正確なコミニュケーションが出来て居なければ恥を国際的な規模に拡大するだけではないか、