河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

絵画の見られ方

2018-12-15 23:49:15 | 絵画

貴方が描いた絵がどの様にみられているか考えたことがあるだろうか?

良いようにも、悪いようにも見られてしまうのは、人との間で「言葉のすれ違い」が良くあるのと同じだと言える。次の作品は神戸の震災の後、仲間と文化庁災害派遣を終えて、私だけ文部省在外研修によってロンドン大学コートールド研究所客員研究員として1年4か月間、ロンドンに滞在中に描いた思い出の作品だが・・・・・

ある女性にこの作品を見せて、「これは阪神淡路大震災の後、描いたのだが・・・」と言いかけた時、「まあ、いやあーね!!」と言われてしまった。

この作品は震災のイメージを面白がって描いたわけではなく、むしろ「忘れてはならない災害」として人の心に残すべきと思って描いたのだが・・・・絵から何が伝わるかと言えば・・・・全く逆のことしか伝わらないとも言えるだろう。神戸には災害後に救援活動として何ができるか、、国内のみならずアメリカからも保存修復仲間や学芸員仲間と自家用車に修復材料などを出し合い、雪の東名を苦労しながら神戸に向かったことを憶えている。美術品の保存担当者として「あってはならない災害」に「記憶」として描いたのだが・・・。

「神戸の記憶、1995」255x355mm 油彩 カードボード 1995

 

 

防災は誰もが意識しなければならない宿命的な国で、この国のどこに住んでも活断層が近くにあって、温泉があれば、必ず地震に見舞われるだろう。それ以外にも台風、豪雨や火災など他人ごとではないから、常に心に防災意識を持ってほしいと思う。美術品より「人の命」が先だからこそ、「意識」はヴァイアスがかかってはいけないのだ。

ちなみに上の作品を見て「いやあーね!!」と言った人は日本人的一言が出たのだ。私の付き合ったアメリカ女性は必ず「どうしてこの絵を描いたのか?」と先に聞いただろう。

「ソファで読書するマリリン」160x230mm マット紙に鉛筆 1986

まず第一に感情的な感想を述べる前に「尋ねなさい」と言った女性だ。デッサンの解像度が悪いのが残念だが、良く読書していた彼女の姿が、我ながら良く描けたと思っている。読書をする時間が長いので、こちらは退屈して・・・声をかけて・・・・よく怒らせた・・・・。そんなに怒ることもあるまいにと思うことがしばしばであったが・・・・打つ手がないほど・・・だった。

仕方がないから、その一つとして、下のイラストを描いて、黙って差し出した。彼女はふっと一人笑いした・・・・私の勝ちだ。いつも女性にやり込められているわけではない!!どうだ!!

 

 「良い天気」160x230mm 黒インク ペン マット紙 1987

 

思い付きは、思いがけない自分の才能を発揮するが・・・描きかけだが「自分らしい絵」をついでに掲載しておく。

「ヘラクレス」160x230mm 黒インク ペン マット紙 (1987年頃)

正直、こういう構想画の一部こそ自分らしい創作が出来ていると思う。「自由」こそ素直で、意識の底から出てくるイメージがある。考えるのではなく、感覚を開放するのである。

 

 

 

 


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