CubとSRと

ただの日記

お前らに何が分かる!

2018年11月01日 | 日々の暮らし
 「祭りの後が日本はきれいだ、と外国人が褒めてる」
 とか、
 「いや、そんなことない。ひどいもんだ」
 とか、いろいろ言うけど。
 伊丹十三が
 「日本の観光客はマナーが悪い。西欧人の笑いものになってる」
 みたいなことをエッセイに書いたのはもう何十年も前のことだ。
 それが今は、世界で一、二を争うマナーのある素敵な国民、みたいに言う人も。
 しょっちゅう行ってるダム湖のほとりの駐車場。
 以前はバイク乗りを中心とするボランティアが、声を掛け合って年に数回清掃をする、という美風があったらしい。
 今は、「市の管理物」だからと言うことで、市の方から定期的に清掃にやって来る。
 たばこの吸い殻、缶ジュースの空き缶(中には飲みかけも)、弁当の空になったもの等、
 「よくもまあこんなに汚すなぁ」
 と思うくらいに捨てている。
 人気の場所だから、空き缶用のごみ箱が溢れて、仕方なしにそのそばに空き缶を置いているのは分かる。
 けど、他の人が坐るベンチの足元に飲みかけの缶、って。一体何なんだろう、と思う。偶々忘れたのかな?
 それにしては多いけど。
 ボランティアがやっていた時も、市の清掃担当がやっている今も、掃除した後はホントにたばこの吸い殻一つ落ちてないんだけど、すぐ汚れる。誰が汚してるんだ?
 以前にも書いたことがあるけど、風光明媚な地の環境保全に気を遣うのは、移り住んできたペンションやショップのオーナーなんだとか。地元の人間ではない。ごみを捨てないように、環境を汚さないように、といつも気を付けている。
 そんな一人が地元の人に
 「たばこのポイ捨てが環境を汚すことになる」
 、と言ったら
 「よそ者が!こっちはこの厳しい自然の中で生きて来たんだ。お前らに何が分かる!」
 と怒鳴られた、と。
 道理なんかない。「俺らの厳しい体験に比べ、遊び半分(と見えている)で良いとこばかりを見て。俺らのこれまでの苦労を見ようともしない。知りもしないでエラそうに」。
 でも、それがたばこのポイ捨てを正当化させる理由にならないから困るんだよね。
 そして彼ら地元民が営々として築いてきた厳しい自然の中での生活があったからこそ、今
 「なんて美しいところなんだ!点在する家々、切り拓かれた山肌の畑。人々の素朴な暮らし。そして美しい山並み!(ここなら商売になる)」
 なんて、感激して移り住んできたんだから。

 北海道の原野開拓だって、一家族だけがやって来てできたのか、と言うと、そんなわけはない。
 ステレオタイプに物事は判断できない。
 いや、判断してもいいけど、少なくとも「オレはちょっと考えてみる」と言いたい。
コメント
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