昨日、いつもの駐車場で日記を書いた後、帰り際、バイク店に寄る。
14950キロ。予定距離には50キロほど足りないけど、その辺は大目に見てオイル交換をお願いする。
前回は14000キロ。その前が12500キロ。
11000キロ弱でオイル交換をしてもらった時は、オイルが真っ黒になっていて、かなりドロドロみたいな感じだった。
(ん?誰のオートバイだってんだ?他人事みたいに。)
その時には劇的な変化があった、とここでも書いた。
そしてさすがに懲りて次は1000キロ。一回換えただけでは完全にきれいになるわけではないから。
「じゃ、もう一回換えたら?」
それだって洗浄するわけじゃないんだから、それに水じゃないんだから、当然汚れたオイルはそれなりに残っている。
ビックリの真っ黒オイルの次はそこまでひどくはなかったけどやっぱりそれなりに汚れていた。かなり改善はされたようだけど、「これでおしまい」終了、ということには、ならない。
だから、これからはもっと間隔を詰めて、キチンと換え続ける。
そうしていればいつか「水準以上」に、きれいには、なる。
生き物と同じだな。手入れをしなきゃ病気になる(不都合が出て来る)。
手入れをしてたって、いずれガタが来て廃車の憂き目を見ることになる。
「形あるものは全て壊れる」「万物は生々流転する」。
どんなに手入れをしていても、百年も二百年も生きてられない。バイクも同じ。
だったらせめて「大事に扱う」、か、「最大限の能力を引き出し、燃え尽きて灰に」してしまうか。
「無事、これ名馬」だ。
ならば、オイル交換ぐらいはちゃんとして、(自分じゃやらないけど)永く乗ろう。
二度目の交換時には、ドロドロの後ほどの劇的な変化はなかった。
ただ、心地良い排気音がはっきりしてきた。
三度目の交換ではエンジン音が軽くなった。
そして、今回。
オイルは全く汚れてない・・・・というようなことはない。それなりに汚れている。
けど、「廃油」という言葉を使うにはちょっと抵抗があるくらいの汚れ方。
そして、もはや「当たり前」程度の「ちょっと洗車してきました」、くらいの気分。
これからは1000キロ毎に交換してもらうことに決めた。
でも、これが普通に「手入れをする」、ということなんだろう。
我が身を振り返ってみる。
手入れしてなかった・・・・・。腰が痛い・・・・。
14950キロ。予定距離には50キロほど足りないけど、その辺は大目に見てオイル交換をお願いする。
前回は14000キロ。その前が12500キロ。
11000キロ弱でオイル交換をしてもらった時は、オイルが真っ黒になっていて、かなりドロドロみたいな感じだった。
(ん?誰のオートバイだってんだ?他人事みたいに。)
その時には劇的な変化があった、とここでも書いた。
そしてさすがに懲りて次は1000キロ。一回換えただけでは完全にきれいになるわけではないから。
「じゃ、もう一回換えたら?」
それだって洗浄するわけじゃないんだから、それに水じゃないんだから、当然汚れたオイルはそれなりに残っている。
ビックリの真っ黒オイルの次はそこまでひどくはなかったけどやっぱりそれなりに汚れていた。かなり改善はされたようだけど、「これでおしまい」終了、ということには、ならない。
だから、これからはもっと間隔を詰めて、キチンと換え続ける。
そうしていればいつか「水準以上」に、きれいには、なる。
生き物と同じだな。手入れをしなきゃ病気になる(不都合が出て来る)。
手入れをしてたって、いずれガタが来て廃車の憂き目を見ることになる。
「形あるものは全て壊れる」「万物は生々流転する」。
どんなに手入れをしていても、百年も二百年も生きてられない。バイクも同じ。
だったらせめて「大事に扱う」、か、「最大限の能力を引き出し、燃え尽きて灰に」してしまうか。
「無事、これ名馬」だ。
ならば、オイル交換ぐらいはちゃんとして、(自分じゃやらないけど)永く乗ろう。
二度目の交換時には、ドロドロの後ほどの劇的な変化はなかった。
ただ、心地良い排気音がはっきりしてきた。
三度目の交換ではエンジン音が軽くなった。
そして、今回。
オイルは全く汚れてない・・・・というようなことはない。それなりに汚れている。
けど、「廃油」という言葉を使うにはちょっと抵抗があるくらいの汚れ方。
そして、もはや「当たり前」程度の「ちょっと洗車してきました」、くらいの気分。
これからは1000キロ毎に交換してもらうことに決めた。
でも、これが普通に「手入れをする」、ということなんだろう。
我が身を振り返ってみる。
手入れしてなかった・・・・・。腰が痛い・・・・。