CubとSRと

ただの日記

一夜明けて

2018年11月15日 | 日々の暮らし
 昨日、日記に
 ・・・・・
 「けど、いつも言ってるように『楽しかった』んだろう?」
 と問われたら、
 (「楽しかった」かどうかは、そういうわけで)
 「まだ分からない」。
 そう言いながら、またツーリングに出ようと計画する。
 ・・・・・
 、と書いたので、一夜明けてどう思いが変わったかを書こうと思った。
 それで偶然、以前に書いた日記を見てしまったんだけど。
 何だか以前に書いたことで言い尽くしているような気がする。
 まあ、とにかく転載してみる。
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 天気を見誤り、進路を見間違え、それでも景色の中で、風にあたる心地良さに我を忘れてひたすら進む。
 そして目的地に着き、夢に描いた景色や味と、現実のそれ、とのギャップに驚く。多くは失望が胸に広がる。
 早い話が、素晴らしい景色は安っぽい新造の土産物店や傍若無人の神様連中(お客様、とも言う)のせいで色褪せ、期待していた食べ物は、「?」が頭の周りをぐるぐる巡り続けるような味だったりする。
 帰途。同じく風を割いて走りながら、左右に飛び去る景色の中で味も景色も忘れていく。
 帰り着いた時には失望感はすっかり失せて、帰り着いた気の緩みと疲労感だけが残っている。
 夢の方がいいか。
 一歩も出ないで、想像だけする。がっかりしたり嫌悪を感じたり、疲労感だけが残ったりするツーリングより、実感はないけど「良いこと尽くめ」の、夢の方がいいか。
 がっかりしても、嫌悪を感じても、疲労感だけが残っても、それらは全て「路上を走る、風の中にいる快感」に包まれていた。
 笑顔で「がっかりだぁ~」、「ヤな感じ」、と言っているようなものだ。心と体は裏腹だ。根底に充足感がある。
 確かに風の中に居る快感は何よりも大きい。何ものにも代え難い。
 フェラーリに乗ってのドライブを夢想するより、衆目を集めるド派手なハーレーでのツーリングを夢見るより、軽トラに荷物を放り込んで、そうでなければスーパーカブに雨具を括り付けて、目的地に向かって走り出してみる。そうやって全身で手応えを感じ取る。
将来を切り拓くヒントはそこにあるのだろう。
 (中略)
 何度も道を間違えて、十年ぶりに何度も通った店に入り、皿そばを十枚ほど食べて、そのまま帰ってきた。いつも通り美味しかったから、それでいい。
 他には何もしなかった。
 今、久し振りに出石蕎麦を食べた記憶が、フロントフォークが錆びて真っ白になったSRで風に向かっていった記憶と共に、ある。
 フジツボこそついていないけれど、カリブの伝説の海賊船「黒真珠号」みたいになった、フロントもドラムブレーキのSR。
 「夢」では、こうはいかない。

         2015年10月24日の日記

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 ちょっとぉ~~!センチメンタル過ぎない?
 自分でツッコミ入れたくなるくらい。赤面しそうだけど60半ばとなった今は、全く平気だ。
 とは言っても、これ、書いたのは三年前だから。
 
 
 
コメント
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