CubとSRと

ただの日記

考えられる間に

2021年02月12日 | 心の持ち様
 もう一つ、再掲します。
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「日本」の始まり

 考えてみれば神武創業の日(建国の日)、日の丸はなかったんですよね。
 けど、国の祝いです。国旗を揚げるのに何の問題もない。
 何より国旗の旗竿の上に付ける「竿球(かんきゅう)」、あの金色の玉ですが、あれが神武創業に直結しているんですからね。

 「神武東征」の最終目的地、大和の地に入る時のことです。
 強敵であるナガスネヒコ軍との最後の戦いに、後に神武天皇となるカムヤマトイハレヒコが大苦戦していると、金色に輝く鳶が舞い降りて来た。
 ナガスネヒコの兵はその輝く鳶の姿を見て、その眩しさに力が萎え、みんな地に倒れ伏してしまった。
 そうしてイハレヒコは大和に入り、橿原の地で初代天皇、神武天皇となる。

 その時の、イハレヒコの持つ弓の先に舞い降りた鳶(鵄)が金色の光を放ったという事で、その鳶のことを金鵄と言い、旗竿の上にある球は、この金鵄をあらわすものとされています。

 さて。これを一つ。

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     「国体(國體)護持ということ」

                           2013年 2月08日

 「国体(國體)」と「国家」は違います。

 国体(國體)とは国の成り立ちから見る「国の在り方」。
 国家は「国という組織」、です。現時点での「組織そのもの」、です。

 そこには性格や志に深くかかわる「国体(國體)」という思惟は係わってきません。
 だから、「国体護持」という言葉はよく使われても、「国家護持」、という言葉はあんまり見掛けないでしょう?
 護るべきは「志」・「いかに生きるべきか」という「心」であって、「組織」ではないのですから。
 組織は手段であって目的ではない。だから、「国体護持」。


 「紀元節」、或いは「建国記念の日」というのは、その日に「国の志を考える」、「日本はいかに発展すべきか」を考えるための祝日です。

 「志」、「いかに発展すべきか」を考える上で、「始まり」「初め」を明らかにすることはとても大事なことです。
 「はっきりしないから、この辺にしとこうか」
 、なんてことじゃあ経路が見えませんから未来を考える手立てになりません。

 
 「5月3日。日本は新憲法を持った。ここから『新しい』日本が始まるのだ」
                             by社会党
 「これまでの日本はなかったことにして~」・・・?冗談じゃない。

 「4月28日。サンフランシスコ講和条約が発効する。この日、日本は独立国になったのだ。」
     by公明党
 これはもっとひどい。戦争に敗れるまでの、我が先祖が営々として築いてきた日本は全て否定するという事になります。

 「憲法十七条が聖徳太子によって書かれた日」
                 by民社党
 憲法に拘っているのは分かりますが、何故、憲法の制定を以て建国とするのか。じゃあ、聖徳太子以前は「国」ではないのか。

 「まだ、建国されていないから、制定できない。」
                 by共産党
 これは、何をか言わんや、です。初めから、論外。


 昭和26年、吉田茂総理が紀元節の回復について予算委員会で発案。
 昭和32年以降、39年まで、計7回、毎年のように自民党から「国民の祝日法改正案」として国会に提出されたが、そのつど、野党の反対で廃案に。

 40年、政府立法として提案されるも、廃案。
 41年、日付は別、として、自・社・民社の共同提案による修正案で可決。
 後、公明党も賛成。
 (共産党は「まだ国家創建を勝ち取っていない」として反対。)

 法案としての提出からでも9年間。
 吉田首相の発案から数えると、実に15年かかって、名称を変え、やっと成立させられたのが「建国記念の日」です。
 こういう色んな考えから制定案日を出す各政党を相手に、ですから、本当に自民党は孤軍奮闘といった趣があります。

 しかし、今、多くの人々はこんな感想を持っているんじゃないでしょうか。
 曰く
 「『建国記念の日』?『建国記念日』じゃないの?」
 「何でわざわざ『の』、なんて入れてるんだ?おさまりが悪いなあ」
 「そんな中途半端なことしないで、『紀元節のまま』でいいじゃないか」

 でも、そうではないのだ、「紀元節」という名称は使えなかったのだ、「建国記念日」では成立させられなかったのだ、宮家までもが反対なさったのだ、等々を書いて来ました。
 そして、次の引用文です。

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 ~「二月十一日」は、戦前、「紀元節」と呼ばれて盛大な祝日でしたが、大東亜戦争敗北の結果、占領軍によって廃絶されたことは有名な話ですので、いま改めて述べません。未曾有の大戦に敗れ、遂に外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても、その後、もしも祖国「日本」の「建国」を記念する日を、国民みずからの手で、新たに敗戦の日や、戦後の或る日に決められたとすれば、それは堪えがたい恥辱であり、亡国の残民として、首陽山に隠遁とまでは申しませんが、少なくとも私自身は大学における歴史の教壇を去る覚悟でありました。

 「建国記念の日」をめぐる論争
 (一部のみ、転載)
                (田中卓評論集4  第二十章より)

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 「外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても」
 日本の「建国」を敗戦の日や戦後の「或る日」に決められたとしたら、恥辱であるのは言うまでもないが、更に私は(それまでの日本はなくなったということなのだから)亡国の民となるのだ。
 (国を失った者が、一体、何の歴史を教えるのか。だから)教壇を去るしか選択肢は、ない。

 正しい歴史認識を持ち、伝統を次代につなぐ。「統」を伝える。それが歴史学者の仕事だ。
 しかし、「建国記念の日」を敗戦後の日、とすると、統は途絶える。

 「日本の国を護る」ということの主は「日本の国(の在り方)を(国民に)正しく伝える」ということです。
 そのためには、確かに、武力、経済力等の攻撃から、「国を守る」ための手段も必要になってくる。

 けれど、繰り返しますが、「本(もと)」は伝統を正しく伝えるということです。
 隣国のように、本末が転倒してしまって、「国民の胃袋を守るために」武力、経済力で国を守る、となったのでは、他国は傍迷惑なだけです。

 伝統を正しく伝え、継いでいくために、我々国民は何ができるか。


  ~2014年2月11日の日記
              「雲にそびゆる高千穂の」より~

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           (転載了)

 そうそう、思い出しました。前回の日記に
 「~一族が支配するのではなく、みんなを同族とし、族長は天皇という名の神官となる。」
 と書きましたが、この転載文の初めの方に書いたナガスネヒコ軍、ナガスネヒコも、同じヤマト民族なわけで、現在もその子孫を名乗る人々があるそうです。
 決して大虐殺なんて行われなかった、ということですね。

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 「国があるから国家間で悶着(戦争)が起こる。だから国なんかなくしてしまえばいい」、という考え方があります。そしてその考え方がここ数十年で随分勢力を拡大してきている。グローバル化ってやつです。LGBTQなんてのはその延長線上にある。
 言いたいことは分からないでもない。しかし、彼らは大事な問題を考えていない。それは「人間は人として生まれるが、人間として育てられ、人間として社会に参加し、社会を形成していく存在である」ということです。
 「世界を形成する『ヒト』という生き物」である期間は全くない。生まれた瞬間から「社会を形成する『人間』という存在」であり、人間として一生を終える。それが人間の在り方です。そしてその『人間』は、それぞれの『国』という社会に所属し、そこで人間となる。目の色、肌の色、骨格、身長等々その社会の中で、それぞれに考え悩み個々に結論を出して、それを以て社会に飛び込んでいく。その大事な生育期間あってこそ、人間です。日本人は日本人、アメリカ人はアメリカ、朝鮮人は朝鮮の、それぞれの考え方、生き方をまずは学んでこそグローバル化に踏みだすことができます。
 
 蛇足ですが。
 神武天皇の弓に金色の鳶が舞い降りて、金色の光を放ったためナガスネヒコの軍はその眩しさに力が萎え、みんな地に倒れ伏してしまった、という話。
 その時の金色の光条を日の丸と併せ、図像化したものが旭日旗である、と考えたら、旭日旗が陸・海軍の旗とされたこと、ごく自然の発想と思います。
コメント
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