CubとSRと

ただの日記

 「禁煙を破った夢」

2021年02月22日 | 日々の暮らし
 昨日の「始めなければ始まらない」から思い出した「初め」や「きっかけ」について以前に書いた日記です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「禁煙を破った夢」 2015.10/11 (Sun)

 タバコを喫っていて、ふと気が付いて
  「あ、禁煙してた筈なのに」
 、と思う。
 そして、何気なく胸のポケットを見ると、ちゃんと煙草の箱が入っていて、それが半分近く減っていて、
 「ああ、そんなに前から、気づかないで禁煙を破ってたんだな。挫折だな、カッコ悪い」
 、などと思う。

 起きて数十分経ってから、そんな夢を見ていたことを思い出す。
 そして、改めて「カッコ悪い」「未練たらしい」、などと思う。
 「まだ喫いたいと思ってるのか、情けない」。

 タバコをやめて十年近く経った頃、まだ時折そんな夢を見た。
 時折ながら、そんな夢を繰り返し見るうちに、起きると同時にタバコを喫っている夢を見ていたことを思い出すこともあり、そんな時には決まって喉の調子が悪いことに気が付いた。

 おかげで、
 「未練からタバコの夢を見る」、或いは「喫いたくなって喫っている夢を見る」
 のではなく、
 「タバコを喫っていた時の喉の状態に近い感触を覚えた時、タバコを喫っている夢を見るのではないか」
 と思いついた。
 タバコに関しては、止めてから三十年余り経った今、さすがにそんな夢を見ることはなくなった。

 ベッドから落ちる一瞬の間に長い夢を見た人がいるそうだが、これも実は本末が転倒しているのかもしれない。
 意図して夢を「見る」のではなく、記憶を呼び起こすだけの話ではないか。
 落ちてから夢の目次を作り、目が覚めてから目次通りに記憶で話を紡ぎ出している可能性が高い。

 そう考えると、何故「いろいろな準備ができてなくて慌てふためく夢」を見るのか、というのも、今現在の生活の中で、「やらなければならない何か」が常に心に引っ掛かっていて、ということなのかもしれない。

 年金暮らしでそんな「常に心に引っ掛かっているもの」、なんてことがあるものか、とも思ったりするが、逆に、だからこそやりたくてもやれない、或いは、やらなければと思いながらも手を付けず、徒に時を過ごしていることなんかが原因では、ということを考える。

 優雅な年金暮らしといっても、安心できるほどの金が常に手元にあるわけではない、いくら焦っても、働いていた頃の数分の一の金が、それも二ヶ月に一度しか入ってこない、ということなんか、その最たる原因だろう。
 
 別な理由は?と考えると、もう一つある。
 「日記を書かなきゃ」「ブログの下書きを作って置かなきゃ」、という強迫観念(大袈裟だけど)もそれなんじゃないかと思う。
 時間はたっぷりあるのに「色々な事情」にかまけてなかなか取り組めない。
 けれど、その焦りの基になる「色々な事情」というやつが、世間一般には通用しない、或いは「何、甘えてんだ」、と蔑笑されかねないものだったとしたら。

 そういう風に書きながら考えてみると、
 「じゃあ、何ができるのだ?」
 というところまでは辿り着く。

 こうやって日記に書いてみれば、徐々に見えてくるものがある。
 急かされて、強迫観念に駆られて、
 「今、何かをしなければ!今、行動し、声を挙げなければ!」
 などといくら焦ったって、作り上げた能力を持たない者にできることとは一体何か。

 気が付いたのなら、はやる心を抑えつつ、地道に実力を作ることに力を注ぐことしかないのではないか。
 思いついたその瞬間から、日記の一行、腕立て伏せの一回、素振りの一つでも始めることが大事なのではないか。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする