CubとSRと

ただの日記

「老害 (国は簡単に潰せる)」

2021年02月13日 | 心の持ち様
 読書感想文は読み終わってすぐ書くものじゃないな、と、何となし実感したのは二十歳を過ぎてからだったのだから、まあ、年齢の割に精神年齢は幼かったと言える。
 
 いやいや、今になっても外見はともかく内実は子供向けの小説だって「面白い」だけで読めてしまうのだから、あの頃(二十歳前)と比べていくらも進歩してないのかもしれない。

 そんな精神年齢であっても外見だけは歳をとった。それなりの「社会的常識」とやらいうものも持っていなければならない。(持ってないけど)
 持ってなくても持っているような振りをして生きていかなきゃならない。
 それは自分が笑われるというより世の中のバランスを崩すことになるからだ。大人は大人として一応認められることが、若者にとって実は必要なことなのだ。

 大人を若者がバカにしている間は良い。けど「因果は廻る糸車」、だ。その若者が大人になった時、今度は自分がバカにされる。間違いない。
 この悪循環の生み出すものは伝統文化の「軽視」であり、「衰退」だ。

 「えっ?大人をバカにしていた自分がバカにされるようになったら、何で伝統文化まで、となるんだ?」と思いましたか?
 伝統文化を赤ん坊に教えられることはない。長年かかって(修業を重ねて)伝来のものを受け継ぎ、そこに自分の独創を重ねて後生に託し、後代に伝えていくものなんです。
 バカにしている年長者から学び取れますか?例のマルクスやエンゲルスのように「批判的に受けとめた」としたらそれは革命につながります。
 革命は伝統文化の継承を否定するものです。
 バカにしている年長者からは学び取れず、しばらく経ったら今度は自分がバカにされる。
 「ほら、オレが習ってやるから教えてみろよ」
 これが「バカにしている人から物を習う態度」でしょう?まともに学べるわけがない。
 学級崩壊の教室から優秀な生徒は絶対育たないし、学園紛争の闘士が高い精神性を以って、卒業後、国をより高い方向へと導く・・・筈がない。
 また脱線しました。

 では、伝統文化を軽視し衰退させることはそんなに問題なのか。
 大問題です。
 何故なら「国」というものは伝統文化そのものといった面があるからです。
 全ての伝統文化を衰退させ、揚げ句に破壊廃棄していった後に残るのは「日本」ではない。名前は残されていても既に日本ではなくなっている。

 というわけで、いい歳してるんだから
「いい歳してる分別のある大人」のふりをしなきゃいけない。
 で、その演技をしていると少しずつでも大人の中身が備わってくる、と。

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 「学ぶ」のは「それ」に関しての実力がないからです。
 だから教える方と教えられる方の間には、当然「一日の長」どころではない力量差がある。
 人というものは「一を聞いて十を知る」、なんて滅多にない。普通は一を聞いて一、知ればいい方。それだってコンピュータ並みですからね、大したもんです。
 人によっては私のように「十を聞いて一を知る」みたいなのもいる。つまり簡単に「学ぶ」「習う」と言ったってそんな生易しいものじゃない。
 何かにつけてそうである、と考えたら、何にしても年月を重ねて何かに取り組んでいる人がいたら間違いなく若者より力量があると考えるのが普通でしょう。
 そんな老人を「老害」と呼ぶ姿勢から何かをまともに習い、老人を越えていくものが生まれるものだろうか。
 そんなことを思いました。


コメント
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