CubとSRと

ただの日記

遅ればせながら「神嘗祭」と「新嘗祭」

2020年11月23日 | 心の持ち様
 何度再掲したか分かりませんが、やっぱり何度目でも再掲、をしようと。
 今更ながらですが。

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 神嘗祭(かんなめのまつり・かんなめさい)
 2012.10/14 (Sun) 
  神嘗祭は「かんなめのまつり」「かんなめさい」などと呼ばれます。
 この「神嘗祭」があって、「新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい)」がある。

 祭事があって、それを継ぎ、忠実に実行するのが政事、というのが日本の古来からの国の在り方でした。
 この祭祀を執り行うのが天皇であり、神嘗祭、そして新嘗祭の全ての準備を執り行うのが政事。そう考えたら良いかと思います。

 世界中にこの形を採る国は多かったでしょうが、現在この形を採る国はほとんどないでしょう。そして、少なくとも二千年以上続けてそれを行い続けているのは我が国だけです。これは奇跡と言っても良いことです。

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 さて、今日は10月16日。神宮の神嘗祭(かんなめさい)が始まるのは、今日だったか、明日だったか。
 「嘗(なめ)る」というのは、「召し上がる」。神様が今年の新穀(本当の初穂、ですね)を召し上がる祭りです。

 これから一ヶ月。11月23日が「新嘗祭(にいなめさい)」。天皇陛下が同じく「今年の稔りを感謝され、神とともに召し上がる」という祭りです。
 これには「新嘗」という形で「神様への感謝の気持ちを、国民の代表(祭主)として表わす」意味があります。
 正に、祭祀国家の面目躍如、といった祭りです。

 ところが、皆さん御存知のように11月23日は「勤労感謝の日」とされています。
 何故、11月23日が「働く人々全てに感謝を」となったのか。
 「日本人が知ってはならない歴史」の著者である若狭和朋氏の表現によれば、GHQによる「追撃戦」の一つの形であることに、間違いないようです。

 戦前の日本人は、何かにつけて、暦を頼りにしてきました。正月三が日、更衣から、年末の大掃除に至るまで、本当に全国民、申し合わせたかのように、何でも暦のとおりに行なって来ています。
 それが、最近は休日ならば何でも同じ、みたいなところがあって、現に、「祝祭日」と一口に言うのは良いけれど、祝日と祭日の区別がついていることを、知らない人の方が多くなりました。

 祭日は皇室を中心にした、国家の祭りの日であり、祝日は記念日を含む、「祭り」ではない日。
 それに加えて、今回、政府はもっと極端なこと、言ってましたね。日本を地域に分け、各地域ごとに休日として、祝祭日をまとめてしまう、とか。
 これは、休みを取りにくいからとか何とか、まことしやかな説明をしていますが、間違いなく、結果として日本から「祝日、祭日」を取り上げよう、そして、「休日」という意識だけ残そう、という発想です。
 「祭日」をなくすことによって、皇室廃絶の準備をすることにつなげているのは、自明の理、です。
 つまり、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」とするのは、「追撃戦」の延長線上の計画だ、ということです。

 「GHQがなくなって、何年経ったと思ってるんだ?陰謀論も大概にしろよ」と思っている人、多いでしょうね。
 でも、「陰謀」はコミンテルンの専売特許みたいなものです。

 歴史的事実をつなぎ合わせて、筋道を見出し、それから筋の通った考え方を発見し、実生活での思考の役に立てる。当たり前のことです。
 そうやって手に入れた思考の形で、我々は日々の生活を成り立たせています。
 歴史とは教科書に載る載らないではない。GHQが始めたから、といって、GHQがなくなった今も、それがそれなりの筋道を持っていたとすれば、それは必ず後世に伝播します。
 正しいとか、間違っている、とかは全く関係がありません。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を思い出せば、簡単にうなずけることです。
 その事実に、捏造された部分があれば、抽出される考え方は、全く違った結論を導き出すことも出来ます。
 更には、考え方の根は、「理」であるべきですが、孔子でさえ「心の欲するところに従ひて矩をこえず」となったのは、七十を過ぎてからだったでしょう?

 つまり、一般的には考え方の根が、「理」、でなく「情」になっているのです。
 どんなに立派なことを、日頃言っていても、些細なことで怒ったり笑ったり、悲しんだりするのが普通の人間。哲学科で、熱心に勉強している大学生だからといって、殺人なんか絶対にしない、とは言い切れない。
 GHQが始めたことは、GHQがなくなっても、それを支える(手足となった)人々が継承、発展させて行きます。
 捏造した部分が明らかになれば、結論は百八十度違った方向に行きますが、それをさせないように、更に堅く口をとざす。或いは恥の上塗りならぬ「嘘の上塗り」をすることによって確固としたものにしていきます。
 (南京大虐殺は初め数万、次に十数万になり、二十万、三十万、ときて、今は四十万以上になっています)

 イメージからすれば木型の上に紙を貼り重ね、木型を外した、といったようなものでしょうか。
 本体はないのに、嘘の形が、さも本物のような顔をしている。「嘘も百回つけば真実に」です。
 
 GHQの中身(構成員)がマッカーサーの思いとは全く違った、コミンテルンそのものであったことを考えれば、容易に「理解は」、できることです。
 そして、それは、大学の、「社会主義思想学者による席捲」と、師範学校の廃止、普通大学卒の社会主義思想教師の激増により、悪名高き日教組教育へ、とつながっていきます。

 けれど、忘れてはならないこと。
 広がるのは教育界だけではない。法曹界もそうでしょう。裁判所、弁護士で、社会主義思想の持ち主はどれだけの比率なのか、想像できますか?そして、報道の世界では。だったら、経済界も?と思うのが普通でしょう?

 「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことは、「天皇が、農民に感謝をする日、から、全ての労働者に感謝をする日に改めよう」との理由からということになっています。
 一瞥しただけでは、成程、と見えます。でも、ここには、巧妙に仕組まれたトリックがあります。
 「天皇が国民に感謝する」という言葉です。
 これ、最初に私が書いた「神への感謝」が入ってないでしょう?
 「天皇とは支配者のこと」、と、まるでサブリミナル効果のように思い込まされる。それによって、「農民だけでなく~」という展開につながる。

 支配者と、被支配者の意識を持たせ、敗戦後は「国民の総意で天皇が存在する」と、国民を天皇の上位に置き、国民の意志を変えることで、天皇廃止、皇室の廃絶につなげていく。

 道理を辿ったら、「勤労感謝の日」という言葉だけで、ここまで来てしまいました。
 常に「そんな程度のことで」と、看過してしまいがちなことの中に、「ジパノフォビア(日本嫌い)は、確かに隠れています。 
 
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出石(いずし)へ。

2020年11月22日 | バイク 車 ツーリング
 11月17日

 12時に寝て6時に起きる。天気は良過ぎるくらい。
 今日は何も食べないで出るのも良いか、と思っていたが、考え直して林檎を一個。
 ・・・・というのが、寝る前の算段だった。

 起きて、わりと念入りにストレッチをして、林檎を食べて・・・。
 ここまで昨晩の計画通り。
 が、ここで終わらず、「折角、昨日買って来たんだから」、とバゲットを四分の一。焼かず、ほどほどの厚さに切って、昨夕作ったハッシュ・ド・ビーフ(ただし、ビーフは入ってない。入れたのは鶏肉)を温めて、しっかり食べて出たのが8時20分。
 
 正午を回って出石に着いた。
 クルマで行ったのは初めてだったので、ちょっと心配だったが、その心配より、いつも行く店の場所が分からなくて辰鼓櫓(しんころう)の方まで行ってしまったのが残念なこと。
 ただ、近くの駐車場(町営)の案内板を見たので、もう大丈夫。
 (ところで『辰鼓櫓』ってのは『しんころ』としか読めない。けれど、土地では『しんころう』と呼んでいる。『なら、辰鼓楼って書けよな』と常々思っていた。それが今回行ったら『辰鼓楼』という三文字が目に入った。こうなると「いや、だからね、『楼』は変だろ?実際、『楼閣』じゃないんだから。ただの『櫓(やぐら)』なんだから」と、また横車を押したくなる。『しんころ』は言いにくい。『じょおう』が『じょうおう』になるのと同じく、其の方が言いやすいからそうなってしまった、つまりは訛りだ、と分かってはいるんだけど。)
 
 出石名物の「皿蕎麦」を食べて帰ってきただけ。(いつも、それが目当てなんだけど)
 11月も半ばを過ぎているのに、暑いくらいだった。
 ただ、何だか物足りない。いつもと同じく皿蕎麦を食べに行って、いつもと同じく十枚以上食べて帰ったわけだから、口、とんがらせて文句言う筋合いじゃないんだが。
 出石城跡へ行かなかったから?いや、今までだって一度も行ったことはない。自慢じゃないけど。
 土産物を買いにそこらを歩き回らなかったから?いや、今までだってそんなことをしたことはない。
 やっぱり車をどこに駐めるか、悩まなければならなかった分、負担になっていたからなのか。

 それで帰途に就くだいぶ前から、一週間後に改めて今度はSRで来ようか、と思い始めた。
 と言っても、来週は義兄の家に行かなきゃならないし、腎臓病予防の講習会はあるし、歯医者に行かなきゃならないし。
 なので、来週の土曜日以降。
 別件で今月末から来月初めにかけて、の、どこかで朝来まで行こうと思っているし。色々考えてみることができる、ってのは楽しいんだけど。
 

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まだご存じでない方も多いのではないかと思います。

2020年11月21日 | 日々の暮らし
メルマガ「週刊正論」令和2年11月21日号
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【元朝日記者植村隆氏の敗訴確定】

 元朝日新聞記者の植村隆氏が、慰安婦問題で書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版社に謝罪広告の掲載と損害賠償を求めていた訴訟で、最高裁第2小法廷は植村氏の上告を退ける決定をしました。
 請求を棄却した1、2審判決が確定したことになります。
 月刊「正論」平成31年1月号では1審判決のポイント解説をしましたが、改めてご紹介します。

 植村氏は平成3年8月11日付朝日新聞大阪本社版社会面トップで「思い出すも今も涙韓国の団体聞き取り」との見出しの原稿を書きました。

「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した…女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた…」

 記事には明確に「連行」とあります。日本軍による慰安婦の「強制連行」を示唆しながら、後段では女性が「だまされて慰安婦にされた」と人身売買を示唆し、だました主体は誰か記されていませんでした。

 慰安婦となった経緯について女性の説明は変わり、「母親によってキーセンの検番に売られた」(韓国紙報道)や「養父」や「継父」あるいは「義父」に連れられて慰安婦になった、と述べました。

 櫻井氏はそうしたすべてに目を通したうえで、女性が慰安婦にされたのは日本軍による強制連行ではなく、実際は人身売買だったとの経緯を知りながら、植村氏が事実とは異なる記事を書いたのは「捏造」だと批判したのです。

 30年11月の判決で、岡山忠広裁判長は「櫻井氏が、植村氏が事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」として具体的には①女性が継父による人身売買で慰安婦にさせられた経緯を植村氏は知りながら、女性をだました主体や慰安婦にさせられた経緯を報じなかった②植村氏は慰安婦と女子挺身隊が無関係と知りながら敢えて、女性が「女子勤労挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行されたと報じた③義母の訴訟支援が記事の目的だったのではないか、あるいは自ら執筆した記事について説明をしないまま、大学教授に転身しようとする植村氏を批判した櫻井氏の記述について「論評の範囲を逸脱しているとはいえない」―としました。

 1月号では、最後にこう書きました。
「徴用はつい最近まで『強制連行』という言葉に置き換えられてきた。多くのメディアは慰安婦と挺身隊をごちゃまぜにしたり、『従軍慰安婦』という『造語』を弄びながら糾弾を続けた。これは今、『募集』『官斡旋』などと峻別せずに『徴用工』で括る手法と全く軌を一にするものだ。『第二の植村隆氏』を生まないためにも…メディアにも曇りない公正な判断が求められよう」

 植村裁判はひとまず終わりましたが、慰安婦問題、いわゆる「徴用工」問題はまだまだ終わる気配がありません。韓国は北朝鮮も巻き込んだうえで、これらの問題の解決を日本に迫っています。日本国内にはこれに呼応する動きもあります。 いわれなき非難や中傷に屈するわけにはいきません。
    
    (以下略)

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 「従軍慰安婦」というとんでもない言葉や、更には「日本軍の性奴隷」などという言葉までが作られた元は、戦時中の「女子勤労挺身隊」という言葉を、
「女子が身を挺してできる仕事と言えば慰安婦くらいしかなかろう」という思い込みによる蔑視から誤解・誤認した辺りにあると思われます。
 そして韓国に「挺身隊問題対策協議会」、略して「挺隊協」という団体が作られ、問題はどんどん大きくなっていきました。
 それが「女子勤労挺身隊は慰安婦とは全く関係がない。『女子挺身隊』に『慰安婦』の意味などない」という長年の抗議活動の結果、さすがに強弁するのは無理と悟ったか、「挺隊協」はいつの間にか「正義記憶連帯」という名前に変わってしまいました。
 いつから変わったのか、新聞やテレビで報道されたことありましたっけ?特に昼のワイドショーなんか。言ってたかな?
 
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もやもやする

2020年11月20日 | 日々の暮らし
 11月13日

 昨日は6時半くらいに目が覚めたものの、起きたのは7時を回っていて、早朝散歩は三日目にしてあえなく挫折。
 それを引き摺って(?)か、何もしないうちに時間を過ごす。いや、時間が過ぎてゆく。
 
 2時近くになって、やっとコーヒーを買いに神戸駅近くまで出る。
 それだけで動いた気になって、夜は酒。
 この日は珍しく惣菜店に寄らず、コーヒーを買っただけで帰ったから、酒の肴を作らなきゃ飲めない。とにかく食い意地が張っているので、「親指一升」の酒仙(?)には決してなれそうにない。いいことか悪いことか分からん。

 一昨日買った鮭の切り身で、ネットを見て「ムニエル」とやらを作る。
 で、その後は散歩にも行かず、酔っ払って気持ちよく寝る。
 ・・・・という予定だったのだが、実際に寝たのは1時半もだいぶ過ぎて、2時近かったのではないか。

 実は、今日は蕎麦を食べに行こう、と思っていた。SRにするか、クルマにするか、で一週間近く迷っていたのだが、数日前コペンにしようと決めた。
 けど、今朝起きたのは8時半。

 それでも行けないわけではない。が、晴天の筈が今にも降り出しそうな曇天。昨日は二階の窓から小豆島がよく見えていたから、これまでの経験からすると今日か明日は雨になるかもしれない。
 天気予報を見ても、どこにも雨の予報は出ていない。しかし、重苦しい空だ。
 降るかもしれない。降らないかもしれない。けれど雲の動きは蝸牛の如く、で急に晴れ渡る気配は全くない。鉛色の沈んだ空の下、片道三時間かけて走る気はどんどん薄れていく。

 そうこうするうちに10時を回る。「もはやこれまでと諦めて」、じゃない、「今日のところは中止」ということにした。
 行くなら、明日か明後日。
 そうなると、また、SRかコペンかで悩むことになる。

 う~ん。準備していたけど、明日ならSRの方が良いかな、来週早々にリアタイヤ、交換してもらうつもりだし。
 交換前の、リアタイヤの卒業ツーリング?いや、タイヤを交換してもらってから慣らし運転を兼ねて行く方が良いか。

 11月14日
 今日は晴天。だが起きたのは昨日ほどではないけれど、7時をだいぶ過ぎていた。何となく出る気がしない。
 ・・・・とモヤモヤしているうちに、ストレッチもしないうちに9時半になり、10時になった。このまま「世界の快適音楽セレクション」を聴いていたら11時になってしまう。

 ということで、渋々起きたものの、結局何もしないまま、一日を終えてしまった。ホントに何もしなかった、という罪の意識(?)から、せめて一つくらい何かをしよう、と延びてしまったパジャマのゴムを交換した。それだけだ。 

 この分では、一体いつになったら出石に行くことになるか。
 まあ、十二月の初め辺りが最後のチャンスだろうなあ。それを過ぎると雪の心配をしなくちゃならないから、本当にアウト。

 無職老人はそういうわけで、ただもやもやしている。
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忖度はどこにでもある

2020年11月19日 | 日々の暮らし
 以前に書いた日記。
 安倍総理が靖國神社に参拝したとき、早速に全方位報道(?)でどこかの新聞社が隣国や太平洋の向こうの国へご注進しました。
 その時のアメリカの反応について。
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「切り取り」だけで納得しちゃいけませんよ。
                   2013.12/27 (Fri)

 私は英語がからっきしなものですから、アメリカの発表した
  「失望した」
 という表現に騒いでいるマスメディアの報道ぶりに、
 「こりゃあ、予想外の反応だったんだろうか。安倍総理、これまでの行動を見ると、周到な準備の上の筈だが。アメリカへの連絡を全く取っていなかったとしか思えないような反応だなぁ」
 などと思っていました。

 それが或る人の日記に、アメリカの声明文が載っている。それも日本語で。素晴らしい!
 読んでみましたよ。びっくりです。短いんですね。
 さて、その内容なんですが。
 これ、米国大使館が、ちゃんとHPに和訳したものを載せてるんですね。知らなかった!
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 安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明

 2013年12月26日

 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。

 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。

 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。

  http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html

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  以上。

 ね?短いでしょう?
 確かに「失望した」という表現は、ある。
 でも、その全文を見ると、どんな感じですか?
 「大切な同盟国であり、友好国の日本の指導者が緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望した」
 確かに苦言を呈していますね。

 ヨーロッパ言語の特性として、初めに結論を言い、それから理由を言う、その際、理由を羅列して相手を説得する(納得させる)、というのがあるのですが、この声明文も当然その形を踏襲しています。
 (ついでながら、日本語は逆です。理由を色々言いながら相手の様子を見て、結論を言う時間、頃合いを見る。だから「話は最後まで聞かなきゃ分からない」、となる)
 「失望した」の後には?
 「だから、『~』をすることによって、信望を回復してほしい」
 となるのが基本パターンでしょう。『~』の中には、そのための具体策が入ります。
 見ると、型通り、具体策が挙げてある。

 「過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進すること」。
 
 「いい方法を考えて、仲良くし、平和と安定のために協力し合って」、ほしい。そういうことが書かれてある。
 「日本には失望した」というのなら、「日本はこうすべきだ」、と書かれてある筈です。
 ところが、ここには「日本と近隣諸国が」、と書かれてある。
 意外にこんなところを見落としているんですよね、マスメディア。
 いや、きっとわざと見落としているんでしょうけどね。

 早い話が。
 「もっと仲良くしてくださいよ。そんなじゃ、安心して商売できないじゃないですか」だけの話で、どっちにもいい顔をしたい、商売人としてのアメリカの顔を見せただけじゃないですか。

 そして、最後の一文。
 「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。」

 「首相は過去への反省と日本の平和への決意を再確認せよ」・・・とは書いてないでしょう?
 「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。」
 首相の発言に対し、「注目する」、だけなら「これから凝視するぞ」ということになるけれど、「再確認する表現に注目する」、というのは、既に首相が発している言葉を、肯定するということです。

 初めに、「失望した」と言い、
 次に「仲良くしてほしい」と言って、最後に
 「日本の言っていることは肯定する」という文の流れではありませんか。

 「今までになかった厳しい表現だ。どうしよう、どうしよう~~」
 って、困惑し騒ぎ立てることで、喜ぶのはだ~れだ?
 勿論、アメリカではありませんよね。


 付記
 今朝の宮崎正弘氏のメールマガジンに「安倍首相の靖国参拝と吉田松陰」
という文章が載ってました。
 一部のみ、転載します。

 宮崎正弘の国際ニュース・早読み(安倍首相の靖国参拝と吉田松陰)
 
                 (略)
 
 同日午前11時32分、首相はモーニング姿で単身、靖国へ詣でた。閣僚を伴わず、僅かにSPだけが随行した。
 中国、韓国、米国が反発し、安倍首相を批判したが、これらは通常よりも弱々しく、抗日デモさえなく、いかに一部のカルト的反日組織だけの仕業であるかが分かる。
 中国では劉延東が日本の政治家との会談をドタキャンしたくらいである。

 とくに米国の「失望した」などとする声明は在日大使館が用意したものであり、本国国務相の見解でもなければオバマ大統領のコメントもなく、おそらく在日アメリカ大使館に巣くう民主党左翼リベラルたちの蠢動の結果であろう。

                (以下略) 
コメント (2)
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