もぐらもちの写真散歩

写真がメインの散歩日記です。古い写真も紹介します。

20120509 平泉-中尊寺 11 Carl Zeiss Biogon T* F2.8 25mm ZM

2012年05月18日 08時04分01秒 | コシナZM Biogon 25mmF2.8

 (05/09)は岩手県平泉「中尊寺」に。春の中尊寺を撮りに。
 売店の向こうに弁慶堂の入り口が?明日への入り口、一枚はみ出し?
 一日の最後は?原子炉の話?停止中の安全と稼働中の安全について。
 先ほど、NHKのnewsに出演していた野田総理がいみじくも言った。停止中の原子炉と言えど決して安全ではないと。野田総理が言った言葉については、原子炉内、使用済み燃料保存プールの中の放射性物質が完全に処理されない限りはと言う範囲だと思う。必要にして最小限の認識だと思う。一国の総理としては安心できるレベルかな?つまり、原子炉という物は、稼働中であろうと、停止中であろうと、放射性物質がある限り危険な存在であるという認識が基本的基礎的な知識の出発点なのだ。放射性物質がある限り、半減期を超えてほとんど無害であるという状態に至るまで人間の管理下に置かなければならないと言う共通認識が解決への第一歩となる。
 原子炉の稼働中であっても、停止中であっても、しっかりした管理下にある物ならば。基本的な危険度はほぼ同じと考えられる。頭ではわかっても、心理的には稼働中の方に不安を感じるかもしれない。既に熱を発生している訳だから、よりメトルダウンに近いと言えなくもないし、燃料ケースの高温で水素の発生にも近いかもしれない。それもこれも、核燃料が管理下を離れてしまうことによる暴走であることに代わりはない。積み上げられている古タイヤが自然発火してしまうことがある様に、管理下にない核物質が暴走してしまえば結果は同じことになります。現象を論理で捉えれば、大同小異、五十歩百歩。十分管理できる状態におかれるか否かにかかっていることに代わりはないのです。そして、管理にかかる費用について述べても、ゼロになることはないし、無限になることもないのです。要は、いかに核燃料とその使用済みの物質を管理下に置き続けるかにかかっている訳です。
 私見を持って考えれば、利用できる物を利用せずにお蔵入りさせることは、人類にとっての負担をただ担うだけになってしまいます。政府の様に言いよどむことはありません。使えなくなるまで使い続けるのが本筋です。ただのお荷物にせず、働かせずにおいては管理費用すら捻出できません。経済の中で動いている現在、経済を無視して廃棄だけを求めるのは愚かしいことです。できるだけ安全を求める努力を続けるのは当然のこととして。「完全なる安全」を求めてから行動しようする社会は存在しません。いや、できません。原子炉のほとんどを廃棄しなければならないと述べている僕の現実的な判断とはこのような結論です。エネルギーの供給を求める社会が存在する限り、そんなに容易に原子力を放棄できる時代がくるとは思えません。が、そのための努力を続けなければ、その危険な原子力にすがって生きる時代が続くだけなのです。残るテーマは「核汚染とその原理」「エネルギーとその供給のあり方」時間があれば、書き続けたいと考えています。浅はかな意見をお読みいただいて、感謝いたします。
 原寸の絵は、フォト蔵に:http://photozou.jp/photo/top/301694
 撮影情報:Leica M9-P にコシナ Carl Zeiss Biogon T* F2.8 25mm ZMマウント
:ISO-200 1/60秒 補正-0 F5.6 (AV:絞り優先)手持ち。
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