就職指導室の徳永です。
私が高校生のとき、日本史の時間に聞いたお話を、いまでもときどき思い出します。日本史の先生はよく『脱線』する先生で、教科書に出てきた人物のことを物語風に話す人でした。いまでも日本史が好きなのはその先生のおかげなのかもしれないです。さて、そのお話とは……。
江戸時代、ある青年が、畑で作った野菜を担いで山を二つ越え町まで売り歩き、その足で武士のための塾がある屋敷に向かい、外の塀にうずくまって講義を聞いていたそうです。屋敷の門番がそのことを塾長に話すと、『塀の外ではよく聞こえないだろうから、これからは中へ入れてやれ。身分が違うので座敷に上げる訳にはいかないが中庭ならいいだろう』。それから来る日も来る日も中庭で青年は講義に聞き入っていました。ある日、塾長が講義のあとで青年を呼び、『いつも熱心で感心なことだ。聞くところ、お前には病身の母上がおるそうな。どうだ、馬小屋が空いておる。母上と一緒に移り住んだらどうだ』と言いました。すると青年は涙を流しながら答えたそうです。『たいへんありがたいお話です。しかし、山を二つ越え、野菜を売り歩いてくるからこそ辛抱のし甲斐があり、励みになります。ここに住まわせていただいては、たいして疲れもしないので先生のお話も粗末にしてしまうようなきがします。』と。
この塾長こそ、日本陽明学の祖といわれる中江藤樹で、この青年は、後の陽明学者・熊沢蕃山で岡山藩などに仕えました。いまでも日本史の授業で二人の名前が出てきているかもしれません。そして熊沢蕃山が詠んだ歌が「憂き事の猶この身に積もれかし限りある身の力試さん」です。
面接試験の定番質問『座右の銘がありますか』。熊沢蕃山に賛同する人は活用してみてください。そしてできることなら面接だけでなく普段の生活でもこの歌を思い出してみてください。不思議と勇気が湧いてきますよ。
私が高校生のとき、日本史の時間に聞いたお話を、いまでもときどき思い出します。日本史の先生はよく『脱線』する先生で、教科書に出てきた人物のことを物語風に話す人でした。いまでも日本史が好きなのはその先生のおかげなのかもしれないです。さて、そのお話とは……。
江戸時代、ある青年が、畑で作った野菜を担いで山を二つ越え町まで売り歩き、その足で武士のための塾がある屋敷に向かい、外の塀にうずくまって講義を聞いていたそうです。屋敷の門番がそのことを塾長に話すと、『塀の外ではよく聞こえないだろうから、これからは中へ入れてやれ。身分が違うので座敷に上げる訳にはいかないが中庭ならいいだろう』。それから来る日も来る日も中庭で青年は講義に聞き入っていました。ある日、塾長が講義のあとで青年を呼び、『いつも熱心で感心なことだ。聞くところ、お前には病身の母上がおるそうな。どうだ、馬小屋が空いておる。母上と一緒に移り住んだらどうだ』と言いました。すると青年は涙を流しながら答えたそうです。『たいへんありがたいお話です。しかし、山を二つ越え、野菜を売り歩いてくるからこそ辛抱のし甲斐があり、励みになります。ここに住まわせていただいては、たいして疲れもしないので先生のお話も粗末にしてしまうようなきがします。』と。
この塾長こそ、日本陽明学の祖といわれる中江藤樹で、この青年は、後の陽明学者・熊沢蕃山で岡山藩などに仕えました。いまでも日本史の授業で二人の名前が出てきているかもしれません。そして熊沢蕃山が詠んだ歌が「憂き事の猶この身に積もれかし限りある身の力試さん」です。
面接試験の定番質問『座右の銘がありますか』。熊沢蕃山に賛同する人は活用してみてください。そしてできることなら面接だけでなく普段の生活でもこの歌を思い出してみてください。不思議と勇気が湧いてきますよ。