去年は都合により参加できなかった、工場の同窓会に出席してきた。
半分海の上にプラットフォームがある通勤終着駅は45年前と変わらないたたずまい。
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反対側のベイブリッジ、つばさ橋方面は30年前に様変わりしたが、最近はあまり変化が無い。
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と思って工場側を眺めると、45年前に工場勤務を始めた13号館が完全に取り壊され、駐車場/資材置き場になっていてびっくり。
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執務場所の3階の部屋は、冷房はまだなかったが、夏でも海を渡って来る風が入り、すごしやすく、上司から見えないよう製図板を立て、その陰で、うたた寝をしたのが懐かしい。
工場の中をぐるっと一回り、数km歩き回って、製品群を見る。生産量が落ちているのが手に取るようにわかり、寂しいかぎりだ。40年前、まだ駆け出しの現場技術者だった頃、汗と粉塵と油にまみれて仕事をしていた150トンクレーン下の水車の組立現場も、今は完全空調の防塵室に改造され、国際核融合研究のITER向け巨大コイル製造現場になっていた。
工場内の写真は撮影禁止なので、下図は超多忙だった頃の1979年2月の水車組立現場。皆が記念撮影のカメラに向かっている中、日限に追われ、私は隅っこで30トンの南アフリカ向けランナ(水車のローター)のバランス計算をしていた。
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OBの人数が多いので、会場が2分割になり、話せなかった方々もでたが、主な諸先輩にご挨拶したり、工場や関連会社の幹部になった後輩から現状の説明を聞き、懇親会は盛り上がるのであった。
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