地名から戦国時代の千曲川河道を読んでみたいと思います。上杉謙信の軍勢が布陣したとされる斎場山、妻女山(赤坂山)、薬師山(笹崎山)。その対岸に布陣したとされる武田信玄の軍勢。その両者の間を流れていたのが千曲川です。当時の千曲川の河道は現在とは全く違うものです。
江戸時代の河道は、色々な研究の成果でかなりはっきりとしています。そして、戌の満水(1742年)と善光寺大地震(1847)の後で、千曲川の河道は、大規模な瀬直しによって変えられているのです。また明治43年の洪水や大正時代の堤防の建設によっても変わっています。
戦国時代は、どういう流れだったのか、江戸時代の瀬直し以前の河道と、地元に残る地名や伝承でその河道を推理してみました。それが、図の青と緑の線で描いた流路です。詳しくは、「地名から読む戦国時代の千曲川河道(第四次川中島合戦当時の千曲川)」をご高覧ください。
★川中島合戦と古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧ください。