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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

イカリモンガってナニモンダ!?(妻女山里山通信)

2009-10-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 蝶と蛾の定義というのは、実はなかなか難しいのです。日本には鱗翅目は約5000種類います。そのうち蝶は約250種。約9割が蛾です。さらに毎年30種ほどが追加されているそうですが、それらは蛾ばかりです。俗に蝶は美しく、蛾は嫌われ者という概念がありますが、美しい蛾もいれば、ちょっとねという蝶もいます。

 俗に「蝶は昼間に活動し、蛾は夜に活動する。蝶は翅を立てて留まるが、蛾は翅を広げて留まる。蝶の幼虫は青虫だが、蛾の幼虫は毛虫である。」などといいますが、これらも例外があり、全てには当てはまりません。そこで、このイカリモンガです。ビックリしたようなまん丸い目が印象的です。

 舞っている姿は、遠目にはまるでベニシジミ。留まっている姿は、テングチョウのようです。ところがイカリモンガという蛾なのです。碇紋蛾、または錨紋蛾と書き、前翅に錨形のオレンジの紋様があることから、そう命名されました。留まる時は翅を立てます。触角は細く一般的な蛾のように羽毛状ではありません。また、昼行性で昼間に活動します。ですからイカリモンチョウと命名されても全く違和感はなかったと思います。敢えていえばセセリチョウの仲間の方が、もっと蛾らしいともいえます。

 もっとも、当のイカリモンガにしてみれば、そんなことどうでもいい話で、自分たちがそんな名前だとも知らずにナギナタコウジュやマルバフジバカマで盛んに吸蜜していたわけですが…。

 蝶をチョウというのは中国の漢字の音読みで、現在は、蝴蝶(フーディエ)といいますが、昔の発音(チェッ)からきているといわれています。転訛してチョウになったというわけです。蝶のことを古歌で「からてふ」ともいいますが、これは唐蝶で、つまり唐唐土(とうもろこし)や唐黍(とうきび)と同じ発想からきた名称かと思われます。蝶の古語には、他にカハヒラコ、テンガラ、テゴナ、ヒヒル等があり、みな葉っぱのように薄くひらひら飛ぶものというような意味です。

 実は、万葉集には蝶を詠った句がひとつもありません。蝶は、死者の霊を運ぶものとして、霊的な存在と思われていたということがあります。幼虫から蛹、蝶へと全く異なるものに変わることから、呪術的な神秘性を感じていたとしても不思議はありません。但し、中国では、蝶は多産や美の象徴で縁起のよいものでした。それが古代の日本に伝播したことで、お洒落な唐物として子孫繁栄の意味も持つことから、平家の家紋などに用いられたのかもしれません。また、蚕も蛾になるわけですから、益虫として崇められました。蝶や蛾は、吉凶両面のアンビヴァレンツ(二律背反)な側面を持つ存在だったのかもしれません。

『源氏物語』の胡蝶の巻には…。
「花園の 胡蝶をさへや 下草に 秋待つ虫は うとく見るらむ」という歌があります。
「下草に隠れて秋を待つ虫は、この花園の蝶をみても、まだ春が嫌いというのでしょうか。」というどうでもいいようなことを詠ったものですが、ここでは蝶は「花園の蝶」ということで、美や愛情の隠喩として使われています。なんだか秋の虫が、ものすごく根暗なヤツのように感じますが…。

 荘子の斉物論にある「胡蝶の夢」という寓話が有名ですが…。
 荘子が夢の中で蝶になり、空を舞って楽しんでいると目が覚めてしまいます。すると、自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て自分になっているのか、どちらか分からないという話です。夢と現(うつつ)の区別がつかないことの例えや、人生の儚さの例えです。蝶の予測できない不安定で気まぐれな飛び方から、思いついたものでしょうか。

 イカリモンガに戻りますが、蝶では珍しく幼虫の食草が、イノデなどのシダ類です。人類がこの世に歩き始めた頃には、現在有る蝶と蛾のほとんどが既に舞っていたといわれています。花の蜜を吸う蝶は、花が出現してからのものですから、恐竜のいた中生代に現在の蝶はいなかったわけです。中生代のジュラ紀から白亜紀にかけて、裸子植物が栄え、蛾が出現したといわれていますから、蝶の出現はきれいな花を咲かせる被子植物の出現した頃ということになります。蝶は、昆虫の中でも後発なんです。

 ですから、年代的には別にシダ類など食べなくても他に食草はいくらでもあったと思うのですが…。どちらかというと薄暗い林下を棲みかとするイカリモンガには、他にライバルもいなくて、たくさんあるイノデは恰好の食糧だったのかもしれません。

 ポルノグラフィティの「アゲハ蝶」はとてもいい歌だと思いますが、蝶の名前が確定したのは江戸後期から明治時代で、昔は大きな蝶はみな揚羽だったようです。区別する必要もなかったのでしょう。国蝶のオオムラサキでさえ、江戸時代後期にヨロイチョウ、その後ムラサキチョウという記述があり、明治時代にやっとオオムラサキとなったぐらいですから。揚羽とは、蝶を揚げて食べたからではなく、翅を揚げて留まることから。

 もうひとつ、「蝶よ花よ」といいますが、転訛して「ちやほや(する)」になりました。
「みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける」藤原定子

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。トレッキング・フォトルポにない写真もたくさんアップしました。
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