信州生坂村のヒカゲツツジ(日陰躑躅)で有名な京ヶ倉へ息子達と登ってきました。標高990mといわゆる里山の部類ですが、ミニ戸隠とも呼ばれるその険しい山容は、なかなか魅力的で近年人気の山になりつつあります。GWに友人達とヒカゲツツジが咲き始めた頃に登って魅了されたので、今回は息子達を誘いました。現在は標高の高い京ヶ倉が有名ですが、戦国時代は、山城のあった日岐大城の方が主で、京ヶ倉はその物見台であっただろうと思われます。
姨捨から猿ヶ馬場峠を越えて麻績の盆地を直進。ところが、差切峡のある55号線が通行止め。403号線を明科まで出ることも考えましたが、それは知った道なので、ここは新ルート開発と麻績まで戻って12号線を旧大岡村へ。山間部を抜けて大岡丙を左折して代という集落から犀川を越えてやっと19号線に出ました。約40分かかりましたが、山深い所に歴史あると思われる小さな集落がたくさんあり、信州の山間部の奥深さを知る事ができたいい回り道でした。
まず、前回同様に下生坂の林道雲根線のゲートに自転車をデポします。そして前回はやまなみ荘近くの大きな駐車場に車を置いて登ったのですが、今回はこや城登山口に駐車。その分下山後に車を取りに行く長男には自転車でハードワークしてもらわないといけませんが、若いので・・。こや城の背後の山には、日岐大城の支城・小屋城跡があります。
こや城登山口の標高が620mぐらいですから、京ヶ倉までの標高差は370mほどです。最初に尾根を辿った後は、稜線まで一気に高度をかせぐ感じで急登が続きます。手作り感たっぷりの梯子も四カ所あります。この時期、花はカワラナデシコやリョウブぐらいで特に見るものはありませんが、夏らしく粘菌のサビムラサキホコリが発生していました。ヤマボウシの実がたくさん成っていましたが、まだ青いまま。赤く熟すとオオスズメバチや熊が食べに来ます。人が食べても美味しい実です。汗だくでおおこば見晴し台に着くと、眼下に蛇行する犀川の流れと生坂村の家並や広いブドウ畑が見えます。昭和電工の水力発電所も。
ここから一本北の尾根に向かってトラバースしながら緩く登り、屏風岩を通過すると、左手に目指す京ヶ倉が見え、ほどなく稜線出合に飛び出します。そのまま200mほど進むと、展望のいいやせ尾根、ミニ蟻の戸渡りともいえる馬ノ背です。両側、特に東面が木もなく80mほどの断崖なので、高度感があります。東には岩殿山の山脈越しに麻績の盆地、三角の冠着山、遠く四阿山が見えます。西には、継子落としの向こうに北アルプスの仁科三山や白馬三山が見えるはずなのですが、生憎稜線部が雲で覆われて見えませんでした。
馬ノ背を進むとトド背岩に突き当たります。名前の様にトドの背中に様に丸くてつかみ所のない岩です。ここを登る訳ではなくルートは左を巻いています。少し尾根を進んだ後、倒木のある岩の窪みを急登して、左側が落ちた最後の岩を登りきると京ヶ倉の頂上です。上に遮る物がないので真夏の直射日光が容赦なく照りつけます。キアゲハが一頭舞っていました。お昼にはまだ早いので大城を目指します。
急下降した後、天狗岩、双子岩と過ぎると大城(970m)です。本郭を右へ登ると東面が開けたベンチのある山頂。ここで昼食です。ベンチからは東の展望が開け、三角の冠着山(姥捨山)や聖山、四阿屋山、根子岳、四阿山が見えます。吹き上げる風も生暖かいのですが、それでも気持ちがいいとおにぎりを食べている時でした。突然一匹のオオスズメバチが飛来して、長男の太腿に留まったのです。おそらく汗の塩分に惹かれたのでしょう。大変です強靭な顎で咬まれる可能性があります。動くな!と言って首に巻いていたタオルを手に取り、狙いを定めて振り抜きました。あっ!外れた!! しかし、すぐさまもう一回振り抜くとハチは最後の晩餐の塩を舐めたまま成仏しました。間一髪でした。
眼下の谷ならともかく、こんな山頂でオオスズメバチに遭遇するとは思いませんでした。おそらく巣は大城と岩殿山の山脈の間にある入山の谷にあるのでしょう。オオスズメバチの行動半径は数百メートルから2キロぐらいですから、餌を求めてこんな山頂にまで現れることもあるのです。つい数日前に80メートルも追いかけられたので、本当に肝を冷やしました。これから9月10月になると女王蜂や雄蜂の飼育で忙しくなるため、非常に攻撃的になります。秋のキノコ狩りやハイキングは要注意です。
この日岐大城ですが、『信府統記』によると、大永年間(1521~28)に仁科盛慶が城主であったものを日岐一族の丸山肥後が賜わりましたが、小笠原氏に属したことで武田信玄に滅ぼされ、武田家臣の降幡備前が治めたといわれています。武田氏滅亡後の天正十一年(1583)には、織部佐盛直が城主になっており、上杉景勝に属していたということです。相当に険しい山城ですが、居城ではなく詰めの城として機能していたと思われます。しかし、険しすぎて篭城した方も逃げ場がなく、兵糧攻めにされると以外にもろかったかもしれません。
昼食後、大城を下ると後は北へ尾根を辿る下山コースです。二ノ郭、三ノ郭を過ぎると急下降して尾根道を辿ります。物見岩、大城三角点を過ぎ、はぎの尾峠の分岐を過ぎるとグレースの森、ここの四阿で休憩して下ると、尾根を外れて林道雲根線まではジグザグの下り。灼熱の林道を10分も歩くと自転車をデポしたゲートです。ここから長男に車を取りに行ってもらいます。私と次男は写真を撮りながらゆっくりと歩いて、19号線沿いにある小さなバス停で待つ事にしました。いやあ麓は陽炎がたつほど暑かったです。
長男は、思いのほか早く戻ってきました。でも生坂小学校の横の坂はきつくて心が折れそうになったとか(笑)。確かに相当の急坂です。そして、生坂村営やまなみ荘へ。貸し切りでした。ここは、いわゆる天然鉱石ラジウム岩盤温泉で、天然温泉掛け流しではありません。今回は、思いのほか塩素が強く参りましたが、体の疲れは取れました。ラジウム温泉は、日本では健康にいいといわれてきましたが、一方で世界保健機構(WHO)では警告もしています。この辺りは、利用者の自己判断ということでしょう。とはいえ福島原発事故以降では、難しいかもしれませんね。薬草温泉とかに変えた方がお客さんは来るかもしれません。
55号が通れないので帰路は19号から茶臼山越えの道を選びました。途中評判の信州新町道の駅に寄りました。お目当てはここの手打ち蕎麦。なにせ大盛りが580円ですから。次男はぺろっとたいらげました。甘みと旨味のあるとても美味しい蕎麦でした。辛み大根の汁でいただく郷土料理の「おしぼり蕎麦」もおすすめです。おみやげには隣のおやきもいいですね。農学部の長男は冬の「おしぼりうどん」用にと辛み大根の種(伝統野菜・信州地大根)を買いました。アパートの前の畑で育てるそうです。
★GWのヒカケツツジ咲く京ヶ倉トレッキング
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、東京圏や信州のトレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
姨捨から猿ヶ馬場峠を越えて麻績の盆地を直進。ところが、差切峡のある55号線が通行止め。403号線を明科まで出ることも考えましたが、それは知った道なので、ここは新ルート開発と麻績まで戻って12号線を旧大岡村へ。山間部を抜けて大岡丙を左折して代という集落から犀川を越えてやっと19号線に出ました。約40分かかりましたが、山深い所に歴史あると思われる小さな集落がたくさんあり、信州の山間部の奥深さを知る事ができたいい回り道でした。
まず、前回同様に下生坂の林道雲根線のゲートに自転車をデポします。そして前回はやまなみ荘近くの大きな駐車場に車を置いて登ったのですが、今回はこや城登山口に駐車。その分下山後に車を取りに行く長男には自転車でハードワークしてもらわないといけませんが、若いので・・。こや城の背後の山には、日岐大城の支城・小屋城跡があります。
こや城登山口の標高が620mぐらいですから、京ヶ倉までの標高差は370mほどです。最初に尾根を辿った後は、稜線まで一気に高度をかせぐ感じで急登が続きます。手作り感たっぷりの梯子も四カ所あります。この時期、花はカワラナデシコやリョウブぐらいで特に見るものはありませんが、夏らしく粘菌のサビムラサキホコリが発生していました。ヤマボウシの実がたくさん成っていましたが、まだ青いまま。赤く熟すとオオスズメバチや熊が食べに来ます。人が食べても美味しい実です。汗だくでおおこば見晴し台に着くと、眼下に蛇行する犀川の流れと生坂村の家並や広いブドウ畑が見えます。昭和電工の水力発電所も。
ここから一本北の尾根に向かってトラバースしながら緩く登り、屏風岩を通過すると、左手に目指す京ヶ倉が見え、ほどなく稜線出合に飛び出します。そのまま200mほど進むと、展望のいいやせ尾根、ミニ蟻の戸渡りともいえる馬ノ背です。両側、特に東面が木もなく80mほどの断崖なので、高度感があります。東には岩殿山の山脈越しに麻績の盆地、三角の冠着山、遠く四阿山が見えます。西には、継子落としの向こうに北アルプスの仁科三山や白馬三山が見えるはずなのですが、生憎稜線部が雲で覆われて見えませんでした。
馬ノ背を進むとトド背岩に突き当たります。名前の様にトドの背中に様に丸くてつかみ所のない岩です。ここを登る訳ではなくルートは左を巻いています。少し尾根を進んだ後、倒木のある岩の窪みを急登して、左側が落ちた最後の岩を登りきると京ヶ倉の頂上です。上に遮る物がないので真夏の直射日光が容赦なく照りつけます。キアゲハが一頭舞っていました。お昼にはまだ早いので大城を目指します。
急下降した後、天狗岩、双子岩と過ぎると大城(970m)です。本郭を右へ登ると東面が開けたベンチのある山頂。ここで昼食です。ベンチからは東の展望が開け、三角の冠着山(姥捨山)や聖山、四阿屋山、根子岳、四阿山が見えます。吹き上げる風も生暖かいのですが、それでも気持ちがいいとおにぎりを食べている時でした。突然一匹のオオスズメバチが飛来して、長男の太腿に留まったのです。おそらく汗の塩分に惹かれたのでしょう。大変です強靭な顎で咬まれる可能性があります。動くな!と言って首に巻いていたタオルを手に取り、狙いを定めて振り抜きました。あっ!外れた!! しかし、すぐさまもう一回振り抜くとハチは最後の晩餐の塩を舐めたまま成仏しました。間一髪でした。
眼下の谷ならともかく、こんな山頂でオオスズメバチに遭遇するとは思いませんでした。おそらく巣は大城と岩殿山の山脈の間にある入山の谷にあるのでしょう。オオスズメバチの行動半径は数百メートルから2キロぐらいですから、餌を求めてこんな山頂にまで現れることもあるのです。つい数日前に80メートルも追いかけられたので、本当に肝を冷やしました。これから9月10月になると女王蜂や雄蜂の飼育で忙しくなるため、非常に攻撃的になります。秋のキノコ狩りやハイキングは要注意です。
この日岐大城ですが、『信府統記』によると、大永年間(1521~28)に仁科盛慶が城主であったものを日岐一族の丸山肥後が賜わりましたが、小笠原氏に属したことで武田信玄に滅ぼされ、武田家臣の降幡備前が治めたといわれています。武田氏滅亡後の天正十一年(1583)には、織部佐盛直が城主になっており、上杉景勝に属していたということです。相当に険しい山城ですが、居城ではなく詰めの城として機能していたと思われます。しかし、険しすぎて篭城した方も逃げ場がなく、兵糧攻めにされると以外にもろかったかもしれません。
昼食後、大城を下ると後は北へ尾根を辿る下山コースです。二ノ郭、三ノ郭を過ぎると急下降して尾根道を辿ります。物見岩、大城三角点を過ぎ、はぎの尾峠の分岐を過ぎるとグレースの森、ここの四阿で休憩して下ると、尾根を外れて林道雲根線まではジグザグの下り。灼熱の林道を10分も歩くと自転車をデポしたゲートです。ここから長男に車を取りに行ってもらいます。私と次男は写真を撮りながらゆっくりと歩いて、19号線沿いにある小さなバス停で待つ事にしました。いやあ麓は陽炎がたつほど暑かったです。
長男は、思いのほか早く戻ってきました。でも生坂小学校の横の坂はきつくて心が折れそうになったとか(笑)。確かに相当の急坂です。そして、生坂村営やまなみ荘へ。貸し切りでした。ここは、いわゆる天然鉱石ラジウム岩盤温泉で、天然温泉掛け流しではありません。今回は、思いのほか塩素が強く参りましたが、体の疲れは取れました。ラジウム温泉は、日本では健康にいいといわれてきましたが、一方で世界保健機構(WHO)では警告もしています。この辺りは、利用者の自己判断ということでしょう。とはいえ福島原発事故以降では、難しいかもしれませんね。薬草温泉とかに変えた方がお客さんは来るかもしれません。
55号が通れないので帰路は19号から茶臼山越えの道を選びました。途中評判の信州新町道の駅に寄りました。お目当てはここの手打ち蕎麦。なにせ大盛りが580円ですから。次男はぺろっとたいらげました。甘みと旨味のあるとても美味しい蕎麦でした。辛み大根の汁でいただく郷土料理の「おしぼり蕎麦」もおすすめです。おみやげには隣のおやきもいいですね。農学部の長男は冬の「おしぼりうどん」用にと辛み大根の種(伝統野菜・信州地大根)を買いました。アパートの前の畑で育てるそうです。
★GWのヒカケツツジ咲く京ヶ倉トレッキング
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、東京圏や信州のトレッキングのスライドショーがご覧頂けます。