3年ぶりに「長野えびす講煙火大会」が開催されました。コロナ対策で離れた4箇所で順番に打ち上げるとか。妻女山展望台には、県外からもカメラマンが訪れていました。花火には思い入れがありますが、撮影に関しては割とどうでもいい私。まあ写真は望遠ですが手持ちなのでそれなりです。45分と短い花火大会でした。しかし、3年ぶりの花火大会は、色々考えさせられるものがありました。私は遠花火が好きです。遠花火は記憶の底や深層心理を呼び起こします。
花火の始まりは狼煙(のろし)だそうですが、花火大会を最初に見たのは、天正9年(1582年)4月にイエズス会が最初だとか、天正17年(1589年)7月の伊達正宗が最初だとかいわれていますが、戦国時代ですから庶民が楽しめるようなものではなかったでしょう。本格的に花火大会が行われる様になったのは、慶長18年(1613年)8月に明の商人によって持ち込まれた花火を見た徳川家康からだといいますから、平和になった江戸時代からということです。いわゆる打上花火は、1751年に開発されたとされているようです。それまでは、いわゆる大筒から火の粉が吹き出すような花火だったようです。長野は花火の生産地で、妻女山の山向こうにもあったそうですが、爆発して廃業したそうです。
信州では、イベントや運動会の合図に盛んに花火が打ち上げられます。これは東京から来た人には信じられないことなのですが、当の信州人は子供のころからそれが当たり前と思っているので、不思議には思いません。ところで妻女山にも麓の小学校で打ち上げた花火の丸い殻がよく落ちているのですが、この「音花火」は非常に危険なんだそうです。「花火の威力と危険度」で検索を。火薬がたくさん詰まった花火が、こんなにたくさん一般商店で売られているのは、中国と日本ぐらいじゃないでしょうか。欧米ではあり得ないことです。武器が作れますから。子供の頃、よく花火を分解しましたが、絶対やってはいけないと言われていた意味が、これを読むとよく分かります。
「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」小林一茶
これは、一茶の草庵近くの野尻湖の花火の俳句でしょうか。
「大名の 花火そしるや 江戸の口」小林一茶
江戸の庶民が大名の花火をけなす様子が笑えます。
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
本当に遠い花火は風向きによっては音がしません。花火の光でかすかに松葉が浮かび上がるのでしょうか。
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
遠花火は、もう会えない人を思い出させます。昔はお盆の精霊のものでしたから。
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司
自分の夫と勘違いして。彼らしいいい句ですね。ちょっとドキドキします。
私の駄作です。
「露草に 映して光る 遠花火」
在京時代に調布の花火は国分寺崖線の上から家族で見ました。露草が香る夕立の後の花火。
「幼子の 瞳に映る 遠花火」
小さかった息子達の瞳に花火が映っていました。懐かしくもう戻れない瞬間。
「遠花火 隠して匂う 夏木立」
夕立の後は、草いきれや梢の葉の匂いに包まれます。ああ夏の匂いだなと。
「遠花火 歓声もなく 温(ぬく)もなく」
ひとりで見る遠花火は声も温もりもありません。ただただ人生の侘びがあるのみ。
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
何度、遠花火を見たことでしょう。記憶の底に色々な記憶が蘇ります。
「君の名を 呟いてみる 遠花火」
亡き妻と見た遠花火。
林風
この煙火大会が終わると、善光寺平にも本格的な冬がやってきます。風景が真っ白になる日もそう遠くはありません。
DAOKO × 米津玄師『打上花火』MV Short ver.
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
花火の始まりは狼煙(のろし)だそうですが、花火大会を最初に見たのは、天正9年(1582年)4月にイエズス会が最初だとか、天正17年(1589年)7月の伊達正宗が最初だとかいわれていますが、戦国時代ですから庶民が楽しめるようなものではなかったでしょう。本格的に花火大会が行われる様になったのは、慶長18年(1613年)8月に明の商人によって持ち込まれた花火を見た徳川家康からだといいますから、平和になった江戸時代からということです。いわゆる打上花火は、1751年に開発されたとされているようです。それまでは、いわゆる大筒から火の粉が吹き出すような花火だったようです。長野は花火の生産地で、妻女山の山向こうにもあったそうですが、爆発して廃業したそうです。
信州では、イベントや運動会の合図に盛んに花火が打ち上げられます。これは東京から来た人には信じられないことなのですが、当の信州人は子供のころからそれが当たり前と思っているので、不思議には思いません。ところで妻女山にも麓の小学校で打ち上げた花火の丸い殻がよく落ちているのですが、この「音花火」は非常に危険なんだそうです。「花火の威力と危険度」で検索を。火薬がたくさん詰まった花火が、こんなにたくさん一般商店で売られているのは、中国と日本ぐらいじゃないでしょうか。欧米ではあり得ないことです。武器が作れますから。子供の頃、よく花火を分解しましたが、絶対やってはいけないと言われていた意味が、これを読むとよく分かります。
「しずかさや 外山の花火 水をとぶ」小林一茶
これは、一茶の草庵近くの野尻湖の花火の俳句でしょうか。
「大名の 花火そしるや 江戸の口」小林一茶
江戸の庶民が大名の花火をけなす様子が笑えます。
「音もなし 松の梢の 遠花火」正岡子規
本当に遠い花火は風向きによっては音がしません。花火の光でかすかに松葉が浮かび上がるのでしょうか。
「死にし人 別れし人や 遠花火」鈴木真砂女
遠花火は、もう会えない人を思い出させます。昔はお盆の精霊のものでしたから。
「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司
自分の夫と勘違いして。彼らしいいい句ですね。ちょっとドキドキします。
私の駄作です。
「露草に 映して光る 遠花火」
在京時代に調布の花火は国分寺崖線の上から家族で見ました。露草が香る夕立の後の花火。
「幼子の 瞳に映る 遠花火」
小さかった息子達の瞳に花火が映っていました。懐かしくもう戻れない瞬間。
「遠花火 隠して匂う 夏木立」
夕立の後は、草いきれや梢の葉の匂いに包まれます。ああ夏の匂いだなと。
「遠花火 歓声もなく 温(ぬく)もなく」
ひとりで見る遠花火は声も温もりもありません。ただただ人生の侘びがあるのみ。
「遠花火 記憶の底に 散る夜かな」
何度、遠花火を見たことでしょう。記憶の底に色々な記憶が蘇ります。
「君の名を 呟いてみる 遠花火」
亡き妻と見た遠花火。
林風
この煙火大会が終わると、善光寺平にも本格的な冬がやってきます。風景が真っ白になる日もそう遠くはありません。
DAOKO × 米津玄師『打上花火』MV Short ver.
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。