花火というのは、俳句では夏の季語なんですが、遠花火は秋の季語でもいいのではと思わせる煙火大会が長野えびす講煙火大会です。その歴史は古く、江戸時代に遊女屋が、遊客を誘うために一計を案じ煙火大会を催したところ大当たり、大賑わいとなったそうです。大正時代には日本で最初に二尺玉を打ち上げたという由緒ある大会で、煙火師を厳選したことから、非常にレベルの高い大会として続いているようです。花火マニアや評論家は、一度は見なければならない大会とか。30万人以上が訪れます。
11月下旬の花火大会は珍しいのですが、晩秋というより初冬の信州は雪も舞い始める頃です。空気の澄み切った冬の花火は凛と鮮やかでいっそう心に染み込みます。今日は朝、買い物ついでに茶臼山へ立ち寄って霧に浮かぶ鹿島槍ヶ岳の撮影をしたのですが、下ってみると駐車場が満杯。しかも県外ナンバーばかり。そのうち川中島から打ち上げ花火の音がしてきました。山上から花火見物をするのでしょうか…。
夕食中から家を震わせるような煙火の音が始まりました。二階に上がると隣家の屋根の間から千曲川の堤防越しに遠花火が見えました。今夜は冷え込みも薄く、屋根に出ても寒さは感じませんでした。窓の縁に腰を掛けて花火見物。右手を見ると妻女山展望台に灯りが、だれかがあそこで花火見物をしているようです。
さすがにレベルの高い大会で、見たことのない花火もあがります。わが家からは5キロほど離れているので、音は10秒以上送れて届きますが、それもまたなんとも風情があります。左手を見ると茶臼山の灯り。南の空には三日月が。オリオンの瞬く天空を、星をかすめるようにオレンジ色の定期便が流れ星のように通り過ぎていきます。
県外から移住してくると驚かれることがいくつかありますが、そのひとつに長野ではしょっちゅう花火が上がるということがあります。伝達手段として花火がこの平成の今も使われているのです。運動会の朝、祭の朝、大会の朝などにポンポ~ンと花火があがります。運動会シーズンなどは、朝からあちこちで賑やかなことといったらありません。そんなにあがってどこの花火か分かるのかと思うでしょうが、長野の人にはどこの何の花火かが分かるのです。山で囲まれた信州ならではですかね。こんなこと東京でやったら大問題になりそうです。
遠花火は、俳句にもよく詠まれます。以前書いた私の文章から…。
----正岡子規の句に「音もなし 松の梢の 遠花火」というのがあるが、まだ開けぬ厚い雲の梅雨空に花火の音はよく響く。光と音のずれがなんだかもどかしい。
寺山修司の句に「遠花火 人妻の手が わが肩に」なんてのがあるが、そんなことはなく、虫除けスプレーをしていったのに蚊に七箇所も刺されてしまった。
遠花火というのは、歓声を上げて近くで見る花火と違って、しみじみと色々なことを考えるものだ。「死にし人 別れし人や 遠花火」(鈴木真砂女)なんて句もある。----
で、私が詠んだ句が…。梅雨の時期に行われるため雨にたたられることの多い調布花火大会を詠んだものです。
「遠花火 隠して匂う 夏木立」(季語ダブり。木立かなではつまらないし…)
「幼子の 瞳に写る 遠花火」
夏の遠花火は、雲に覆われたりして空爆にしか見えなかったり、なにかの爆発にしか見えなかったりします。遠花火は冬にかぎるかもしれません。
「遠花火 歓声もなく 温もなく」 林風