妻女山展望台から氾濫した千曲川を俯瞰。左が上流です。堤防と堤防の間は500mです。対岸の堤防の向こう側が冠水しているのが見えます。長野市篠ノ井小森地区です。左の丸い山は茶臼山。朝から自衛隊や消防署のヘリコプターが救助に飛び回っています。一刻も早く救助されるといいのですが。
岩野橋上流からのカット。堤防の茶色いところまで増水しました。あと50センチ増水していたら、大変な事態になっていました。昔の洪水と違って色々な化学物質や汚水が流れ込むのでしょうね。もの凄く嫌な臭いがします。
対岸の東福寺からのカット。河川敷には広い畑があるのですが、りんごは駄目でしょうね。長芋は水が引けば大丈夫です。と書きましたが、土砂の堆積が今までにないほど酷く、また昔川だった窪地は水がひいていません。駄目かもしれません。
妻女山展望台からのカット。河川敷にある長芋畑。向こうには冬季長野オリンピックの開会式閉会式が行われたスタジアムがあります。堤防が決壊して大災害になった穂保地区は、右方向、このずっと下流になります。新幹線車両基地が水没しました。
同じく妻女山展望台から。赤坂橋。向こうに見える横に広がる森は八幡原。武田信玄が本陣とした場所です。水はかなり引きましたが、あちこちに氾濫した跡があり、13日現在、長野市もその全体を把握しきれていないようです。江戸時代、1742年(寛保2年)8月の「戌の満水」以来の大洪水と思われます。その時は、千曲川と犀川の流域で2800人以上の犠牲者が出ました。
◉信州『松代里めぐり 清野』発刊と戌の満水など千曲川洪水の歴史(妻女山里山通信)
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私も13日は7:30に妻女山の展望台に行ってみました。
篠ノ井横田地区は畑が冠水していて反対の国道の西側の塩崎庄の宮のセブンイレブンの駐車場も池になっていました。
岩野橋方面は不通で赤坂橋は通行できました。
松代は柴地区が翌日の新聞に出ていましたが、この辺の堤防はポリ容器が土手の外側に散乱していて越水した跡を示していました。
この日は町内のゴミゼロ運動の日でそれを終えたあと若穂の太郎山のこしき岩から見渡すと、輪中の郷若穂領家が支流の氾濫で水没、遠方村山橋の向こうの穂保地区が広く洪水の様子が確認できました。
防災に関しては、地震による土砂崩れ、液状化、活断層の場所については気にしていましたが水害は念頭になかったですがこれを教訓にする必要がありますね。
今回の洪水の原因は、堤防の決壊、越水、水門を閉めたことによる洪水。ただ閉めなければもっと大災害になったはずです。
1000年に一回とかいっていますが、江戸時代後期の戌の満水を忘れたのでしょうか。2800人が犠牲になりました。私の過去の記事を読んでいただくと分かると思います。
信州『松代里めぐり 清野』発刊と戌の満水など千曲川洪水の歴史(妻女山里山通信)
https://blog.goo.ne.jp/morimorikids/e/86fab481e127f212fc3a31bedc9dfdbd
穂保の堤防は、土を積んだだけの安普請。東福寺の堤防も嵩上げしましたが、安普請。切れるのは必然です。
今回の規模の降水量はそれを超えました。
江戸時代なら、それ以下のレベルで洪水になったはず。
私見ですが、今回の災害は近代土木工学のおごりです。災害の規模を想定して設計してもそれを超える規模に対しては技術者は「想定外だった」といって責任転嫁します。
昔の人たちの考え方は地震も水害もある前提でそれに耐える設計でなく、被害を少なくするという考え方をしていました。
急流箇所にテトラポットを置くのは水流の勢いを減ずるのには効果的ですが水かさが増えて越水したらそれまでです。
これまで気に留めてなかったのですが支流の川沿いに竹藪があちこち見られるのは先人たちの水害に対する智慧ですね。
上田の神川で竹藪の隣の堤防が崩落していて対照的でした。
また、実家では竹藪が屋敷の周りにありますがこれも水が流れても家屋が流されないようにする知恵だと思います。
今は、洪水を防ぐために堤防を高く設計しますが、昔は洪水は防げないものという前提で水位が高くなる前に洪水になるように堤防を低く、洪水後の対応は昔ながらの日本家屋は通気性があるので洪水の被害も少ないのではなかったかと。
今の建築では、床上浸水したら治すより壊して立て直した方が費用が掛からないかもしれません。
と共に、村上春樹氏がいうように効率主義(拝金主義)が招いたともいえるかもしれません。
その上、いまだに米の植民地という現実。
現政権は、米や世界に55兆円もばらまいているのですから。
福一の原発事故にも通じる事案かと思います。
国交省の上の国の政策が招いた人災といえるのかも。原発事故同様のおごりと似ています。
自然を支配できると思うのは傲慢に過ぎます。
個々の対策は専門家でないのでコメントは控えますが、詳しい友人からはあんな堤防の施工では切れるのは当たり前と。亡父も堤防工事に関して、あんな嵩上げの仕方では切れると言っていました。
小森の堤防を守るために笹崎の先を削って大量の岩石を埋めたり、人工的な滝を造ったり、古人の方が必死で知恵があったのかなと感じます。
被災した方々が一刻も早く立ち直れることを祈ります。福一や西日本災害のその後を見ても、現政権が十分な政策をするとはとても思えませんが。
私もできる限りの協力をしたいと思っていますが。