妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバー二人と、某里山へコシアブラを採りに行きました。少し遅すぎて開き過ぎが多かったのですが、それでも満足できる収穫がありました。
帰りに立ち寄った北アルプス展望台。右に神城断層地震で山頂の四割が崩壊してしまった虫倉山。左に白馬三山。尖った白馬鑓ヶ岳、右に雲に隠れた杓子岳。その右に白馬岳。眼下の谷は、犀川沿いの七二会の街です。おやきが有名です。
眼下には棚田。代掻きをするトラクターが見えました。懐かしい山里の原風景が広がります。新型コロナウィルスもここでは無縁です。キツツキのドラミングが響きます。アオバズクの恋歌も聞こえます。
仁科三山は雲の中。中央に見える布施神社に二人を連れていきました。今の時期は、樹種によって若葉の色が異なるので、信州の一番美しい季節です。
布施神社、布制神社と石柱にありますが、これは明治時代の廃仏毀釈の際に、お布施につながるとして漢字を代えさられたもの。元に戻すべきです。社伝によると、神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ、下総国結城布施郷の人民を従えて当地に移住し、この地を開拓。後の宝亀八年(777)に布施氏の祖・大彦命(おおひこのみこと)を勧請したということです。大彦命は、崇神天皇の命を受けて北陸道を東征し、息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東海道を東征し、二人が出会ったところが「相津(会津)」と名付けられたと『古事記』にはあります。その後、大彦命は篠ノ井の瀬原田上の長者窪に住んだといわれています。石川の川柳将軍塚古墳が大彦命の墳墓と地元では伝わっているようです。その上には更に古い卑弥呼の時代のものかと思われる前方後方墳の姫塚古墳があります。全国各地で女王が統治する時代があったのでしょうか。
また『信濃宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とあります。更に、安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み、氏を布施と改めて布施郷を領治し以後、当社は神明宮と称するようになったが、文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得て、布施神社と改称したといいます。つまり、信州には諏訪大社を一ノ宮とするように出雲系の神社が多いのですが、布施神社は大彦命を祭神とし、神明宮と呼ばれた歴史があるように、大和系です。そして、古代科野国は、大和系(初代科野國造の武五百建命)と出雲系(大国主命のひ孫の會津比賣命)が結婚して生まれたといえるのです。(出雲系は阿曇族と同様に、古代春秋戦国時代の呉の末裔か。大和系は、秦の始皇帝時代の失われた古代ユダヤ人の徐福を長とした一部族の末裔か)(右)社殿は棟札から明治3年の建造。梁が見事です。この奥には須立之城があります。茶臼山の茶臼が城は、その跡目相続争いの後にできた山城といわれています。須立之城については、下の記事をお読みください。
◉山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
木彫は石川流の山嵜儀作(やまざきぎさく)の木鼻です。象と唐獅子。大事にしたい文化財です。
(左)コシアブラ。天ぷらが一番ですが、炊き込みご飯や味噌ハンバーグも絶品です。(右)お昼になったので、信州新町まで行きました。道の駅はコロナで休業していましたが、個人商店はやっているよというので、食堂のあさひやへ。私が頼んだ馬肉うどん。信州新町は、ジンギスカンでも有名です。地元の羊やサフォーク種を使った極上のジンギスカンも食べられます。生のラムチョップを買って、香草焼きを作るのもおすすめです。
(左)S氏が頼んだ馬肉丼。かなり甘めの味付けです。上田駅前の中村屋や別所温泉の日野出食堂のは甘さ控えめ。(右)A氏が頼んだソースカツ丼。南信が有名ですが、北信でも食べられます。この食堂は、1150円のすごい量のカツカレーが有名ですが、量が多すぎて食べられません。今回、少なめサイズがあることを知りました。今度食べましょう。
その後、仲間を送って妻女山の陣馬平へ。山蕗を採りに行きました。前回作った山蕗と干しホタルイカの煮物が旨すぎて食べきってしまったので、採りに来たのです。再開した万葉温泉に入り、帰りに干しホタルイカを買って早速作りました。馬鹿旨です。山菜は農薬も化学肥料も殺虫剤も使わないので安全です。ソフト鰊と煮ても美味です。
万葉温泉の帰りに雨宮の渡し近くから見上げる鞍骨山。清野氏の山城があり、全国から山城マニアが訪れます。並木のアメリカハナミズキが満開です。一青窈の歌を思い出します。
◉松浦亜弥+一青窈_ハナミズキ
あやや可愛い…。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
帰りに立ち寄った北アルプス展望台。右に神城断層地震で山頂の四割が崩壊してしまった虫倉山。左に白馬三山。尖った白馬鑓ヶ岳、右に雲に隠れた杓子岳。その右に白馬岳。眼下の谷は、犀川沿いの七二会の街です。おやきが有名です。
眼下には棚田。代掻きをするトラクターが見えました。懐かしい山里の原風景が広がります。新型コロナウィルスもここでは無縁です。キツツキのドラミングが響きます。アオバズクの恋歌も聞こえます。
仁科三山は雲の中。中央に見える布施神社に二人を連れていきました。今の時期は、樹種によって若葉の色が異なるので、信州の一番美しい季節です。
布施神社、布制神社と石柱にありますが、これは明治時代の廃仏毀釈の際に、お布施につながるとして漢字を代えさられたもの。元に戻すべきです。社伝によると、神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ、下総国結城布施郷の人民を従えて当地に移住し、この地を開拓。後の宝亀八年(777)に布施氏の祖・大彦命(おおひこのみこと)を勧請したということです。大彦命は、崇神天皇の命を受けて北陸道を東征し、息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東海道を東征し、二人が出会ったところが「相津(会津)」と名付けられたと『古事記』にはあります。その後、大彦命は篠ノ井の瀬原田上の長者窪に住んだといわれています。石川の川柳将軍塚古墳が大彦命の墳墓と地元では伝わっているようです。その上には更に古い卑弥呼の時代のものかと思われる前方後方墳の姫塚古墳があります。全国各地で女王が統治する時代があったのでしょうか。
また『信濃宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とあります。更に、安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み、氏を布施と改めて布施郷を領治し以後、当社は神明宮と称するようになったが、文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得て、布施神社と改称したといいます。つまり、信州には諏訪大社を一ノ宮とするように出雲系の神社が多いのですが、布施神社は大彦命を祭神とし、神明宮と呼ばれた歴史があるように、大和系です。そして、古代科野国は、大和系(初代科野國造の武五百建命)と出雲系(大国主命のひ孫の會津比賣命)が結婚して生まれたといえるのです。(出雲系は阿曇族と同様に、古代春秋戦国時代の呉の末裔か。大和系は、秦の始皇帝時代の失われた古代ユダヤ人の徐福を長とした一部族の末裔か)(右)社殿は棟札から明治3年の建造。梁が見事です。この奥には須立之城があります。茶臼山の茶臼が城は、その跡目相続争いの後にできた山城といわれています。須立之城については、下の記事をお読みください。
◉山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
木彫は石川流の山嵜儀作(やまざきぎさく)の木鼻です。象と唐獅子。大事にしたい文化財です。
(左)コシアブラ。天ぷらが一番ですが、炊き込みご飯や味噌ハンバーグも絶品です。(右)お昼になったので、信州新町まで行きました。道の駅はコロナで休業していましたが、個人商店はやっているよというので、食堂のあさひやへ。私が頼んだ馬肉うどん。信州新町は、ジンギスカンでも有名です。地元の羊やサフォーク種を使った極上のジンギスカンも食べられます。生のラムチョップを買って、香草焼きを作るのもおすすめです。
(左)S氏が頼んだ馬肉丼。かなり甘めの味付けです。上田駅前の中村屋や別所温泉の日野出食堂のは甘さ控えめ。(右)A氏が頼んだソースカツ丼。南信が有名ですが、北信でも食べられます。この食堂は、1150円のすごい量のカツカレーが有名ですが、量が多すぎて食べられません。今回、少なめサイズがあることを知りました。今度食べましょう。
その後、仲間を送って妻女山の陣馬平へ。山蕗を採りに行きました。前回作った山蕗と干しホタルイカの煮物が旨すぎて食べきってしまったので、採りに来たのです。再開した万葉温泉に入り、帰りに干しホタルイカを買って早速作りました。馬鹿旨です。山菜は農薬も化学肥料も殺虫剤も使わないので安全です。ソフト鰊と煮ても美味です。
万葉温泉の帰りに雨宮の渡し近くから見上げる鞍骨山。清野氏の山城があり、全国から山城マニアが訪れます。並木のアメリカハナミズキが満開です。一青窈の歌を思い出します。
◉松浦亜弥+一青窈_ハナミズキ
あやや可愛い…。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。