信州らしい厳寒の朝、陽射しが出始めてゆるゆると空気が溶け始めたころに、そそくさと支度をして出かけました。目指すは、新年に息子達と登った鷲尾城跡と倉科将軍塚古墳のある北山から南に見えた大峯山。千曲市森の信濃三十三番札所第六番の観龍寺から登る登山道があるらしいのですが、どうにも鷲尾城から見た尾根が気になって仕方がありませんでした。
千曲市在住の叔父が上程した『岡地探訪 乙路の県 天満大自在天神とその周辺』という本によると、この倉科と森の境にある山を県山(あがたやま)というと書かれています。今回は久しぶりのバリエーションルート。地形図を頭にたたき込んで心して出発しました。
まずは、雨宮のコンビニで昼食のおにぎりとキャンデーを購入。途中の雨宮田圃の真ん中から、今回のルートの画像を頭に焼き付けました。ピークやコブの形状と数、植生を頭に入れておくのです。右が植林帯の境を登っていくとか、左に植林帯が見えたら頂上は近いとか、イメージトレーニングをしておくのです。それと帰りの尾根や、間違えやすい箇所も想像しておきます。
登り口は、県山の先端に石垣で作られた小さな公園があり、車一、二台の駐車スペースがあったので、そこを出発点としました。あとは尾根に向かってがしがしと登るのみ。その尾根上で、古い倉科村誌や更埴市誌にも載っていない城跡らしきものを発見しました。本郭の跡らしき平坦なピークとその後ろのふたつの堀切。どう見ても城跡とした思えません。記録がないか後日千曲市に問い合わせてみようと思います。(後日千曲市教育委員会文化財箇に問い合わせたところ、平成10年頃に発見され、県山城跡と名付けられたということです。)
大峯山への急登は、ニホンカモシカ君との遭遇の後で始まりましたが、これが登山というよりは難行苦行の修行のような山登り。枯葉に積もった雪で滑る急斜面を、立木を頼りにほぼ四つん這いで登るような有様でした。気を緩めると百メートルぐらいは滑落しそうです。立木に激突して昇天でしょう。しかし、こんな山でも木落の沢が何本かあり、信じられないような急斜面で昔は山仕事をしていたのだと驚かされました。
やっとの思いで着いた山頂は檜林の中、気温は零下。汗だくのTシャツを着替え、昼食もそこそこに下山。息子にメールしようとすると、携帯が凍ってしまったのか動きが鈍い。やっと発信できると息子から返事。やった新発見だね!って気が早い。ところが登山道があるという帰りの尾根が見つけられずにルートを変更。これは正解でした。赤松林を転げるように駆け下り、着いたところが信濃三十三番札所第六番の観龍寺。
裏山の四阿で森の展望を楽しんだ後で由緒ある寺をゆっくりと参拝。無人ですがなにやら俳句の寺とかで、歌碑がたくさん。鑑賞しながら遠い想いに耽りました。とりあえず林風(りんぷう)なる俳号を勝手に名乗っている私ですが、急登で凍り付いた頭からは、陳句ひとつ出てきませんでした。
★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】の2009年版ににアップしました。ご高覧ください。こちらは同年2月に倉科の三滝から登ったルポです。
ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。