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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

岡谷の彌林山平福寺。釜口水門と『君の名は。』の聖地・諏訪湖。霧ヶ峰の絶景からの海野宿(妻女山里山通信)

2018-01-04 | 歴史・地理・雑学
 年末年始は、古社古刹巡り三昧でした。順にアップしていきます。まず30日は、東京から来る次男を長男と岡谷の真言宗智山派の古刹、彌林山平福寺で待ちました。雲一つないピーカンで、穏やかな日でした。
平福寺ホームページ

(左)駐車場にあった旧中仙道沿いの文化財の地図。(中)旧中仙道に面する平福寺。左に平福寺おひぎりさま会館。(右)山門の額は、弥林山と新字体。檀家の方が初詣の準備をしていました。信州では二年参りをする人が多いのですが、これは新潟と信州だけの言い方の様です。西日本では三社参りといって三つの神社に初詣する風習もありますし、東京でも初詣でとはいいますが、二年参りは聞いたことがないですね。

(左)「日を限って願掛けすれば、不思議にも聞き届けてくださる」ことで有名な「日限地蔵尊」が祀られる日限堂。大正十四年(1925)に現在の日限堂が建立。(中)鳳凰の宮彫り。(右)龍の宮彫り。諏訪立川流の流れを感じますが、宮彫氏は誰でしょう。

(左)本堂。高嶋藩主忠虎公(1663-1731)の帰依のもと、諸堂を建立、本尊金剛界大日如来を造顕し、悲願の復興を遂げたとあります。(中)鷹と松。(右)両脇の木鼻には唐獅子と象。諏訪立川流の初期の作でしょうか。友人の宮彫り研究家からメールが来ました。「驚いたことにほとんどすべてが長野市長沼の武田苞信(熊治)の彫物です。」ということです。大正から昭和になると諏訪の立川流、大隅流の後継者が育たず北信から宮彫師が出張したそうです。春宮の近くの宝光院、慈雲禅寺にも苞信の作品があるとか。これは意外でした。

(左)本堂にお参りします。ご本尊は、金剛界大日如来坐像。(江戸中期・桂材寄木造)【岡谷市文化財指定】(中)日限地蔵尊の分身、1000体が祀られる千体地蔵堂。2007年寄進。(右)日限堂に安置される地蔵菩薩立像(江戸期・桂材一木造)。写真に写っているのは前立本尊。ご本尊は普段は厨子に入る秘仏で、丑・未の歳に御開帳されます。

(左)ホームページにも解説がありませんが、日限堂左脇の一角。小さな仏像は、念持仏でしょうか。(中)七福神。(右)駐車場の北には弘法大師の像。

(左)次に向かったのは、諏訪湖の南西にある釜口水門。ここから天竜川が始まります。この橋の上は漁協の範囲外らしく、橋の上では大勢の太公望がワカサギを釣っていました。バケツいっぱい釣っている名人もいました。(中)諏訪湖から遠く八ヶ岳連峰を望む。湖面には薄氷があちこちに見られました。(右)釜口水門の脇にある「水の資料室」では、1936年(昭和11年)に竣工した旧水門の写真や洪水の写真、現在の水門の構造などが見られます。また、水門カードがもらえます。
釜口水門ウィキペディア
釜口水門管理システム

(左)旧釜口水門の一部が残っていて上に登れます。(中)昭和7〜9年に、旧釜口水門の建設に使ったアメリカ・オハイオ州のヘイト・ルート・ヒース社のガソリン4気筒水冷エンジンの機関車。約20台のトロッコを牽引したそうです。1924年(大正13年)購入の、当時としては最新鋭の機関車だとか。(右)昼は麺屋蔵人岡谷道場へ。私は蔵人焼き味噌らーめん 750円+味玉100円。鉄鍋で供されます。味噌どころ信州は味噌ラーメンが美味しい店が多いのですが、ここのも美味でした。

 釜口水門から望む八ヶ岳連峰の勇姿。美しい湖面ですが、ワカサギの大量死が起きたり、色々と問題も抱えているようです。世界でも人気の新海誠監督の『君の名は。』の彗星が落ちた糸守湖の舞台ともいわれる諏訪湖で聖地とされていますが、岐阜県の飛騨高山が舞台なのでその近くの湖ではという説もあるようですが、まあ両方を素材としたのではないでしょうか。二人の人物の間で記憶や人格が入れ替わるというのは、世界各地で例が報告されているそうですが、どうなんでしょうね。自我や己とは何かとかレーゾン・デートル(存在理由)を考えるきっかけになるかも知れません。私は老子の「無為自然」が好きですが、なかなか煩悩がそれを許しません。
 次に向かったのは、国指定重要文化財の片倉館。

(左)【国指定重要文化財】財団法人片倉館の千人風呂の建物。実際は100人ぐらいとサイトには書いてあります。(中)片倉館の大理石の柱。四隅が逆V字に彫られているのですが、これと全く同じものが平福寺本堂にありました。建築関係の次男や林業関係の長男が気付いたのですが、特に平福寺のものはルーターもない頃にどうやって加工したのだろうと不思議がっていました。またこの加工の様式名はなんていうのでしょう。(右)昭和3年当時の婦人浴室の写真。当時は混浴も普通だったとはいえよく撮影させてくれましたね。ちなみに男風呂の方は、こ汚いおやじがひとり横になっているものでした。
【国指定重要文化財】財団法人片倉館

(左)次に諏訪二葉高校の脇を登って40号を霧ヶ峰高原へ。スノーブーツに履き替えて車山はちょっと遠いので霧ヶ峰へ。(中)拙書でも紹介の蓼科山や車山、霧ヶ峰は信州のほぼど真ん中にあるので、条件が良ければほぼ信州中の主な山々が見られます。奥は中央アルプス。向こう側に歩くと伊那谷も見えます。(右)ここまでクリアに穏やかに晴れる日はそうないでしょうで、思わずガッツポーズ。後ろは北アルプス。

 霧ヶ峰から見る左に穂高連峰と右に槍ヶ岳。穂高はかなり強風が吹いている感じですね。右手前は鉢伏山でしょうか。手前は八島ヶ原高層湿原。ビーナスラインが見えます。

 魚眼レンズで撮影してみました。右端の白馬三山が雪雲の中ですが、北アルプスのほぼ全部が見えています。真上の空はプルシャンブルー。宇宙を感じさせる色です。右には美ヶ原の王ヶ頭も見えています。逆光にはなりますが、左には乗鞍岳、御嶽山も見えました。

(左)振り向けば左奥に拙書でも紹介の蓼科山。右手前に車山。(中)40号を白樺湖方面へ。途中のドライブイン霧ヶ峰富士見台からの富士山。積雪が最も多いのが4月、少ない黒富士は9月。(右)40号から152号大門街道を下って立ち寄った長門町道の駅に置いてあったダイハツの三輪トラック(オート三輪)。こんなひっくり返りやすいトラックがなぜ売れたか。ちょっと悲しい歴史がありました。

(左)最後は「日本の道百選」にも選ばれた海野宿へ。観光シーズンに訪れても静かなんですが…。それがここの魅力です。(中)近くの古民家からピアノの音が漏れてきました。(右)白鳥神社。この地の産土神社でもあると共に、海野氏、真田氏の氏神として祀られた歴史のある神社なんですが、派手な木彫もなく地味な佇まいです。日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っています。真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称しましたが、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称しています。ちなみに海野宿の社はしらとりじんじゃと読みますが、松代西条の社は本家に遠慮してしろとりじんじゃといいます。
海野宿サイト
白鳥神社公式ホームページ
 帰路につく途中で善光寺参りの精進落しの湯といわれる戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に入って温まって帰りました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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