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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

茶臼山有旅と妻女山陣場平の菱形基線測点。地理史の重要な文化財(妻女山里山通信)

2015-12-16 | 歴史・地理・雑学
 前の記事で茶臼山の篠ノ城を取り上げましたが、その際に茶臼山から篠ノ城跡までのパノラマ写真を載せました(上から10枚目)。それを撮影した農道の裏手には3,4mの崖があるのですが、そこに旧建設省が設置した菱形基線測点(りょうけいきせんそくてん)があるはずなのです。ところがそこへ行く坂道の上は酷い藪で行けませんでした。反対側に回って上の畑方面から到達を試みたのですが、あと5、6mというところで、やはり藪に行く手を阻まれました。鋭い棘をもったヤマガシュウもあり、とても進めません。ということで次週に先送りしました。
 菱形基線測点は、地表面の水平方向の変動を調べるために設置され測点4点で菱形が形成されています。菱形基線というのは4つの観測点を結んだ形がひし形であることからの呼び名で、全国に16箇所あります。いすれも現在は使われていませんが、大切な文化遺産のひとつです。長野県は茶臼山と妻女山以外に、平柴(夏目ケ原浄水場内)と大室山中腹の大室温泉まきばの湯上の古城山にあり、菱形を形成しています。
 位置はグーグルマップで距離を計測し、ほぼ半径50m以内に絞りこみました。グーグルアースで航空写真を見ると周囲は畑でその中の林内ということで、さらに絞込ができたのですが、あまりにひどい藪で断念。今回は剪定ばさみを持ち、南西から攻めることにしました。
36°35'08.8"N 138°06'44.8”E(位置は厳密なものではありません。数mの誤差があり得ます)

 場所は、長野市篠ノ井有旅(うたび)で、茶臼山動物園の南口の上、茶臼山自然植物園の南になります。まず篠ノ井から県道86号を登り、JAグリーン長野有旅集荷場の前にあるバス停の空き地に駐車します。前回来た時に地元の方に事情を説明して停めていいですかと聞いたら、いいよということで今回もそこに駐車。住宅に沿って200mほど下ります。
 地図Aの位置から北を見ると森が見えます。ちょうど中央辺りの森の中にあるはずです(左)。面白い形の植え込みの右の舗装路を下ります(中)。60mほど下ると右手に水道施設(右)。日当たりの良い南向きの斜面になんとタンポポが咲いていました。

 その手前に左に入っていく農道。先に物置(左)。物置の裏へ回ります。ここからは私有地かもしれません。もし所有者がいたら事情を話して許可を得てください。裏手から見た森(中)。藪が酷くてここは無理です。左手に回り込みます(右)。地図のCの位置ですが、なんとかなりそうです。

 左手に獣道のトンネルがありました(左)。絡まったヤマフジやアオツヅラフジなどの蔓を切りながら進みます。通り抜けて振り返ったところ(中)。大変でした。進むと岩の上に小さな石祠(右)。ここまでは前回来ました。前回は後ろの林檎畑から杉林を抜けてここまで来て退却しました。Dの位置。前回の方が楽に来られますね。でも林檎畑の中の道を通ってくるので、ちょっと気が引けます。

 北を見ると、足元はすぐ崖地で下を前回撮影に使った農道が通っています。すぐ下の畑ではおばさんが農作業をしていました。その農道から上がってくる坂道があって、それが設置工事に使った道だと思うのですが、笹薮で通れません。向こうの明るい所は茶臼山自然植物園(左)。東を見ると、笠ヶ岳や横手山など志賀高原方面が見えます(中)。前回敗退した藪です(右)。鋭い棘のヤマガシュウは、剪定バサミでないと切れません。格闘すること10分余り。

 やっと念願の菱形基線測点に出合えました(左)。しかし、近づけません。左手(北側)に回って藪を切り開くこと10分。やっと全貌が見えました(中)。銘板には「NO.14 基本 菱形基線測点 建設省国土地理院」と書かれています。上面には十字の刻印の指標鋲が。少し飛び出ています。

 コンクリートは、多少風化していますが特に壊れてはいません。背面の下には下向きのフックが付いています。八角形の柱で、妻女山奥の陣馬平のものと同じです。

 バス停の駐車場から藪の入口までは、5分ぐらい。そこから藪を切りながら入って格闘すること20分ほどで出合えました。地理マニアが度々訪れるようになると、藪も綺麗になるかもしれません。すぐ北側の農道から斜めに測点へ短い坂道があるのですが、上の藪を切ればこのルートが最も簡単に行けるのですが。ヤマフジと笹薮とヤマガシュウが行く手を阻んでいます。

 撮影して戻って動物園の入口から撮影した妻女山・斎場山方面。斎場山の向こうの陣馬平という所に、NO.16の菱形基線測点があります。実は、ここを発見し藪を切り開き誰もが見られるように整備する方が、遥かに大変でした。4年かかりました。

 茶臼山から下りて妻女山の陣馬平へ向かいました。陣馬平は、第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと地元で伝わる山上の平地です。林道から50mほど入ると菱形基線測点が見えてきます(左)。現在は整備されて清々としています(中)。NO.16の銘板(右)。

 2008年の夏に帰郷し、亡き父から測点のことを聞き、探し始めましたが、とんでもない藪でとても入れませんでした。この写真から50mも奥です(左)。その冬から灌木や立ち枯れの木やノイバラ、巨大化したヤマフジ、絡みあったミツバアケビなどの伐採を一人で始めました。ヤマフジは何十年もかかって巨大化し、直径30~50センチにもなり樹木を覆い尽くしていました。それを切って放置しておくと半年か一年で枯れて落ちます。20m以上ある立ち枯れの落葉松や山桑も伐倒。2009年の秋で中の様になりましたが、まだまだ酷い藪です。明けて2010年の2月(右)。まだまだです。
 そして、そんな様子を見ていた人がいました。堂平大塚古墳の持ち主の故Kさんでした。知り合いになると山の整備に重機を出してくれました。友人たちも手伝いたいということで「妻女山里山デザイン・プロジェクト」が始まりました。除草や除伐作業を度々やってくれたお陰で、妻女山から陣馬平までの里山保全が急速に進みました。その様子は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】のコンテンツの一番下の「妻女山SDP」をご覧ください。藪を切り開いてギャップを作ったことで、鳥や昆虫も増えました。ニホンカモシカやホンドテン、タヌキ、ノウサギ、ヤマドリなども来るようになりました。ウスバシロチョウやシジミチョウ、オオムラサキも舞うようになりました。里山は人の手が入って生態系が保全されてきたものなのです。

 これは2014年4月下旬の陣場平。左の矢印の木の奥に菱形基線測点が小さく見えています。満開の花は、薬草畑の名残りで、わずかに残っていた貝母(編笠百合)です。最初8畳ほどだった群生地が、整備したお陰でここまで大きくなりました。毎年3月に芽吹き、4月下旬から5月上旬に満開になり、梅雨の間には消えてしまうスプリング・エフェメラル。春の妖精とも春の儚い命とも呼ばれる可憐な花で、茶花でもあり、薬草でもあります。ニホンカモシカが、この花畑の中で座って反芻している姿も時には見られます。毎年ブログで紹介しているので、満開の時期には花好きなご婦人たちが訪れるようにもなりました。綺麗ですが、全草がかなり強い毒草です。誤って食べると(百合根の様で美味しそうなのです)、呼吸困難に陥ったり、最悪死亡する可能性もあります。決して持ち帰らないでください。
 台風27号が発生しフィリピンに多大な被害をもたらしています。信州では80過ぎの老人が、経験したことのない暖冬と言っています。ヤマツツジやタンポポも狂い咲き。最大級のエルニーニョの影響でしょう。地球温暖化ではありませんが年明けが心配です。また上雪の大豪雪になるのでしょうか。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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