先主姓劉,諱備,字玄德,涿郡涿縣人,漢景帝子中山靖王勝之後也。
三国志
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三国志はまるごとが偽史である。要するに大嘘だ。これが正史として今でも伝えられているところに、中国の怖さがある。
史実の劉備は、20代そこそこで夭折している。体のいい、いい男だった。まれに見る美貌というほどではなかったが、人の気持ちをひくいい顔をしていた。たぐいまれな美質を有していた。
時代は、イエスの殺害があってさほど経っていない頃だ。彼はその失敗を、なにがしかの手で補うためにやってきたのである。馬鹿なことをした人間たちの歴史を、なんとかするために来ていたのだ。
だがその彼を待っていたのは、人間たちによる全否定という仕打ちだった。彼は見るからにすばらしい男であったのに、その当時、彼の周りにいた人間はそれを一切認めないどころか、すべてを否定したのである。ゆえに彼はそれだけで、ある日突然死んでしまったのだ。病死というのではない。霊魂が急に肉体から消えたのである。
馬鹿が馬鹿にしすぎたのだ。天使というものは時に、人間にひどいことを言われるだけで、こういう死に方をすることがあるのである。
霊的に高い存在というものは、感性が人間を越えている。だから否定的な冷たい言葉を浴びるだけで、生死にかかわる現象を起こしてしまうのだ。人はそれを十分に考えていなくてはならない。
北辰を務められるほどの高い魂には、人間の動物的な闇からくる恐ろしく汚い言葉を聞かせてはならない。馬鹿にされるだけで死ぬことがあるからだ。高いものとはそういうものなのである。
王というものが、王城と城壁で守られるのは、そういう下衆のはげしい文化から、王の魂を守らねばならないからでもある。
北辰を裸でおいておいてはならない。国を何とかできるほどの高い魂には、それだけのことをせねばならない。それは国として当たり前のことだ。
劉備玄徳は若くして死んだが、しかし死んでから、中国人は彼を激しく惜しんだ。あまりにいい男であったからだ。それゆえにあの、おそろしく壮大な偽史を創作したのである。三国時代などというものはなかった。曹操という人間はいて、魏という国はあったが、蜀も呉もなかった。諸葛孔明の美伝などはみんな嘘だ。
人間はいつも、馬鹿にして失ってしまったものの価値が後でわかると、あわてて何とかしようとして、こういうことをするのである。