世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ポーラースター・システム・28

2017-04-16 04:22:48 | ポーラースター・システム

結果を出さないと、この世界では生きていけません。
プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。

ウラヌス



   ☆


かのじょが天使たちにつけた星の名前は、この世界に定着しつつある。それは人類にとってよき道標になるだろう。われわれはこの世界に繰り返し生まれてくるが、生まれてくるたびに、これはこの人だと特定できる個性は少ない。彼はその一人である。

民主主義の堕落はもうこの世界に明らかに見え始めている。民主主義国家として最も洗練され進化しているはずの国に、恐ろしく滑稽な馬鹿が、人民の選挙で大統領に選ばれた。それが引き起こす害を、民主主義の体制は完全に防ぐことはできない。

人類の霊魂の進化を正しく導いていくために、国家は盤石の体制をしかねばならない。人々があらゆる表現を試みることができるために、国家は最低限の生活を、人民のために保証せねばならない。だが、民主主義では、安定を保証することはできない。独裁を防ぐために敷いている方法は、人民に痛いことを押し付ける。政治家に馬鹿をやらせないために、長期政権を阻もうとして定期的に行う選挙は、返って体制をくるくると変えて不安をあおる。また馬鹿高い政治資金を必要とし、汚職を引きよせて政治がまた汚くなる。

痛い馬鹿を押さえつけるために、繰り返し法律を制定せねばならない。法律ばかりが、巨大な大著に進化していく。だが、馬鹿がのさばることを防ぐのは、法律だけではできない。法律の穴など、探そうと思えばいくらでも探せるからだ。

愛の確立した人類の精神世界をバックボーンとし、新たな体制をこの世界に打ち立てねばならない。一言では言うが、それは簡単なことではない。馬鹿が染み込むまで人間は変わることはできない。人間が変わることができても、すぐに国が変わるわけがない。

必要なのは、プロセスだ。人間が自分をやり、積み重ねていく実行の積み重ねだ。

痛いことでもつらいことでも、やらなければ何もない。

個人の幸福だけを追い求め、国に責任を押し付けるばかりで馬鹿なことばかりやる自分をやめるだけでも進歩がある。自分という人間を作っていくために、今、何かをやらねばならない。

その真実が、国を作っていく。人民が、それぞれの自分を実行していくことによって、そのプロセスの中から新たな国が紡ぎだされていく。

それを導いてくれる星は、必ずいる。







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ポーラースター・システム・27

2017-04-09 04:13:09 | ポーラースター・システム

北極星を目指し
荒れる海を渡れ
てのひらのごとき
小さな島国よ

神の国から滴る
新たな希望を信じ
ひたすらに海を渡れ


アンタレス



  ☆


イギリスは、この世界に民主主義をもたらしたという責任を有している。実に民衆による権力奪取の革命は、フランスとイギリスによって起こった。ここから、世界中に広がっていった。

それは、人類世界に夢のような世界をもたらすかに見えた。愚昧な王権のエゴによって、民衆が苦しむことは二度とない。民衆がみなで幸福になれる、理想の政治体制がもたらされたかに見えた。

だが現実は、全く逆の方向に傾いた。

理想的自由を手に入れた民衆は、かつての王族のように、自分のエゴを満たすために動き始めた。自由になり、金を儲けることができるようになれば、彼らは真っ先に、自分の好きな女を好きなだけ手に入れるということを考え、それを、巧みに民主主義の理想に隠しながら、実行していったのである。

阿呆の段階の人間が、修行の進んだ良い人間をことごとく駆逐し、政治体制を巧みに利用して、政権に登るようになった。そして、民衆をエゴで動かし始めたのである。

何のことはない。王権が素晴らしかったころは、王になろうとした馬鹿が、民衆の方がよくなれば、民衆になって、権力を奪ったのだ。そして、国は一見豊かに平和な暮らしができるようになっているように見えて、裏町のようなところに黒々とした闇が生え群がった。美貌の女と自由にセックスすることができる、安易な天国を、馬鹿は営々と、国の陰に作り続けてきたのだ。

そこに、かつての王制にはなかったような、膨大な闇が生じた。阿呆が自由を手に入れて、好きなことをやったのだ。

これが民衆革命のもたらした闇なのである。理想の陰で、すべてが曲がり、さかさまになっていった。人々は、自由を享受しながら、目に見えない強権の鎖に縛られ、心がむしばまれていった。何も見えなくなった人間は、悪が正しいのだと思い込み、一層好きなことをやり始めた。そしてかつてない暴虐を実行し、とうとう女性を滅ぼした。

あくなき欲望がもたらした世界は、女性のいない砂漠のような世界だったのだ。

われわれはこの事態を打開するために、北辰制を提示し、そこを目指すことにした。

それは、真実の愛による政治体制である。

これは、まことに、はかない夢のような理想論に見えた。だが、希望はいつも、神の国から降って来る。

2017年、とうとう人類は進化の扉を開けた。魂の感性が開き、心の世界が見えるようになったのだ。真実の愛を、人類は見分けられるようになった。

これは、北辰制が、決して夢ではなくなったことを意味する。

人間はもう、悪の正体がわかった。そして、愛の価値を理解することができた。そしてここから、新たな体制を作ってゆくべき道を、探っていくことができるようになったのである。

われわれはそれを祝福する。

愛の政治体制を目指すものは、イギリスに向かいなさい。そこで導きがあるだろう。なぜならイギリスには、この世界に民主主義を生み出した、責任を有しているからである。

やらねばならない。







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ポーラースター・システム・26

2017-04-02 04:13:48 | ポーラースター・システム


八月己亥、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑ひて曰く、丞相誤れるか。鹿を謂ひて馬と為す、と。左右に問ふ。左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に阿ねり順がふ。或ひは鹿と言ふ、高因りて諸の鹿と言ひし者を法を以て陰かに中つ。後、群臣皆な高を畏る。


史記・秦始皇本紀



  ☆


有名な、馬鹿の始まりである。秦始皇帝の息子、二世皇帝胡亥に趙高という佞臣がいた。彼は始皇帝に寵愛され、胡亥のお守り役を拝命したことを元に二世皇帝の信をも得て権勢を誇ったが、ある時数々の失策がばれるのを恐れて胡亥を暗殺しようと企てた。そして群臣が自分に従うかどうかを試すために、胡亥の前に鹿を連れて来て、これは珍しい馬だと言ったのである。これ以上説明の必要はあるまい。

始皇帝は知謀に優れ、天与の美貌もあって、多くの人間を回りに集め、権力者になり、中国を統一した。そして秦の繁栄が永遠に続くことを願って、始皇帝と名乗った。その治世には貨幣の統一や交通規則の制定など、国家の形態の骨組みを作ったが、その権力を用いて人民に過重な苦役を課し、万里の長城や阿房宮や始皇帝陵などの巨大な建造物を造らせた。

人民の苦など屁とも思わず、ただ自分一人のために、多大な数の人間を厳しく働かせたのである。

人間が思い描く、権力というものの幻想の、最たるものであろう。馬鹿でも強大な権力さえあれば、なんでも願いがかなうという、思い上がった人間の究極の姿である。

始皇帝は人間を信じなかった。金と権力を与えれば思いのままにできる馬鹿だと思っていた。ゆえに周りに、賢くやってうまく取り入れば何とかなるという馬鹿が集まった。

二世皇帝胡亥の周囲に佞臣の謀略が繁茂するのも当然のことだった。

始皇帝の夢はその死の前からすでに崩れていたのである。圧政に反抗する勢力や佞臣の謀略の前に、秦は自らの繁栄が幻となっていることを見抜けず、すぐに滅び去った。

秦の始皇帝は名を政と言い、秦王子楚の子であったというが、実はそれは疑わしいという伝説が残っている。それは政の若いころからささやかれていた。正当な王子ではないという不安は当時から彼の心中に巣くっていたと思われる。

真実をここでいう必要はない。ただ、この世界で最も強大な独裁権力を誇った王が、先王の実子ではなかったという伝説が残っているのは興味深い。

あれは、本当の王ではなかったのだという、まことしやかな噂は、今でもどこかでささやかれているだろう。馬鹿という言葉は、この王の経歴から生まれてきたのだ。それは図らずも、始皇帝は王ではない、馬鹿が化けている偽物の王にほかならないという、神の隠喩にもなるのである

始皇帝という存在の系譜に、ヒトラーがいるということを、押さえておこう。







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ポーラースター・システム・25

2017-03-26 04:13:01 | ポーラースター・システム


舜曰く、嗟、伯夷、なんじをもって秩宗となす。夙夜これ敬しみ、直なれや。これ静絜なれ、と。伯夷、夔・龍に譲る。舜曰く、然り、と。夔をもって典楽となし、稚子を教えしむ。直にしてしかも温、寛にしてしかも栗、剛にしてしかも虐するなく、簡にしてしかも傲るなかれ。詩は意をいい、歌は言を長くし、声は永きにより、律は声を和す。八音よく諧らぎ、倫をあい奪うことなくんば、神人もって和せん、と。


史記・五帝本紀



  ☆


禅譲は中国の故事からなる言葉であるが、この美しい譲位の形が行われたのは、ほとんどこの事例だけである。昔から王位は血流のみによって決まっていた。

王の息子は必然的に王になる運命を与えられた。これはすぐに馬鹿になった。父から子へ、徳分は移るが、その人徳や力量が遺伝するわけではない。

霊的世界から操作して、偽りで王家に生まれてくる馬鹿が絶えなくなった。ゆえに孔子が生まれた頃には、ほとんど王の徳による善政など望めない世の中になっていた。馬鹿ばかりが偉い地位を独占し、贅沢ばかりをした。見目好い女を後宮に集め、色事に専心し、政治向きのことはほとんど臣下にまかせる王が多くなった。

王宮には追従や虚偽、讒訴、放蕩など、あらゆる汚濁が繁殖した。

実質、後世において、王というものには頼るべき人格などなく、ほとんど子孫を作ることのみに存在するようなものだという評価が付されたのは、馬鹿のこういう活動によるのである。

王家に生まれることさえできれば、王になり、権力も女もほしいままにできるのだと。血流を頼りとして国王を選んでいたのでは、こういう馬鹿がこれからも繁殖するだろう。

北辰制においては、譲位するときは、尭から舜への譲位の形を学んでいこう。これは説話などではなく、遠い昔の人徳ある王が行った実話なのである。

尭というよい王が、舜という人徳の厚い青年を見出し、それに国をまかせるために努力したのだ。

北辰は、次の北辰を見出すための努力もしていかねばならない。人徳が深く、国を愛し、人々の見本となる美しい生き方のできるものを見出し、そのものに、三顧の礼もして、国を頼まなければならない。








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ポーラースター・システム・24

2017-03-19 04:15:43 | ポーラースター・システム


マズダー・アフラよ、御身のよき王国に、われらはいつの日までも到達していたいものです。男子であれ、女子であれ、よき支配者のみが両界においてわれらを支配してほしい。世にあるものどものうちにて最も恵み深き御身よ。


アヴェスター



  ☆


ザラシュトラはゾロアスター教の開祖だが、現代に名の残る天使の中では、クフと舜の次に古い名である。正義の神アフラ・マズダーを最高神とし、世界では善神と悪神の戦いが展開されるが、最後は善神の勝利で終わるとされた。

このような正義の神は、悪を許す馬鹿のわがままが、限定的でありながらも大幅に許される民主主義世界では、勧善懲悪のテレビドラマの中に飼われる滑稽な馬鹿者の夢にされる。

正義を真正面から主張すれば、どんなに美しい人間でも、大勢の馬鹿に総攻撃をされ、無理矢理道化に落とされて、途端にたまらないことになる。それが現実というものなのだ。長いものには巻かれろで、馬鹿の無言の支配に、上手に従うもののほうが賢いのだ。

表向きには、社会を支える善良な市民の顔をして、酒場の陰から入れる嫌なところで、法律の網目の隙を作り、獣のようなエゴを満足させている。そういう馬鹿者のほうが正しいのだ。人間など、所詮悪いことをする感情を我慢できない、糞のようなものなのだから。

だが、正義が廃れてしまえば、人間はまさに糞になる。正義を真っ向から否定する馬鹿は、馬鹿が世界を支配し、なんでもわがままが通用する永遠の幸福の国をつくろうと、やっても何もならないことを繰り返す。悪は人間を苦しめるものゆえに、苦しみがあらゆる反動を産み、世界に魔道が広がる。馬鹿の野望は何度やってもすぐに反動を浴びて崩れる。そして同じことばかりを何千回と繰り返し、そのたびに増えてくる罪量に溺れ、我を見失い、破滅の坂を猛スピードで落ちていくのを、隠れた善神たちが支えてくれていることにすら、気付かない。

善神の支配とは、悪神の支配とは違う。悪神などというものは存在しないが、それに等しいほど大きく見える悪のこう勢が、世界を支配しようとするとき、世界は滅亡に大きく傾き、人々は自己存在の真実の幸福をめったやたらに痛めつけられる。あらゆる拷問が起こる。

善神の支配とは、真実の正義が馬鹿を圧倒することだ。正義は幸福を保証する。人民の真実の魂が活動できる世界を、営々と作って行ける世界への入り口を開く。

アフラ・マズダーの復活こそが、人類を真の幸福に導くだろう。

そして人間は、マズダーの正しい使いを、政治家に選べる体制を作らねばならない。







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ポーラースター・システム・23

2017-03-12 04:17:43 | ポーラースター・システム


義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。


スッタニパータ



  ☆


釈尊は大きく誤解されている。彼は人を愛するなと人に教えたことはなかった。だが仏典には、愛すれば欲望が生じ、邪が起こるとして、それを乗り越え、虚無のような静寂の境地に向かえと書いてある。

それは全くの嘘である。

愛することが間違っているのなら、なぜ釈尊は人間の世界に来たのか。邪局にとらわれるとわかっていたら、人間に近寄ることもしないだろう。

自己存在にとって、愛することは、宿命よりも濃く自分の本質にかかわっている。それがなくしては、自己存在とは言えないというほど、当たり前のことなのだ。よってそれを否定することは、自分で自分を自己存在ではないと宣言することに等しい。

ではそれを宣言する者は何なのか。虚無には宣言することなどできない。自分が自己存在ではないということができるのは、自己存在に他ならない。

このような矛盾の中にいる限り、自己存在は迷妄の中をさまよい続ける。仏法は、未だに、そのような黎明期の停滞に似た域を最上のものと見ているのである。どんなにがんばっても、そこに救いはない。

釈尊はすばらしい王である。人間に高い道を教えに来ていた。だがその心が高すぎたので、人間は大きく彼を誤解した。彼の無欲なことを真似しようとして、極端に走り、自分の欲を全く否定してしまったのが、仏教のもともとの間違いなのである。

彼が無欲なのは、地上の欲というものが小さなものであることを知っているからだ。彼はもっとすばらしいものがほかにあることを知っている。だが人間はまだ若く、それを知らない。彼は、無明の闇の中で迷っている人間世界の苦しみを見て、救いに来ずにいられなかったのだ。それが王の愛というものだ。

これが邪局というのなら、人間は何を頼ればいい。

人間は学び、真実の愛の姿をつかまねばならない。








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ポーラースター・システム・22

2017-03-05 04:16:18 | ポーラースター・システム


相手にスキがないと盗塁はむずかしいのですが、
スキさえあればいくらでもできます。
負けているなかでも粘りが見えてこないと、可能性も見えてきません。


鈴木一朗



  ☆


北辰制をこの世界に打ち立てるためには、まず人類社会の中に、その人格と愛を見抜ける高い精神性を持った人間の集団を作らねばならない。

深い人生経験を積み、高い教養を積み、国をまことに愛する人間を、恒常的に機能させることのできる、何らかの形がなければならない。

その人間たちは、馬鹿に政治を任せておけばどうなるかということを、身に染みてわかっているものでなければならない。

この何千年かの人類の苦しみはただ、馬鹿が嘘と盗みで神の位を強引に我が物にし、高い人格の仮面をかぶって為政者となり、人類社会からあふれるほど血を吸ってきたからだ。独裁主義というものは、自分だけが楽に生きられればいいという、獣の自己保存欲に根差した、暗い境地なのである。愛を知らない馬鹿だけが、それをやれる。人の苦しみなど、ほとんど感じることができないからだ。

そしてその無明の野獣は、巧みにレトリックを弄して、民主主義社会の中にも黴菌のように生き抜くことができるのである。

その害はあまりにも大きい。

人間社会の政治の中心に座すべき精神は、高い愛の真実を自分の中に見出し、すべてを愛の元に幸福に導く、神の心を素直に表現できるものでなければならない。その瞳は澄んでまっすぐに人を見る。口から出る言葉は品よく、人の心にするすると入っていく。表情は落ち着き、整っている。気高さゆえに、会うものの心をも引き締める。そういう高く正しい人格が中心に座せば、政治から悪は浄化され、自然に何もかもがよくなっていく。

今の世界は、全く光の見えない、絶望が永遠に勝利するかに見える世界だ。馬鹿が世界で最も高い為政者になり、人間を堕落の底に突き落とそうとしている。

だが、希望を見失ってはならない。何かをやれるはずだ。まごうかたなき絶対の暗闇の中からも、人間は何かを始めることができる。

裏切ってはならない自分を、決して裏切らず、まっすぐに自分ができることをやればよい。真実の姿とは何なのかをつかめば、やらねばならないことはおのずとわかって来る。

粘りというものは、人間の骨の中で生きている。やればよい。北辰は真っ暗闇の中にも存在している。それを信じてやればよい。

そこからすべては始まる。






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ポーラースター・システム・21

2017-02-26 04:12:56 | ポーラースター・システム

イエスが彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大勢なのですから」と答えた。そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。

マルコによる福音書


  ☆



馬鹿は大勢になると狂う。自分の力を過信し、自己の燈明を下げ、暗黒の自我に巣くう獣性に自分を下げて、あらゆるものを食い始める。

愛は善と美の衣をまとい、秩序の光ですべてを導き、世界を幸福に創造していくものだが、獣性の暗黒は、ただ自分を生かすという目的だけのために、あらゆるものを暴力的にむさぼるのだ。

嫉妬が巨大な妖怪になり、愚昧が巨大な糞の山になる。

それが獣のように小さいうちはまだいいが、人間のように霊魂が大きくなり、それなりの知恵がついてくると、それは膨大な悪に発展する恐れがある。

獣的な性欲を満たすだけのために、最も美しい女神を犯そうとして、馬鹿は大勢の暗黒に飛び込み、あらゆる法則を捻じ曲げて、暴走して恥じない。

民主主義は、このような獣性の暗黒に、権力を渡す可能性があるのである。そして国を女のように犯して殺そうとするのだ。

人民の中には、大勢を味方につけて権力を手に入れれば、好きな女を好きなだけ犯せると思っている、馬鹿がたくさんいるからだ。

このような人民の中に巣くう獣性を飼いならし、国に善を流し、人民を真に幸福にする政治を敷くためには、自己存在の理想を具現する、高い人格を中心に据え、それをあらゆる活動の目当てとできる政治の形が最もよいのである。これを北辰制という。

それは絶対王政に似ているがまた違う。

絶対王政は上から無理やり下ろすものだが、北辰制は人民の方から自ら立ち上げるものである。

大勢の権力である民主制がどのような乱を国に落とすかということを学んだ人間は、愛の重要性を知り、自らの手で、美しい北辰に等しき愛の人格を、政治の中心に据えねばならない。






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ポーラースター・システム・20

2017-02-19 04:13:04 | ポーラースター・システム

私が次に述べることを信じてほしい。愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことが出来ないということを。

エドワード8世



  ☆


ご存じ、「王冠を賭けた恋」を演じた王である。イギリス王エドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するために、王位を捨てた。

とんでもないわがままだと思うがね。事実上政治権力はなくとも、国運を背負う王であるならば、恋愛など捨てなければならない。自分好みのかわいい女よりは、王妃をやっていけるだけの徳も人格も持つ女性をパートナーとして選ばなければならない。

これは、なんのために馬鹿がずるをやって王位を手に入れたかという、本音が現れた事件だよ。要するに、馬鹿は王になって、それで極上のいい女を手に入れたかったのさ。それだけだ。だから、いい女と結婚するためなら、王位も国もどうでもいいということなのだ。

こんな馬鹿が王になどなって、国がよくなるはずはない。

イギリスは民主主義をこの世界に立ち上げた国の一つである。形骸的であるが、まだ王制を保持している。こんな馬鹿な王も見てきた。ダイアナの教訓もある。いいね。

これを生かさない手はない。

人民の教養も高い。

真に国をよくするために必要な真の愛を、どうやって政治に取り込んでいけばいいか。
真剣に考えることのできる人材を出してほしいね。






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ポーラースター・システム・19

2017-02-12 04:14:26 | ポーラースター・システム

パンがなければ、ケーキを食べればいい。

マリー・アントワネット(伝)



  ☆


ご存じ、フランス革命に火をつけた悪名高き女性である。美しく見えるが、派手な衣装をまとった女の薄い目つきに、教養の浅さを感じることをごまかすことはできない。

偽物の王は、人民をだますために、王から王の姿を盗む。悪魔が神の仮面をかぶって人をだますように、真実の王から王の姿を盗むのだ。それをかぶって、人民に言うことを聞かせようとするのである。

だから馬鹿は、あらゆる霊的技術を使って、美しく立派な姿を手に入れようとするのだ。このマリー・アントワネットも、霊的技術の粋を尽くして、作ってあるんだよ。失敗する例もあるが、そういう時は豪奢で品のいい衣装でごまかす。

この女の正体は、もっと不細工なんだが、かわいい女の顔を盗み、肌を白くするために、馬鹿なものを霊体に塗ってあるのだ。それで、いやらしいくらいにきつい、変な美女ができるんだよ。ある程度はだませたが、馬鹿はごまかせない。自分の欲望を満たすことのみをひたむきにやって、人民に見抜かれ、馬鹿になった。

馬鹿が汚しに汚した王制は、この女とともにギロチン台に消えたと言ってよい。

ならば、本当の王はどういう姿で来るか。愛は常に美しく立派な姿で来るとは限らない。愛する者の心のために、自在に、どのような姿をとってでもやってくる。

ちびで不細工な姿でやって来る時もあれば、立派な王そのものという姿でやって来る時もある。貧乏なやせぎすの男で来るときもあれば、ふっくらとした普通のおばさんの姿でやってくるときもある。愛には姿などどうでもよいのだ。本当の愛がありさえすれば、それは美しいものだからである。

昭和天皇は貧相な小男だった。天智天皇は小太りの普通のおじさんだった。

あなたがたは、形でなく、心で真の愛を見抜く訓練をしなければならない。人民のために本当の愛を発揮してくれる、真実の王の魂を見抜き、それを北辰に据えなければならない。

愛というものが、どういうものであり、どういうことをしてくれるものなのかを、つぶさに学び、それを実際に生かしていかねばならない。






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