髪ゴムに直接レースを編みつけた、髪飾りです。(シュシュというらしいです。)初めて、ビーズを編みいれてみました♪ それと、その応用で作ってみた、小さなカーネーション。母の日はとっくに終わりましたけど、なかなかかわいいでしょう。でも、とてもわたしはつけることができません。
ビーズつきのほうは、結婚式にでもつけていこうかな? それだとなんとかなりますか? レース編みは、編むのはとても楽しいんだけど、さて、これをどう使おうかなと思うと、困ることが多いですね。いっぱい編んでたまったら、結局は、バザーに出すか、友達にみんな分けてしまうかだろうなあ。それとも、ずっと置いとこうかな。貯めていくのも面白いですし♪ 自分の上達の歴史がわかる宝物ていうのにも、なりそうだな。やっぱり、自分だけの宝物にしておこうかな。それがいいかな♪
小さなパールビーズをレース糸に通していくのは、なかなかにこまかで根気のいる仕事です。最初はなかなか通せなくて、苦心しましたが、やっているうちにコツがわかってきて、すいすい通せるようになりました。直径5ミリ以下の小さなパールビーズを、爪先につまみながら思ったのは、いったいこんなの、だれが作ったのかしら?ということ。小さなパールビーズ、どうやってつくるのかしら。きっと、どこかの小さな工場で、特別な機械を使って、誰かがつくっているのだろうな。その機械は、どんな形で、どんな使い方をするのかな。
その人はどんな人で、給料はいくらくらいかな?とか。おじさんかな、おばさんかな、とか、子供はいるのだろうなとか。かせいできたら、家に持って帰って、みんなで一緒に食事をするのだろうな、とか。テレビをみてたわいない話をして、なんとなく一緒にいる幸せを、棚の上においといて、忘れてることにして、そしてなんとなく、これでいいんだなって感じで、なんとなく幸せなのかな。
そういうばかみたいなことを考えます。小さなパールビーズを、何のために作るのかを考えるとき、人が一番最初に考えるのは、生きていくため。お金をかせぐため。でも、本当の理由があるのには、なかなか気付かない。なぜ人が、かわいい小さなビーズを作るのか。それは、パールビーズが、美しいから。人間がそれを、とても愛しているから。
だれかが、どこかで、こんな小さなビーズをたくさん作ってくれるので、わたしは一人の引きこもり部屋で、ビーズつきのかわいいシュシュを編むことができる。それで、生きるための大切なことを、することができる。小さなビーズの美しさを、魂に食べさせて、生きていくこと。美しさがなければ、人は生きていくことができないから。
だれかがこうして、助けてくれているのだ。どこかで、だれかがいつも、愛してくれているのだ。だからこうして、必要なときに、必要なものがやってくる。美しいものが、すべてを助けるためにやってくる。
これが愛の響き。
助けてあげるよ。なんとかしてあげるよ。なんでもないんだよ。それが当たり前だからさ。やってあげたいのさ。だってそれでないと、ほんとにつらいから。君を助けられないのなら、なぜわたしは、ここにいるのだろう?
小さなビーズをつくること。わたしにはできるんだもの。
苦しまなくていいんだよ。君はばかじゃないから。小さな手を、自分のために使ってごらん。それを愛してごらん。それだけで君は、かわいいから。
小さな手を、愛のために使うことを、自分で、やってごらん。ちっぽけなことでいいんだよ。できることでいいんだよ。へたっぴでもいいんだよ。まだうまくできなくて、ばかみたいな失敗になったら、小さな自分の宝物にして、次をやってみようね。
かえっておいで。もういいんだよ。みんな、わかっているから。
もうわかっているから。ほんとうのきみが、いちばんつらいのは、なんにもできない自分のために、みんなが苦しむことだって。
愛が、すべてをやってくれているのに、自分だけが、ちっぽけで、なんにもできない。それがずっと苦しいんだって。
帰ろう。もう、じゅうぶんに、つらかったね。もうやめよう。
もういいんだよ。