世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

愛の響き・7

2008-07-08 09:50:11 | 有為のしらべ

髪ゴムに直接レースを編みつけた、髪飾りです。(シュシュというらしいです。)初めて、ビーズを編みいれてみました♪ それと、その応用で作ってみた、小さなカーネーション。母の日はとっくに終わりましたけど、なかなかかわいいでしょう。でも、とてもわたしはつけることができません。

ビーズつきのほうは、結婚式にでもつけていこうかな? それだとなんとかなりますか? レース編みは、編むのはとても楽しいんだけど、さて、これをどう使おうかなと思うと、困ることが多いですね。いっぱい編んでたまったら、結局は、バザーに出すか、友達にみんな分けてしまうかだろうなあ。それとも、ずっと置いとこうかな。貯めていくのも面白いですし♪ 自分の上達の歴史がわかる宝物ていうのにも、なりそうだな。やっぱり、自分だけの宝物にしておこうかな。それがいいかな♪

小さなパールビーズをレース糸に通していくのは、なかなかにこまかで根気のいる仕事です。最初はなかなか通せなくて、苦心しましたが、やっているうちにコツがわかってきて、すいすい通せるようになりました。直径5ミリ以下の小さなパールビーズを、爪先につまみながら思ったのは、いったいこんなの、だれが作ったのかしら?ということ。小さなパールビーズ、どうやってつくるのかしら。きっと、どこかの小さな工場で、特別な機械を使って、誰かがつくっているのだろうな。その機械は、どんな形で、どんな使い方をするのかな。

その人はどんな人で、給料はいくらくらいかな?とか。おじさんかな、おばさんかな、とか、子供はいるのだろうなとか。かせいできたら、家に持って帰って、みんなで一緒に食事をするのだろうな、とか。テレビをみてたわいない話をして、なんとなく一緒にいる幸せを、棚の上においといて、忘れてることにして、そしてなんとなく、これでいいんだなって感じで、なんとなく幸せなのかな。

そういうばかみたいなことを考えます。小さなパールビーズを、何のために作るのかを考えるとき、人が一番最初に考えるのは、生きていくため。お金をかせぐため。でも、本当の理由があるのには、なかなか気付かない。なぜ人が、かわいい小さなビーズを作るのか。それは、パールビーズが、美しいから。人間がそれを、とても愛しているから。

だれかが、どこかで、こんな小さなビーズをたくさん作ってくれるので、わたしは一人の引きこもり部屋で、ビーズつきのかわいいシュシュを編むことができる。それで、生きるための大切なことを、することができる。小さなビーズの美しさを、魂に食べさせて、生きていくこと。美しさがなければ、人は生きていくことができないから。

だれかがこうして、助けてくれているのだ。どこかで、だれかがいつも、愛してくれているのだ。だからこうして、必要なときに、必要なものがやってくる。美しいものが、すべてを助けるためにやってくる。

これが愛の響き。

助けてあげるよ。なんとかしてあげるよ。なんでもないんだよ。それが当たり前だからさ。やってあげたいのさ。だってそれでないと、ほんとにつらいから。君を助けられないのなら、なぜわたしは、ここにいるのだろう?

小さなビーズをつくること。わたしにはできるんだもの。

苦しまなくていいんだよ。君はばかじゃないから。小さな手を、自分のために使ってごらん。それを愛してごらん。それだけで君は、かわいいから。

小さな手を、愛のために使うことを、自分で、やってごらん。ちっぽけなことでいいんだよ。できることでいいんだよ。へたっぴでもいいんだよ。まだうまくできなくて、ばかみたいな失敗になったら、小さな自分の宝物にして、次をやってみようね。

かえっておいで。もういいんだよ。みんな、わかっているから。

もうわかっているから。ほんとうのきみが、いちばんつらいのは、なんにもできない自分のために、みんなが苦しむことだって。

愛が、すべてをやってくれているのに、自分だけが、ちっぽけで、なんにもできない。それがずっと苦しいんだって。


帰ろう。もう、じゅうぶんに、つらかったね。もうやめよう。

もういいんだよ。






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愛の響き・6

2008-07-07 14:15:13 | 有為のしらべ

巻き薔薇のコサージュです。本に書いてある通りに作ってみたんですけど、ちょっと失敗してしまいました。レース針の扱いはなんとかなるんですけど、縫い針は苦手なのです。でも、ちょっと不器用な感じが、かわいく見えないこともないかな?

レース編みは楽しいけれど、自分に似合うものは、ほとんどないですね。作るだけが楽しみです。娘がいれば、喜んでもらえるんだけど、男の子ばかりだから、こういうときは、ちょっとつまらない。女の子は、かわいいものや小さなものを、喜んでくれるんですけどね。

喜んでくれるのは、なんでかな? いいものをもらえるから? うれしいから? いいえ、作ってくれた人の、あげたいっていう気持ちを、愛してあげたいから。わかるから。愛はいつも、誰かのために、何かしてあげたいって思ってるってこと。その美しい気持ちを、大切にしてあげたいから。

だから、やさしい子は、ありがとうっていって、喜んでもらってくれるのです。うれしいのです。愛を受け取ってもらったことが、どんなにその人を喜ばせているか、わかるからです。これが、愛の響き。わかるでしょ? ほんとうに、わかるのよ。その人の、ほんとうの気持ちが。だから、理屈ではなく、いつの間にか、ありがとうって言っている。喜んであげたいの。だって、その人はいつも、愛で、いろんなことをしているから。なんだってしてくれるから。おかあさんは、いつだって、そればかりだから。

愛は、与えるものも、受け取るものも、幸せになる。小さな薔薇のコサージュをもらった。どこにつけましょう。かわいいドレスがあるから、それにつけましょう。これは、あの人にもらったの。あの人が、やさしい気持ちで作ってくれたものだから、それをつけると、とってもかわいくなるよ。

愛はいつも、みんなを美しくするよ。そして、懐かしい魂の国からの歌を、聞かせてくれるよ。目に見える風景の奥から、愛が聞こえるよ。

どんなことでも、やってあげるよ。なんでもしてあげるよ。みんななんてかわいいんだ。なんだってあげるよ。すべてあげるよ。

苦しくはないよ。つらいときもあるけれど、いけるよ。どんなことがあっても、ついておいで。いつもいっしょにいてあげよう。君は見えないかもしれない。わからないかもしれない。でもいつも、そばにいて、なんでもおしえてあげよう。怖くはない。みんなが、助けているからね。

愛してるよ。なぜなら君は、わが子だから。

星々の響きが、風のささやきが、いちばん遠くていちばん近い、美しい神様の声を教えてくれる。わからなくても、きこえなくても、それに少しふれるだけで、とても幸せなんだ。だれにでもやさしくしたくなる。

これが愛の響き。ただ、わたしがここにいる。それだけで、いちばんやさしいことを、愛する人のためにしてあげたくなる。

愛の響き。


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愛の響き・5

2008-07-06 13:57:08 | 有為のしらべ

アイリッシュ・モチーフを組み合わせて作ったコサージュです。小さいパールビーズも使って、気分はすっかり女の子♪ でも、わたしにはとても似合いそうもありません。だれかにあげようかな。

お花を胸につけると、女の子はほんとにかわいくなりますね。なんでだと思いますか? それはね、お花が、ずっと、女の子を助けてあげてるから。女の子は、大変なのです。愛で、なんでも一生懸命にやっても、みんなに馬鹿だって言われるの。それは、この世界は、クールに、エゴイスティックにやれるほうが強いから、そっちがかっこいいからってことに、なってたから。

愛だけで、なんでもやってしまうのは、まるで召使みたいで、ばかみたいなものだってことになってたからなんです。

女の子はずっと、だれかにいばられて、馬鹿だって言われて、いろんなことを、苦労してやって、みんなのために働いて、それで、なんでもない馬鹿になって死んできたから。それで、いやだってこともいうことができないで、皆がつらいことにならないように、がんばってきたから。

だから、花はいつも、女の子を助けてきたのです。女の子が、どんなにがんばっているか、わかっていても、人間はみんな、知らん振りしてしまう。だから、お花がそっと寄り添って、女の子を、きれいにきれいにしてきたのです。お花が、女の子を好きだっていうのよ。なんでって、とってもまじめにがんばっているから。だから女の子には、お花が似合うのです。

愛で、がんばっている人が、お花をつけると、とてもかわいくなるのは、花が、愛してくれてるからなんです。いつも見ているから。誰も見てなくても、わたしはわかってるから。だから、助けてあげるよって。お花がきてくれるのよ。

かわいくなって、みんなが君を愛してくれるようにしてあげたい。みんなが君を大好きになるようにしてあげたい。花はいつもそうやって、女の子のとこにやってくるのです。

これが、愛の響き。女の子に花が似合うのは、お花が、女の子を愛してくれるからなのです。

だれかが、きれいなのは、だれかが、その子を、愛してるからなんです。ほんとよ。

赤ちゃんが、かわいいのは、お父さんやお母さんが、愛してくれてるから。男の子が、すてきなのは、かわいい女の子が、好きになってくれるから。でも女の子のことは、男の子はあんまり好きになってくれないの。馬鹿だっていうんです。男の子が愛してくれないので、女の子は馬鹿みたいにちっぽけに見える。それが苦しくて、お花が助けてくれるんです。

愛の響きの、いろいろな美しい魂が、女の子を助けてくれたので、女の子は、とってもきれいになりました。これはほんとです。

美しいのは、愛だからなのです。愛しているから、愛されているから、美しいのです。愛の響きが、美しい魂の幸福を、胸の中で歌ってくれるから。だから、愛があれば、どんなものも美しくなる。

反対に、どんなに形がきれいでも、愛がなければ、とんでもなく、馬鹿みたいに見える。だって、愛してもいないのに、きれいだから。それはみんな、嘘だって、わかるから。それはね、とっても恥ずかしいことなの。

愛してもいないのに、愛してるふりをして、みんなに愛してもらって、自分だけ得をしたいんだって、言ってることだからなの。それは全然愛じゃないから、美しくないの。

愛の響きが逃げていくと、どんなに形が美しくても、きれいに見えないのです。それは本当です。

美しくなりたい人は、やさしいことやいいことをして、愛の響きに、耳を澄ましましょう。ほんとうに美しい人は、美しくなりたいとは、あまり思わないのよ。だって、美しかったら、みながつらいでしょう。だから、普段は抑え目にして、神様が許してくれるときにだけ、美しくなれたらいいなって思ってるの。それがほんとに、きれいな人。

美しい人は、美しいということを、ちゃんと勉強しています。それはね、服だとかお化粧だとか、そんなものじゃないの。愛と、美しさで、みんなのためにいちばんいいことをするってことなのです。

それができなければ、美人になってはいけないのです。

ほんとうよ。




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愛の響き・4

2008-07-05 10:17:16 | 有為のしらべ

からし色と淡いグレーのレース糸で、金と銀のお日さまとお月さまを編んでみました。そんな感じでしょ? 赤いのは、昨日のコースターと同じ編み方で、お星さま。火星か、アンタレスです。

こものの部屋カテゴリに分類したい気持ちなのですが、内容的に、こちらのほうに。一目一目こまやかに、レースを編んでいると、魂の波長が静かに、こまやかになってきて、愛が呼びさまされてくるんですよ。静かで、きめ細やかで、薄絹のようにやさしいほほえみの世界が、魂の中で開いてくる。

小さなレース編み、たくさん編んで、いつかだれかにあげましょう。いっぱい編んで、だれかにいいことしてあげたい。そういう気持ちになるだけで、幸せになってくる。そうして、日常のいろいろなつらかったこと、悔しかったこと、痛かったことが、だんだんと遠のき、薄らいでいく。

遠くからやさしい声が聞こえる。いいんだよ。わかっているから。おまえのことはみんな、知っているから。

そうやって一息ついたら、さて、やりましょうか。ほんとに大変だけど、やらなくっちゃ。元気出していこうね!

愛の響きの入口は、こんな小さなところにあるのです。普段はあまり見向きもしないような、当たり前にどこにでもあるようなところ。誰にでもあるような、普通のこと。そんなものが、とても大切な仕事をしています。

人間は知らない。愛が、とるにたらない、ばかみたいなものになって、いつもそばにいることを。

たとえば、さみしい年寄りのそばには、さりげなく、猫がやってくる。それが愛だってことに、人間はずっと気付かない。

さみしげなおばあさんの心に、温かい愛をともしてあげたい。そんなことを思った愛の魂は、人間でなく、猫の形を選んでやってくる。そんなこと、よくあるんですよ。だって、人間より、猫のほうが、自由に愛せるから。なんでもできるから。愛のためだけに、そばにいることができるから。

猫や、犬が、人間のそばにいるのは、人間があまりにさみしくて、苦しくて、いつも魂が泣いているから。愛の響きにいる見えない魂が、助けてあげたいと感じた時、猫や犬になって、やってくるんですよ。ただただ、そばにいて、助けてあげたい、愛してあげたいという魂は、人間よりも、猫や犬の形を選ぶのです。

そんなやさしい魂が、愛の響きの世界には、いるんですよ。

つらいことがあってもね、厳しいことがあってもね、愛の魂は耐えられるし、できることがあるから、猫や犬でも、やれるのです。ほんとうに誇り高い魂は、なんでもない馬鹿なものになってでも、みんなを助けてあげたいって考えるものなの。

そうりだいじんより、猫のほうが、ほんとは勉強が進んでるのす。だって、人間には、なんでもない猫になって、ただその人の幸せのためにそばにいるってことが、愛するためだけにその人のところにくるってことが、まだできないから。

人間はまだ、いっぱい勉強しなくちゃいけないから。

そうやって、みんなが助けにくるんですよ。





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愛の響き・3

2008-07-04 08:54:05 | 有為のしらべ

パイナップル編みの小さなコースターです。ラメ入りのレース糸で編みました。きらきらしてきれいですよ。これもお星さまみたいで気に入っています。

レース編み、だいぶうまくなりました。細い鋼のレース針で、繊細で丈夫なレース糸をひっかけて編むのが、ここちよい。どっちも頼りなくて細いのに、信じられないくらい強いんですよ。それで、とってもきれいなものができる。しばらく癖になってしまいそうです。編みたくてたまらなくて、手芸屋さんにいっては、きれいな色のレース糸を物色するようになってしまいました。

長編み三つの玉編みが、行儀よくひな壇に並んでいるのが、気持ちいいんです。自閉っ子はみょうなとこにこだわるんですね。階段状に模様を編んでいくパイナップル編みが好き。きちんとものごとがすすんでいくなって感じで。

ひきこもりの病人生活でも、好きなことをやれるのは楽しいな。楽しいことを、なんでもやってみれば、いいことがたくさんあって、幸せな気持ちになれます。大切なのは、「自分が好き」ということ。

最近は、テレビを見ても、妙に洗練されたきれいな感じのアニメだとかを、よくみます。ものすごくかわいくて、とってもきれいな色で、完成された!て感じの。それはもうおもしろおかしく、楽しく作ってある。でも、見てても、おもしろくない。つまらない。

きれいに作ってはあるけれど、こんなの昔、どこかで見たことがある、ていうのばっかり。それに何よりも、作っている人が、楽しくない、と言っている。なぜかな。

不思議ですね。画面を見てると、わかるんですよ。作っているひとの気持が。これもきっと、愛の響き。見えない何かが、わたしの心にささやいている。ことばにはならない、魂の秘密を。

この人はね、ほんとはこんなの好きじゃないんだ。目立ってるところで、すごいことをやって、人にほめられたいと思って、やってるんだけど、ほんとはこんなの、ぜんぜん好きじゃないんだ。

テレビだとか、ゲーノーカイだとか、そんなとこで、派手に、うるわしく、豪華にやって、すごいやつだといわれるのが、いちばんすごいことなんだって思いこんで、それを目指してやってきたんだけど、今になって、全然こんなの好きじゃなかったって、気づいたんだよ。だから、どんなにうまくやってても、苦しいんだ。

どんなにかっこよくやっても、苦しいのは、すべて嘘なんだってこと。うまいことやって、ずるいこともやって、一番自分がすごいやつになる。そういう賢いことをやれるやつが、すごいやつ。そう信じてやってきたけれど、大人になって、実際にそれをやってみたら、自分でやったことは何もなかったんだよ。みんな、馬鹿にして、自分が一番偉いんだってことにして、手下にやらせてきたから。

つまらないのは、自分では何もやってこなかったからさ。自分で、自分の好きなことを、やるのが、いちばん楽しいのにね。

なんのためにやってきたのか。こんなのみんな、馬鹿みたいだって思いながら、それでもこれが仕事だからって、やってる。いやなことじゃなくて、馬鹿なこと。

もうみんな、いってしまうよ。ほんとうの魂の世界に。それなのにまだ、古い色褪せた書割りの世界で、陳腐な芝居を、棒読みで続けている。

もういいんじゃないか? この脚本は、だれが書いてるの? どこで終わりなの?

もうみんな知っているよ。嘘がどんなに苦しいかってこと。

この世界では、一番立派な人が、一番みじめなのだ。嘘なのにやらねばならないから。真実の美しい世界が、苦い顔をして逃げていくほど、馬鹿なことばかりやってしまったから。

自閉のひきこもり部屋で、魂の世界とばかり話をしていると、見えない響きがいろいろなことを教えてくれます。

ひとりぼっちの部屋で、わたしは千万人の友達といっしょにいる。

テレビの向こうのあの人は、千万人の人に囲まれながら、たとえようもなくさびしいと言っている。

さてと。今日も一日、レース編みをしよう。結婚式のために、コサージュをこしらえようかな。それともまた、ドイリーを編もうかな。

できたらまた、UPしましょう♪


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愛の響き・2

2008-07-03 09:04:39 | 有為のしらべ

今、レースで、ドイリーをたくさん編んでます。花瓶敷きやコースターにする、小さな丸いレース編み。こうして並べて写真とってみると、なんだか星みたいですね。連星です。青と黄色で作ったら、アルビレオになるかな。

この写真の大きな方のドイリーは、一番最初に編んだもの。白いお星さまみたいのは、最近のです。お花やチョウチョの模様など、いろいろなドイリーがありますが、わたしはお星さまみたいに見えるドイリーが好きです。

編みながら、気分は「銀河鉄道の夜」というところ。

女性に生まれて幸せなことは、こんな小さな仕事で、なんだか幸せ♪という気分に浸れることですね。編みながら、誰にあげようか、どんなことをしようかなんて考えたり。かわいいコースターがたくさんできると、この上にきれいなコップをおいて、カルピスなんぞ注いだら、たいそう涼しそうで、うれしいだろうな。子供も喜ぶでしょう。

小さなことですが、さりげなくかわいいもので、ちゃんとしてあげて、飲ましてあげると、自分は特別なんだなって思いが、子供に幸せをいっぱい注ぐのです。おかあさんが編んでくれたコースターをしくと、特別すてきな飲み物に見える。おまえがとってもかわいい子だから、なんでもしてあげたいんだよって。それでこどもは、わたしは、とっても大切なものなんだって思えて、とっても幸せで、元気いっぱいになる。おかあさんは、大切な仕事をしてるんですよ。

もっとも、病中のわたしは、反対に、子供にやってもらってる感じですけど。みんな、がんばってくれてます。大切にしてくれてます。家事もほとんどできない母親を、なんとかしようと。

毎日、ご飯のしたくもままならないものですから、食事はよく、スーパーのお惣菜に頼ります。いろんなスーパーのお惣菜を買うのですけど、どれもあまりはおいしくない。やっぱり、気持がこもっていないから。作っている人が、仕事だから仕方ないていう感じで作ってるのが、わかるから。でも、それでも、家事のできない病気の主婦には助かります。ほとんど頼りっきりというところ。

けれども、最近、ある小さな田舎のスーパーで買った、さやいんげんの胡麻和えが、とてもおいしかったのです。これはきっと、とてもやさしいおばさんが作ったにちがいないと思いました。想像力の絵には、小柄で丸い感じの、50がらみのおばさんが、見えました。こんな人が、スーパーの裏側の、小さなキッチンで、こつこつとお惣菜を作ってるんだな。おいしいお惣菜を作る。そんな小さないいことを、ただただ、ずっとやってるんだな。

この想像はね、たぶん現実のおばさんとは、少し違います。でも、正しいのです。どういうことかわかる? それはね、愛の響きが、教えてくれるからなんですよ。

この世界には、見えない愛の響きが、いつも流れていて、愛を感じる心に、いつも大切なことを教えてくれるんです。愛に心を開いていれば、その大切なことが、ふっと、自分の心に何かをともすのです。

現実に、このお惣菜を作ってるおばさんは、子供をしかりすぎたり、お父ちゃんとけんかしたり、テレビで見るタレントに悪口を言ってたりするかもしれないんですよ。いろんなことがあるから、人間はいつもとんがってしまう。それでいつも、悲しい、悲しいと言ってる。でも、お惣菜を作ってるときは、そんな感じが少ない。きっと、料理が好きなんだろうな。気持ちがやさしくなれる。そういう、何気ない人間のやさしさに、愛の響きがよってくる。

そして、そのお惣菜を食べて、おいしいなと感じてる人の心に、教えてくれたりするんです。あの人が作ってるんだよって。でもそれは、はっきりとはわからなくて、わたしの想像力に、かすかに投影されるイメージになって、小さな幸せの響きになるんですよ。

テレパシーの芽みたいなものですね。本当にそんなこと、あるんですよ。

誰かを愛していたり、何かを大切にしていたり、こつこつといいことをがんばっていたりする人には、愛の響きがよってきて、見えないところで、助けてくれていたりするんですよ。

ほんとよ。

おかあさんには、そんな見えない幸せが、いっぱいよってくるんですよ。みんな、がんばっているから。

おんなのひとには、そんなことが、わかるんですよ。ずっと、あいしてきたから。

小さなレース編み一つなどに、たくさんの涙を忘れながら、みんな幸せになろうねって、がんばってきたんですよ。だから。

かみさまがよってくるんですよ。





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何の花?

2008-06-25 08:56:11 | 有為のしらべ

おとなりのおうちの、庭先に植えられている花です。変わった花で、ほかでは見たことがないので、いろいろ植物図鑑のサイトをめぐってみて、調べてみたのですが、わかりません。葉っぱがミントに少し似てるので、シソ科かな?と思うのですが、ご存じの方はいませんか?

これは花に見えますが、どうやらつぼみのようです。何というに、今は、ピンク色の小さな花が、この薄紅のさやの中からちらちら咲き始めているからです。最初はこれが花だと思っていたのですけど。

露が二つのって、まるで子犬の顔のように見えて、かわいいでしょう。

お花の話を、人間のことばに訳すのは、今日はお休みです。時々ね、わかりやすく人間の言葉に直すと、だいぶ長く説明せねばならないと感じることがあるからです。人間の言葉は、花にとったら、だいぶ、苦しいと感じるものです。つまりは、花にとっては少し単純すぎるのです。

また、人間は、言葉を嘘にしてしまうことを平気でやるので、とても難しいのです。本来は、言葉は、嘘になってはいけないものなのですが、人間は長い長い間、嘘をつき続けているので、人間の言葉は、花にとっては、少しやっかいなものでもあります。

花は、自分の形そのもの、存在そのもので歌い、語りますから。それそのものが真実ですから。うそがとてもいたい。それでも、愛でなんとかしてくれる。花は本当に、親切なのです。

花に心親しみ、その真実に触れ続けていると、人間の世界の嘘が、容易に見えるようになってきます。たとえば、テレビの中で踊っている女の子が、まるで薄っぺらな幻に見えたりするのです。ほんとうにきれいな女の子が、習った踊りを一生懸命に踊っているのですが、そして、とても美しいことを言っているのですが、その人の顔自体が、そんなのみんな嘘だよと言ってるのです。ほんとはみんな、馬鹿なんだよ、人間なんて。だって、みんなのやってること、知ってるもの。こんなきれいごとを、立派に嘘でやってのけて、みんなをだまして、それが人間なんだってことにしてる。馬鹿ばっかりだから、これでいいんだよって。

ほんとはみんなわかってるのに、こんなもんなんだよってことにして、苦しい現実から逃げている。もういやだよ。嘘ばっかりは。でも、なんでもないことにしないと、痛いんだよ。みんな嘘なんだよ。

苦しいよ。

きらびやかな幻が、すべて嘘だとわかっていても、やらなくてはならない。すべてないことにすることなど、できるはずがないことを、やってきてしまったから。目を閉じて、心を閉じて、ばかみたいな人形になって、やっている。すべてが、それだけになってしまったら、自分は、どこにいけばいいんだ?

わたしは、何なのだ?

本当の世界に帰れば、こんな苦しみなどすべてなくなる。本当に美しいのは、自分が、ほんとの自分であることだから。真っ正直に自由な自分は、そのまま愛だから。愛で生きることが、ほんとは一番楽なんだよ。だって、そのままでいいんだもの。

愛なんだよ。愛なんだよ。君は、愛なんだよ。花々の言っていることは、すべてそれです。それぞれに違うことばで、ずっと人間の魂に語り続けている。生きることが苦しいのは、君が、自分の最も間違ってはいけないところを、すっかり間違えてしまっているからだと。

さて、画像の花は、なんていってるんだと思います? それぞれに、自分で、訳してみてくださいね。簡単よ。花のことばを自分の一番やわらかなところに受け入れて、感じたことを、素直に書けばいいのです。

きっと、それぞれに、違うはずです。おもしろいのは、時々、まったく違った意味になったりすること。

花のことばは、それはそれは、美しくて、不思議なのです。みんな、それぞれに、感じたことは違う。でも、それが美しいリズムで魂に響いてくるなら。それはみんな、正しいのです。






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天使のダンス

2008-06-12 08:47:32 | 有為のしらべ

昨日は、小学校でお話し会がありました。私の当番だったので、絵本を2冊読んできました。

子どもたちが、たくさん聞きに来てくれました。プール掃除なんかがあったので、今日はあまり来てくれないかな?なんて思ってたんですが。うれしかったけれど、どきどきしました。うまくできるかな。

画像は、百均で買ったアイテムを並べて作った演出です。バンダナにレースのふちあみをして、かわいくしてみました。なかなかでしょう。拙いですが、図書室に、いつもとちがった幸せな空間をつくってみたかったのです。

練習のときとちがって、本番はやっぱり緊張して、うまくできなかったところがあったのですが、なんとか最後までやれました。2冊読み終えて、時間があまったので、最後に、予定ではなかっただしものもやってみました。

お話し会では、手遊びなんかをやるのが定番なんですが、わたしはなんとなく手遊びが苦手なので、座って踊れる「天使のダンス」というのを、考えてみたのです。好きな音楽にあわせて、手をひらひらさせて自由に踊るだけ、というダンスです。

このダンスの大事なとこは、まず、自分の真中で考える、というとこです。普段、人は、どこか、頭のふちっことか裏側あたりで考えてることが多いんです。そのほうが、楽だからです。人が嘘をついたり、あまりよくないことをするときは、いつも、どこか、自分の中心からずれたところで考えています。今の時代、あまり、自分の真中で考えるという人は、いません。それは、嘘でいくほうが楽だからなのですが、そればかりだと、苦しいときに、困ることになるのです。

だから、自分で意識的に、自分の真中に自分をもってくるような感じにして、実際に自分で自分をやる、という感じのダンスを考えてみたのです。

自分で、自分をつかって、自由に踊ってみるのです。それだけなのですけど、これがなかなか、楽しいのです。

まず手を顔のところにもってきます。「お花を咲かせてみましょう。自分の好きな花を咲かせてね」といって、顔のまわりで、手をゆらせたり、回したり、くねくね動かしてみたりします。動かし方は、自由です。自分が、回したい、と思ったら回す。上に伸びたいとおもったら伸びる。風にのって大きく動きたいと思ったらそうする。自分の自由なのです。

笑いたい、と思ったら笑います。目を丸くしたり、口をとがらせたりもしてみます。自由です。人に見られて恥ずかしい、という気持ちは、あっちにいってもらいましょう。歯をむき出しにしたり、バカっぽく見えたりなども、気にしない。笑いたいから笑う。楽しいから笑う。そういう感じで、自分の中で、自分を自由にやってみましょう。だれもばかにしたりしませんよ。みんな同じですから。

みんなで楽しく、「自分の自分」を、やってみようね。

そういうダンスなんです。天使のダンスと名づけたのは、笑うと、みんながほんとに、天使みたいに見えるからなんですよ。

自由に、ほんとの自分を表現したら、みんな、ほんとに、かわいいんです。楽しいから楽しい。ほんと馬鹿みたい。でもいいね。自由だね。なんでもない。自分でやればいいだけなんだよ。

でも今は、それがとても苦しくて、なかなかできないという子が多い。なぜなら、みんな、自分なんていいもんじゃないって思い込んでいるからです。昨日のお話し会でも、わたしに合わせて踊ってくれたのは、3人くらいでした。ほかの子はみんな、恥ずかしそうに、見ていただけでした。

でも、少しずつ、やっていこうと思います。これを覚えたら、得なことがいっぱいあるんですよ。つらいときに、とてもよく利きます。本当の自分であることの幸福が、この世で生きる苦しさを、消してくれるからです。つらくても、自分で踊るだけで、わたしはわたしだなって思えて、さあやろうっていう気持ちになるからです。

何よりも幸せなのは、わたしが、わたしであること。それなのだと、教えてくれるのです。

こどもたちにも、覚えてほしいな。

きっと役に立つでしょう。




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大根と飛行機雲

2008-04-26 07:05:18 | 有為のしらべ

なんだか眠れずに、朝早くから起きて、ブログを書いています。論語でもやろうかと本を開いてみましたが、ちょっと気分がそっちに向かわないので、やめました。

昨日は心身ともに調子がすぐれず、ずっとたわしばかり編んでいました。おかげでたくさん編めてしまった。こんな風に、泥の上を転がるように気分が重い日は、自分の感情活動を冬眠状態ぎりぎりまで低め、すべてを神様に任せるような感じで、手先だけを使う仕事をやると、なんとかしのげます。

苦しいときは、そんなに長く続くわけではない。胸も頭も、鉛で固められたように重かったのですが、目を覚ましてみると、それもだいぶ引いていました。

画像は、大根の花と、飛行機雲。これも、神様のわたしへのことば。まっすぐなやつよ。大根のように、不器用でまじめなやつよ。おまえを愛しているぞ。

苦しいときは、この神様のことばを思い出す。神様は、決してわたしを見捨てない。だからわたしも、わたしを見捨てない。どんなに苦しいことがあっても、乗り越えられる自分を信じて、前に進む。神様があきらめないから、わたしもあきらめない。高すぎる壁も、大きすぎる課題も、できるのだ、で、やってみる。やりつづける。ずっとやる。それで、なんとかするんだ。

無理強いだろうがごり押しだろうが、やりたいことは、やってみるんだ。馬鹿でも、ほんとうの自分が、やりたいということをやらないのは、愚かのきわみだから。

できるんだ。

と、いうことで、超低空飛行状態を、なんとかしのいでやってます。たわしを編むのもそろそろ飽きてきたから、またレース糸を買いに行こうかな。それとも、絵を描こうか。

新しいことをはじめる計画を、頭の中で練るだけでも、けっこう楽しいものですが。あ、マツバウンランの写真を撮りに行くのを忘れてる。

花の写真を撮ることが、いちばんいいかなあ。外に出たほうが、気持ちが晴れるでしょう。

ところで、ご近所のお庭の花ばかりめぐっていると、ときどきね、花がそのおうちの人のことを教えてくれるんですよ。このうちの人は、いい人だよ、でもね、とても悩んでいるよ、とか、このうちの人は、長いこと苦しかったけれど、最近ようやく楽になってきたよ、とか。花は邪気がないので、なんでも教えてくれるんです。聞かなくても、みんなわかる。

花のことばがわかるようになると、人間、うそはまったくつけなくなりますね。うそつきさんは、大変なことになりますよ。

ちなみに、花は、男性より、女性の方が好きです。なぜなら、女性は、あまりいばらないから。花の世話をよくしてくれるから。花は、人間にはわからないところで、ずっといいことをしてがんばってくれているのですけど、そういう人は女性に多いから。

やさしい女性のいるおうちの花は、みな美しいです。そして、美しいことをやっています。ほんとうにそうなんですよ。

今日は、少し遠出して、花の写真を撮りに行ってみましょうか。神様のことばも、新しいのが見つかるかもしれない。



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文化の崩壊

2008-04-24 10:22:34 | 有為のしらべ

昨日は、お話会に、子供の誕生日、家庭訪問と、行事が目白押しでした。なので、ぐったりと疲れました。でも、横になっても眠れず、またアクリル毛糸を取り出して、たわしをちまちま編んだりしました。人間、疲れすぎると、かえって眠れないんですね。

子供の誕生日には、新しい図鑑とゲームソフトを買いました。ちょっと不満そうでしたが、本はうれしそうに読んでいました。おもちゃは、ロボットだとか恐竜だとか、もう家に山ほどあるので、買いに行く気にもならなかったのです。いろんな新製品がいっぱい出ているんですけど、同じようなものが、ちょっとずつ変わりながら出てきてるなという感じで、もういいなって思うのです。

文化は、退廃を通り越して、崩壊しているという感じです。スーパーにいって、子供の服を買いに行ったときも、もういやになるくらい、変なものしかないの。こんなの、子供には着せたくないというのばかりなんです。Tシャツにもトレーナーにも、どぎつい模様がしみついていて、きらきらしたガラス玉や鋲なんかが、いやみなほどくっついている。色は、目に刺さるほど、痛い。

おとなし目、地味目なのをようやく何枚か探して、間に合ったという感じ。それでも、子供が着てると、なんだかうるさいなと感じてしまうんです。よけいなものがくっつきすぎてると思う。

最近の人は、そんなに飾らなくてもきれいだという人がたくさんいますよ。結婚式などに呼ばれたとき、よく思うんですが、女の子は、もうあんな派手なドレスや内掛けを着たら、ちょっと苦しいなって。教育や文化が進んで、女の子の内面が育ってきているので、服やアクセサリーで飾らなくても、それそのものできれいだという人がいっぱいいるんですよ。

品のいいスーツを着て、胸に花でもつけたら、それで十分だと思うんです。パールのネックレスはもういらないな。指輪もね。お化粧も最低限でいいと思う。

顔とか、スタイルとかじゃなくて、自分で自分をやっているよっていう、美しい自信が光っている。そんな人はもう、余計な飾りは邪魔なだけなんですよ。
笑顔だけでぱっと光る。

たくさん飾りをつけたり、必要以上に見栄えにこだわるのは、まだ子供のときか、自分に自信がなくて、自分があまり好きじゃないっていう人。要するに、今の服の流行は、もっぱらそういう人たちをターゲットにしたものだっていうか、そういう人たちがつくっているんでしょうね。

わたしも、自分の服は、できるだけシンプルなものを買ってます。早くこの流行が終わらんかな。それを着てると、みんなが馬鹿みたいに見えるんです。

ジブリ映画も、新作ができるんだそうですけど、今言いたいのは、もうやめなさいってことです。最高傑作は、ナウシカですね。ラピュタからはもう崩壊の兆しが見え始めている。

それはたぶん、そのころから、ミヤザキがタカハタをいじめ始めたからでしょう。ナウシカには、タエコ(おもひでぽろぽろ)のきつさりりしさが備わっているけれど、シータ以後にはそれがないかうすい。だから、キキやジーナなどには、男のずるさを隠したいかがわしさがにおう。

タカハタには、そういうミヤザキの欠点を補う力があったと思うのですけど、それを殺したから、とうとうコケてしまったんでしょう。

ジブリアニメの最大の功績は、人間の魂が最悪のことになっていた時代に、上質のものを提供し続けたことです。それで、あまりに苦しかった時代をながらえた人がたくさんいるのです。ジブリだけが、みんなのためにまじめにやってくれるんだと。

苦しいこともいっぱいあったけれど、なんとか今まで、命脈は保った、というのが、現状ではないでしょうか。それほどにみな、苦しんでいた時代だったのです。何もかも、馬鹿みたいにつらかった。

でももう、それもそろそろ終わる。今までと同じことの繰り返しでなく、また新しいことをやりはじめてほしい、というのが一ファンの願いなのですが。

力のある人は、タダでは終わらん人が多いので、また驚かしてくれないかな? ってとこなんですが。



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