かのじょが残した、最も簡単な肖像である。これ以上のジーザス・クライストの肖像を、かのじょは描けなかった。
さまざまに降りかかる苦難の中で、かのじょは自分にできる表現を探り続けていた。それは女性として生きる限り、続かざるを得ない忍耐の日々だった。
女性は、男性のように、高い技術を学ぶ機会を与えられることが少ない。残念ながら、男は、女が自分たちより優れてしまったら困ると言う理由で、あらゆる勉強の場から、女性を排除する傾向がある。
かのじょは絵の才能があったが、だれもその才能を伸ばそうとはしてくれなかった。すべて独学で、自己流の様々な工夫をしつつ、表現していった。
この作品にはそういうかのじょの、女性として苦悩が現れている。女性はさまざまな制限を受けながらも、できることを探りつつ、こつこつと表現してきた。その隠れた努力には、いつか正しい評価の光を当てねばならない。
方眼編で描かれたイエス・キリストは、こちらを向き、緩やかに右手を上げようとしている。彼はあなた方を見ている。
小さな作品だが、捨て置いておくには、あまりにもかわいらしい愛だ。
かのじょは、イエスに尽くしたかったのである。