基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

予報通り 三時頃より雨降り始める

2017-01-08 16:54:10 | 日記・エッセイ・コラム

 太平洋岸沿いを東に進む低気圧んがいよいよ坂東にも近づて来た、三時頃らしい雨がなからに勢いよく降り始めていた、上州平野部は雪にはならないようだが明日の朝の冷え込み具合での事わからない、雪にならないよう祈ります。

 現在室温十度C湿度四十だがエアコンを着けてようやく二十二度Cになった、寒の内だから当たり前の気温だ曇りで日が無いとこんなに寒いのか、上州の日照の多いいのには感謝しなければと思う瞬間である。

 八十爺今日は朝から居間で動かず新聞テレビのお付き合い、不健康この上ない生活ですマッコト困った事、先ほど四時半頃ようやく腰を上げ二階のPCの置いてある部屋へ上がってボチボチとキイを叩き始めた処 、情けない生活だ。

 これから皆さんの情報を見たり聞いたりしてみます、よろしく。


いよいよ寒さも本格的 はーるよ来いハーヤク来いと怒鳴りたい

2017-01-07 18:01:28 | 日記・エッセイ・コラム

 歳を取ると気短になるのか入ったばかりの寒の内なのに、もう早く来いと春を待つのだから、節分もだいぶ先春の芽吹きは梅のつぼみが幾らか膨らんだか、確かまだまだ気の長い話のようだ。

 朝新聞一誌のみ読んで先日言われた首のリハビリを思い出して出かける、十一時に多賀谷整形に到着受付直ぐにリハビリ室へ、赤外線照射、牽引、電気刺激、仕上げに全身マッサージで完了、この間三十分余8ぷんづつ四種類をするようノーリツ的だ。

 中二日置いたリハビリだがちょうど良い按配か、次回いや三回目は来週火曜にしようか、など考えながら丁度いた女性のリハビリスタッフや前回写し落とした赤外線照射器械を写して会計、帰宅する、昼少し前には帰っていた。

  赤外線照射器

    リハビリスタッフ

 昼過ぎは何時もの通り遣ることなし、三時過ぎに思いついて庭の水道栓やホースを水を通したり、水抜きをしたりこの寒さに備えて凍っても良いように準備して置く。

 日暮れもいまだ早く寒さも早い四時を回ると寒くなる、家に入り早く来いと春を待ちわびる八十爺である。


誕生日と言うけれど 戸籍法もいい加減

2017-01-06 17:48:21 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は誕生日と言うけれど 昔々お袋さん(母親の姉さん所謂伯母さん)に「Hお前は大雪の降る一月二日の朝に生まれたのだよ」と言われていたのであまり有り難くない誕生日だ。母は早くなくなりその顔を知らずに育ったので育ての親の伯母御を母ちゃんと思っていたのを、七歳の就学時に「母ちゃんじゃないんだよ」と言われて大きくなりいろいろ教わった一つだが、「Hの父ちゃんが届け出を後れて出した」ので四日遅れの誕生日になったのだそうだ。

 昔の役場の戸籍吏なんて一般市民の言うことなどあまり聞かなかったよう、戸籍法などと云う法律を頑固に守って届け出期間誕生後十四日間を守った所為だろう。

 正月六日などなんと暇な日なんだろう、昨日からすることなし新聞を読むともう暇になる、外は日が差しているが冷たい空っ風が吹き、大きな千切れ雲が東へ飛んでゆく、典型的な冬型の寒中日だ。

 倅は誕生祝は寿司を取らなくなったので何にしようかと言うが、あまり現代的なものはどうも合わないし出前もしないだろう、カツライスぐらいきり無いだろうと云う処、米寿の祝いは盛大にと云いたいところ、伊香保の仁泉亭あたりが良いかな。


正月四日坊主の年始日と云われたが 今は仕事始めのみか

2017-01-04 17:26:37 | 日記・エッセイ・コラム

 長いサラリーマン生活で四日と云うと仕事始めと毎年相場は決まっていたが、今は世の中が勝手気ままに動いているよう、お坊さんの年始回りもとんと見かけない昨今である。

  三日に満開となったシンビジューム

 今日は年末何回か首の回りが凝った様になり奈落に引き込まれるようなイヤーな気持ちになったので、これは内科か外科系か何処にしようかと迷ったが、しばらく前に老婦人に車をぶっけられて以来の物かと思い何時もの多賀谷整形へ、しかしスッゴイ混みよう昼過ぎてもまだ数十人が待合に、「これでは先生昼飯も食べられないだろう、午後又来るから」と断り帰宅、昼飯を食べ午睡を済ませて再度二時半過ぎに伺う、さすがこの時は先客二組小学生の骨折とお爺さんだけ、その内に徐々に増えて三時に十人以上か。

 これなら先生に相談できると呼ばれて、症状を説明体操が良いですよとの事「レントゲンを撮りましょう」と云われて終わり待合い室へ、再度呼ばれて「頸椎の椎間板がほらここは良いですがこことここはこんなに薄くなってますよ」と云われ今度は首のリハビリをすることに、ここで赤外線照射と牽引と通電をそれぞれ八分づつ行う、どの位の間隔で来たらいいかと聞いてみると、担当者は毎日でもいいですよ身体が空いてる時にドーゾとの事。

    牽引通電などの設備

 会計投薬を済ませて帰路へ、午後の上州路はまたまた名物空っ風が三国の山に雪を降らせたか、ビュウビュウと吹き荒れ始めた、明日は寒くなる今日は寒の入り寒いわけだ。


今日は三日 三が日も終わりだ、まとめて年始回り済ます

2017-01-03 17:23:27 | 日記・エッセイ・コラム

 歳を取ると年始回りが少なくなる三が日最後の日に昼を済ませて一回り、と出掛けるが姉ちゃんの家、家内の実家などくらいだ。

 ところが姉ちゃんが末娘の家に居るとの事でそちらに回り挨拶、お茶やコーヒーなどで歓待され娘夫婦を交えて歓談して帰ろうとしたが、同じ敷地内に孫娘が居宅を新築前々から見に来てと云われていたので、見ないで帰る訳には行かないと言うので見学させて貰う。

 なかなかコダックだが間取り設備をよく検討したそのうえ遊び心も十分あるつくり感心した、今の若者は良いなあとしみじみ思う、今もコメントした九十爺時代とは話題もあわないし「少年H」を読んでもそんな時代も在ったのか位だろうなと思う。

  出来た家 玄関シャンデリヤ

    その他

 十年一昔と云うが、我々昭和一桁族と家を建てようとしている若者とは四昔か五昔の話と言う事に成る、少年が学校で憲兵にぶん殴られた話など通じるわけがない、良く見せてもらい悪阻らしいので元気を付けて帰宅する。


平和な一日 のんびりと年賀状整理

2017-01-02 17:55:36 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日か一昨日かトルコのイスタンブールで越年パーテーのレストランで銃撃があり、死傷者七-八十人に上った様、中東の火薬庫と世紀をまたいで言われた処へ火を着けて仕舞った責任は大きいのでは、誰が付けたかは衆知の事実だろう、責任持てない事に手を出してはいけない理明の理だ。

 しかし今日正月二日は天気晴朗の風も弱い良い日だった、明日はなを気温も上がり良い日になるらしい年始回りでもするか。 

 その分今日は良いひだが遣る事もなく目の前にある年賀はがきを見ている内に、月一回行く整形外科医院からのハガキに気が付き早速プリント、追加分は昨日のうちに発送してあるのだが、遅れている家内の分と合わせて発送に向かう、さて何処のポストがと考えて茂呂郵便局へいってみる、やはり正解の様一日二回の集配で休日も午前の早い時間だ、良かった良かった明日は着くだろう。

 あとはテレビのお笑いを眺めて「アハッハー」で夕刻、ノンビリの一日だった。


明るい空静かな年明けだ 世界はそんなに見えないが

2017-01-01 16:44:18 | 日記・エッセイ・コラム

 明るい静かな元旦の朝だ、地球規模では中東は、ヨーロッパは、東アジアは、民主主義の推進者だったアメリカはと心配すれば切りが無い、原発をはじめ核の問題はいまだ終わり無きと言うか問題だ、世界の指導者は落としどころを持っているのだろうか、無いんだろうなー・・・  。

  元旦の東の空が輝いている

 家内の行事を済ませて雑煮を食べて菩提寺と地神様の飯玉神社へ初もうでに向かう、ちょうど本県を会場に恒例となっているニューイヤー駅伝とコースがダブる所があるので時間調整して出発、今日は孫の運転でである。

 お寺さんでは和尚さんが年始受けをテーブルを出してしている、お包みを出してご挨拶返礼のお返しを戴き本堂へ回る、ここで本尊様へ拝礼しようとしたが扉が閉まっている、お賽銭は要らなかったが何と無く白けた感じ。

  開いて居ない本堂  正面

 孫と「お参り出来なかったなあ」など云いながら飯玉神社へ、こちらは神社役員が社務所に詰めて一パイ入ったところの様、ここは扉があいていて紅白の幔幕も正面があいている、お賽銭を上げて拝礼鈴を鳴らしていると、町内担当役員がみかんを持って現れ手渡される、いつも暮れには神宮様と歳徳神様を持参してくれる、お手数をお掛けしている人たちだ。

  幔幕を回した社殿  飯玉神社全景

 我が家のささやかな初詣である、孫たちは軽く昼食後帰るという、娘と三人午後一時半頃出発今日は東北道で帰るそうだ、来たのは関越道で来たのだが高速に乗る時間が短いという孫の提案らしい、運転手の意向が最優先だろうから異議無しだろう。

 さすが元旦順調に着いたよう三時半ごろTELあり道路は空いていたとの事、早いモノだこちらは手持無沙汰で遣ることなし、さて明日からご年始回りでもやるか。