名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ケンジントン公園及びケンジントン宮殿の散策

2017-07-02 22:00:59 | 海外・旅行記

 6月19日、朝からケンジントン宮殿を目指しケンジントン公園を歩いた。
 ナイツブリッジのホテルを出て、地下鉄ナイツブリッジ駅前を通り、ケンジン
トン・ロードを西進し、途中でケンジントン公園内の歩道に移り西に進んだ。
しばらくするとアルバート公記念碑が現れ、さらに西進の後、右折してケンジン
トン宮殿に向かった。ケンジントン宮殿ではショップで土産を求め、次いで庭園を
観賞した。庭園はコンパクトにまとまっており、イギリスらしくいろいろな花が
彩りを添えていた。北にダイアナ・メモリアル・プレイグラウンドがあると表示
されていたので、そこに向かったが単なる遊園地のようであった。そこからUターン
し、宮殿前に広がるラウンド池を通り、ホテルに向けて帰り道を急いだ。

  ケンジントン宮殿は17世紀末ころから充実・強化され、近年ではプリンスオブ
ウェールズ夫妻(チャールズ&ダイアナ妃)の居室として使用され、2011年に
結婚したウィリアム王子とキャサリン妃と子供達、ジョージ王子とシャーロット
王女も現在宮殿の住人である。
 現在解放されているのは、マーガレット王女が住んでいたアパートメントの1A
の庭の部分である。

<個別写真> 

    

     

     

    

    以上

 

 

 

 


台湾(台北)の史跡

2017-01-24 08:18:33 | 海外・旅行記

 台北、香港、上海と旅行をして、中国の中、南部の雰囲気を味わった。また、植物の
写真も結構撮れた。バックナンバーを調べてみると、台北の記事を載せていないことが
判明した。昨年、載せようと準備したが、掲載を忘れていたようだ。上海を載せたので、
遅ればせながら、台北の史跡を巡る記事も載せることとします。2年前の記録です。

台北市を散策

 昨年(H28年)は2月6日に台湾の台南市方面で大きな地震が起き、倒壊した高層ビル
の人命救助で大変な騒ぎがあった記憶がある。(私の記憶はもう風化しかけている。)
 H27年に台北を旅行した後、植物などの自然観察をテーマにしたブログを掲載したが、
街の風景や歴史遺産や史跡、などは未掲載であった。
 旅行はH27年1月6日から8日までの2泊3日であった。初日は(独自に、地下鉄で)
植物園に出かけ、2日目は観光バスに乗って史跡や九分などの観光コースを巡った。3日目
は地下鉄(MRT)に乗って市内を散策し、孔子廟や総統府、また花博公園等を見て回った。
地下鉄はきれいで乗りやすかった。また、街の人々は親切で日本語のわかる老人も多く、
親近感の湧く感じの良い国だった。

 以上です。


上海市街の散策と雑感

2017-01-22 21:24:18 | 海外・旅行記

上海市街の散策と雑感

 且つて上海に在住した友人から聞いていた上海からはすごいところだと想像された
が、現在の上海は人民も明るく小ざっぱりとして、身なりは日本とあまり変わらない。
「何となくユニクロっぽいなー」という感じだ。日本の都市の方がもう少し良い物を
着た人が多いと感じる。
 地下鉄に乗ると老人席があるのだが、7,8割の人は老人無視でさっと席取りする。
それでも、1、2割の若者は席を譲ってくれる。日本とは割合が逆だ。国民性の違い
のようだ。要するに大昔から自分中心、大家族主義の国ということで基本は変わって
いない?と思われた。
 街は綺麗に整備され、心配したトイレも最新ビルには快適なものが多い。地下鉄は
最新式で綺麗だし、ビルや道路も最新式に整備されてきている。大衆的なレストラン
などではトイレの整備が行き届いていない。でも、この調子でいけば都市のインフラは
後10年もすれば、日本並みになるのではないかと期待される。それにしても大発展の
経過に感銘を受ける。勿論、都市規模は人口2500万人世界一で、名古屋市の10倍規模だ。
 今後も順調に、世界を騒がさずに発展していただけるとよいが・・?と希望する。

 さて、市内散策だが、初日は小雨のなか外灘を散策し、夕暮れの南京東路を散策
(銀ブラのようなもの)した。

 翌日(2日目)は地下鉄で黄浦江・外灘の対岸のビジネス街に出かけた。地下鉄を乗り
継ぎ、陸家嘴・駅で下車し、整備された歩道(車道の上)を通り、高層ビルの間を歩いた。
最初の目的地、森ビル(100階,450m展望階)2008築へ向かったが、周辺の高層ビルも
全て上の方は雲の中で、森ビルを探すのに手間取った。ガイドブック「地球の歩き方」
を見て、切符を買おうとしたのだが、ルールが変わっていて、かつ片言英語がなかなか
通じないため往生した。最上階は雲の中で何も見えなかったが、空いていてゆったりと
過ごすことができ、良かった。展示された風景写真を見て周囲を想像した。
 下に降りると昼になったのでレストラン街で中華料理を食べ、途中のファッションビル
をのぞいた後、次の植物園に向かった。

 3日目は豫園・庭園を見学の後、人民広場で地下鉄を降り、周辺を散策して雰囲気を
味わった。昨年開催された上海花博のモニュメントが残り、また戦争勝利のモニュメント
や広場等を見て、中華人民共和国の歴史を感じとることができた。
 この後、急ぎホテルに戻り身の回りを片付け、チェックアウトし、昼食をとって、
空港へ向かった。空港では、地下鉄から間違って第1空港に向かったため、気が付いて
第2空港に着くまでに30分以上ロスしてしまい、また、出国審査が長蛇の列で時間が
足りなくなり、土産物を買う時間が無くなってしまった。

 

上海旅行、雑感

 上海は北の北京に対して、南に上海、南京があるという感じだが、中原(北京、西安、洛陽)
と比べると歴史小説に出てくる割合が少ない。それでも、陳舜臣の「鄭成功、チンギスハーンの
一族」、佐伯泰英「伊那衆異聞」、宮城谷昌光「湖底の城」、北方謙三「岳飛伝」、辻政信
「潜航三千里」等にお話として、また生々しく上海周辺が登場する。これらの背景を思い描き
ながら、外灘を眺め、過去に思いを馳せる旅はなかなか面白かった。

以上。


パリの散策  --シャンゼリゼ通り、など--

2016-02-12 08:00:00 | 海外・旅行記

 イスラミックのテロと難民問題に揺れるパリだが、まだ静かだった5年前(2011)
に立寄り程度の散策をした。この時期はまだブログもやっていなかったので、整理
のつもりで登録させていただいた。

1)シャン・ブラ          

 シャンゼリゼ通りをショッピングしながらブラブラ歩くのを「シャン・ブラ」と
いうだろうか?辞書を引いても出てこない。「銀ブラ」は、ちゃんと出てくる。
 片言の英語をこねくり回しながら、何とかシャンゼリゼ通りを歩くことができた。
 ヴィトンの本店には25年前に一度、家族旅行で寄った気がするが、今回も
チャレンジした。私はベルトをカードで求め親切に応対してもらった。が、隣には
いかにも成金そうな中国人が200万円位の札ビラを切りながら応対を求めていた
が、店員は見向きもせず、貧乏人の我々を優先してくれた。
 次は高級カフェ(ホテルの1階テラス)でコーヒーを飲んだが、確か1600円位
だった。さらに、シャンゼリゼ通りをブラついたのち、ムール貝のワイン蒸し
ボールに山盛り)を食べに、地下鉄に乗り次の目的地に向かった。


2)エッフェル塔の夜景と電飾

 夕方、エッフェル塔を見学した。薄暮れの時点から待機し、夜空にエッフェル塔
がライトに浮かび上がる時刻を待った。丁度、点滅する光の電飾も見ることができ、
ラッキーであった。

3)街の風景
 スイスのローザンヌからパリへと乗ったTGV、バスで回った市内(車窓)、買物
や食事のための散策、などで撮影した写真をご覧ください。
 ラファイエット百貨店はドーム型の巨大な空間を有し、パリならではの贅沢な造り
に感動しました。オペラ座近くのムール貝の店はレオンと言い、ベルギー本店だが
パリに数店舗を開店しているようだ。

以下、個別の写真の一部を掲載します。

     

     

      

      

以上。

 

 

 

 


香港の旅

2016-01-09 23:05:46 | 海外・旅行記

 正月明けに3日間、香港に旅行した。妻のペニンシュラホテル宿泊願望に
合わせて、私は歴史確認のつもりで同行した。
 中国の一国二制度の下、香港特別行政区となっている香港とはどのような
国(所)かと興味をもっていた。行ってみて感じたのは、生活はイギリス統治
下とあまり変わっていないのではないかと想像された。即ち、ホテルやレスト
ランでは英語が通じ、街には40階から100階建てのビルが林立し、チップ
の習慣もそのまま残っているようだ。欧米人も多く、観光立国の国だと思った。
 怖いと思ったのは、地震がないので耐震対策がないのだそうだ。震度4の
地震が来るとほとんどの高層ビルは崩壊するらしい。東京23区の半分の面積
に750万人の人々が暮らすこの国はとにかく狭く感じた。
 ペニンシュラ・ホテルでは記念にアフタヌーンティを味わった。ザ・ロビー
では生演奏が演じられ、リッチな気分となった。22年前に出かけたロンドン
のフォートナムメイソンのアフタヌーンティーを思い出した。

以上です。


ロシア旅 -風景-

2015-04-18 23:14:12 | 海外・旅行記

4月12日から、ロマノフ王朝の歴史遺産を巡る旅に出かけた。行き先はST.ペテルブルグとモスクワである。成田からモスクワまで10時間、モスクワからST.ペテルブルグへは約1.5時間である。
まず、自然観察、庭園観察の視点で写真を掲示します。 <追記> 後半、モスクワの風景をメンテしました。H29.1





以上

<参考>ロマノフ王朝の歴史遺産  -登録:2015.4.20-
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/190b559fd17c032b5eea001ddabd7355