名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

世界・歴史遺産を訪ねて   13.シンガポール

2021-07-04 22:19:29 | 海外・歴史遺産 ー国別ー

 シンガポールは、非常に若い国(島国)といえる。14世紀頃まではどちらかというと海賊
の拠点になっていたとか? スマトラ島の王様が島に上陸したときに、トラが出てビックリし、
王様は間違えて「ライオンだー」と言ったらしい。サンスクリット語でライオンを「シンガー」
といい、街をプーラというので、英語読みで、シンガポールとなったとは、当時、シンガ
ポールに住んでいた友人から聞いた話だ。
 シンガポールは湿地の多い島だったが、英国・東インド会社のスマトラ副総督(1818年)
になったラッフルズ郷が交通の要衝に目をつけ、島の開発、整備に尽力し、現在のシンガ
ポールの基礎ができたようだ。
 その後、英国の植民地、第2次大戦の日本軍占領があり、戦後は英国植民地に戻った
が、民族独立運動の広がりの中、1959年に自治領となり、1963年にはマレーシア連邦として
独立した。が、1965年に連邦を脱退して、主権国家として独立し、現在に至っている。

 さて、シンガポールは若い国だけに、遺跡などの歴史遺産はない。近年、2015年に150年
以上の歴史を有するシンガポール植物園が世界遺産に登録された。
 実は、私は2回シンガポールに出かけた。最初は友人がシンガポールに在住で、誘われて
仲間とゴルフに出かけた。この時はゴルフと観光が目的だったが、2回目は相棒の植物観察
趣味に同行して、シンガポール植物園の散策を目的に出かけた。植物園の日本人ガイド
(ボランティア)と連絡を取って、案内を得た。植物園・観察記事は既に、このブログに登録
済みなので、末尾に示すアドレスをクリックして、ご覧いただきたい。
 
 ここでは、シンガポールのざっとした紹介をするが、最近できたガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
(植物園)、マリーナ・ベイ・サンズ(ホテル)などはまだ無かった時代である。一回目は2004年
二回目2009年に訪問した。

  

シンガポール植物園_1   登録: 2016.5.14   https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/e7325704fbf5a6dc948d2f76aee862a6

シンガポール植物園_2   登録: 2016.6.5  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/33316e711d89fe10ceeddd1670cd7cde

 

<参考> 次は、14.タイです。https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/8a196631e8d2b5db170780ab3980b8ff

 


世界・歴史遺産を訪ねて  12.トルコ、イラン、中央アジア

2021-07-04 11:54:00 | 海外・歴史遺産 ー国別ー

 実は、これらの国にはまだ出かけていない。インドを最後に、躊躇していたが、前に
進むために、訪問願望を記載して、記事を進めることとした。
 オスマントルコ帝国、ペルシャ帝国、チムール帝国などの歴史遺産、モンゴル(チン
ギスハン)の攻撃で崩壊したホラズム帝国の首都、サマルカンド、などの様子をこの目で
見てみたいが、コロナ禍の中、また政情不安な国があり、当面、近づけない。
 博学な皆様に紹介するような内容では無いが、避けて通るわけにもいかないので、
歴史書やインターネット上から写真を借りて投稿し、これらの国々や歴史遺産を偲び
ながら、パスすることとしたい。訪問願望を記事とすることをお許し願う。
 
1.イスタンブール /トルコ
  ボスポラス海峡を挟み、アジアとヨーロッパを結ぶこの地は東ローマ帝国の首都
(コンスタンチノープル)として栄え、その後、オスマントルコ帝国の首都(イスタンブール)
として栄えた。東ローマ帝国が持ち込んだキリスト教文化は、イスラム教(スンニ派)を信奉
するオスマントルコ帝国により、殆どがイスラム様式に変更されている。17世紀に強国と
なったオスマントルコ(スレイマン2世)はバルカン半島を制圧し、北上してウィーン包囲
を行い、ヨーロッパを震撼させた。

2.ペルシャ帝国 /イラン
 帝国としてのペルシャは、アケメネス朝ペルシャ(BC550~BC330)とササン朝ペルシャ
(AC226~AC651)が有名である。アケメネス朝はマケドニアのアレクサンダー大王に
滅ぼされ、ササン朝は7世紀に台頭してきたイスラム勢力に敗れた。現在のイランの基礎
はサファビー朝のアッバース1世(1588~1629)が築いたといわれる。イランは現在イスラム
教シーア派の盟主となっている。都市遺跡としてはペルセポリス、イスファハーンの遺跡
が有名である。

3.サマルカンド /ウズベキスタン
 シルクロードの要衝都市として栄え、ホラズム帝国(1077~1231)、チムール帝国(1370
~1507)の首都としても栄えた。ホラズム帝国はチンギスハーンの攻撃により瓦解した。
サマルカンドに現存する遺跡はチムール帝国時代の遺跡である。

 稚拙な願望で、恐縮でした。

<参考> 次は、13.シンガポールです。https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/ff80ab75ae1549c53469e9b739a4f360