名峰登山と草花

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古代遺跡を探る   -アテネのアクロポリス、パルテノン神殿-

2019-07-11 11:19:46 | 海外・歴史遺産の旅

 古代ギリシャが地中海世界に進出し活躍したのは、紀元前8世紀から紀元前1世紀頃までで、その後は 台頭したローマ帝国に覇権を委譲する。そして、ギリシャが集めた財宝はローマの権力者達によって 掠め取られ、また、コンスタンチノープルに設立された東ローマ帝国に持ち出されてしまう。   古代遺跡の探索記事は、ここでは6月5日のゼウス神殿から始める。

 6月6日は半日観光で、市内観光とパルテノン神殿とアクロポリス美術館を見て回る予定で出発したが、 アクシデントのため、シンタグマ警察署に被害届を提出し、その後、日本人ガイドの案内で、アクロポリス 博物を見て回り、半日ツアーを終了した。午後にパルテノン神殿を独自に見学したが、事前に博物館で 知識を得ていたので、納得いく見学ができた。午後一番は暑さが厳しかったが、ツアーの観光客が少なく 素晴らしいパルテノン神殿の景色を堪能することができた。  この神殿の柱はドーリア式で、円柱を積み上げるために、中心に穴が空いており、そこに、上に積む 円柱の突起を差し込んで、精密に真っ直ぐに積み上げていき、10数本を繋いで、円柱が完成するのだ そうである。  パルテノン神殿を堪能した跡、アクロポリスの展望台に立ち、アテネ市街を見下ろした。近くにはこの アクロポリスと同じ高さのリカヴィトスの丘が聳えており、山頂に立つ教会か修道院かの建物も見える。 このアクロポリスと共に、アテネ市のシンボルのように思われる。  パルテノン神殿を通り過ぎると、エレクティオン(宮殿)があり、博物館に展示されている女人像の柱を 見ることができる。

ここで、登録を区切ることにしました。次は「その2」を投稿します。

 

 遺跡探索と併せて、ザッと、歴史年表をお復習いしてみたい。建物や出土品の製作時期を考える 参考となる。

 ①BC2000年頃にはクレタ(ミノア)文明が台頭して、次いでBC800年頃には都市国家が形成される。    第1回オリンピックが開催されたのは、BC776年である。  ②BC550年頃から隣国ペルシャ帝国から侵略され、征服されるが、BC490年からBC478年にかけて    戦われた、第1次、第2次ペルシャ戦争にて勝利(サラミスの海戦にて勝利)し、ディロス同盟を結成    する。  ③BC432年にパルテノン神殿が完成する。このBC4世紀頃から都市国家ギリシャは全盛期となる。    BC431年~BC404年に、アテネとスパルタでペロポネソス戦争が戦われ、スパルタが勝利する。  ④BC338年にマケドニアの支配が開始され、BC334年にはアレクサンダー大王が東征に出発する。    BC322年にアレクサンダー大王の死去により、帝国は分裂する。  ⑤BC31年にはローマ帝国が地中海の国々を統一し、BC27年にギリシャは属州となる。  ⑥AD323年にローマ帝国の首都がビザンチンに移され、395年にローマ帝国は東西に分裂する。  ⑦1453年にはオスマントルコ帝国により東ローマ帝国は滅亡され、ギリシャはトルコの支配となる。    以降、18世紀までトルコの支配を受ける。  ⑧1821年にギリシャの独立戦争が勃発し、1830年に独立を達成し、1833年にギリシャ王国となる。  ⑨その後、第一次、第二次世界大戦をへて、1973年にはギリシャ共和国となり、1981年にはEUへ   加盟し、現在に至る。

 この年表から、ギリシャが都市国家としてBC8世紀ころに台頭し、BC27年にローマの属州になる 頃までが、都市国家としてのギリシャの活動が華やかな時期であり、BC4世紀~BC1世紀頃が ギリシャの全盛期であったと考えられる。    

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<参考>ギリシャ・古代遺跡を探る_2 https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/e428569bc9cd2ec8d6c7896146385907

 

 

 

 

 

 



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