日本シリーズ第5戦はローテーションの谷間の投手と見られていた山井大介選手が、あわやパーフェクト試合達成、そして育成選手として入団した中村紀洋(のりひろ)選手がMVP獲得というドラマティツクな盛り上がりで中日が圧勝に終わった。
私は隠れフォークス・フアン(それも不熱心な)でその試合も他の番組のコマーシャルの合間に覗く程度だったが、最後には離れられなくなって、最後の中村選手のお立ち台での涙のインタビューまで見て仕舞った。
山井選手はWikipediaによると、2002年から2006年はまでは平凡か鳴かず飛ばずの成績だったようだ。
2007年山本昌の不調からローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた。まれにみる巨人および阪神との優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗防御率3.00の好成績を上げ、自身初のセ・リーグの月間MVPを受賞した。
程度の選手だったのが、日本シリーズで8回までパーフェクトの素晴らしいピッチングをしていた。
それを落合監督が岩瀬投手を交代したのが、マスコミや他の監督やその経験者から非難を浴びる程の活躍だった。
[中村選手の略歴]
中村選手はネット上の情報を纏めて見ると、山井投手以上の波瀾万丈のプロ野球選手の生活を送ったようだ。
・91年にドラフト4位で近鉄に入団
・その間、本塁打王1回、打点王2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ5回、オールスター出場7回、オリンピック出場2回という選手として華やかな成績を上げた。
・03年に膝を痛めてから成績が下降気味になる。
・04年ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
・05年は開幕直後にメジャー昇格したが、再びマイナー落ち、メジャーに再び上がれなかった。
・同年日本球界に復帰、オリックスバファローズに入団したが打率低迷。
・06年球団と交渉決裂し自由契約となるが何処からも受け入れてくれる球団はなかった。
・07年落合さんから拾われて、中日のキャンプ中盤にテスト生として若手に交じって汗を流した。
・同年かっては年俸5億円の中村選手が400万円の育成選手として中日ドラゴンズに入団した。
・キャンプ後一軍に昇格
・彼の代名詞のフル・スイングから右打ちに徹する「勝利に貢献する野球」に徹してチームとファンの心を掴んだ。
・そのため腰痛や怪我などに悩まされながらも、彼自身も3割近い打率を上げた。
・日本シリーズにレギュラーとして出場、チームとしては53年ぶり、本人も始めての全国優勝、しかも、最高殊勲選手(MVP)に輝いた。
[中村選手へ]
彼は試合後のお立ち台でのインタビューで、涙と共に「いろいろな人に助けて頂いて、有り難うございます」と感謝の言葉を述べたあと両手で顔を覆った。
報道によると、優勝セレモニーのあとかれは「今のシーズンは本当にきつかった」、そして「一回リストラされた、でも自分を信じて精一杯やれば、結果を出せることを示したかった」、そして落合監督には「勝つ野球をもう一度勉強させて貰った」と感謝の言葉を述べたそうだ。
不熱心な野球ファンの私、それもフォークス・ファンの私は、スポーツ紙など殆ど見たことがなくて、近鉄、オリックス、中日での彼の言動や、彼に対する周囲の毀誉褒貶の反応など全く知らない。
然し、プロ野球選手としてどん底から這い上がって、日本シリーズでMVPに輝くまで頑張ってきた彼を素直にまた心から称賛してやりたい。
彼はもう34歳、故障だらけの体だ。
公平に言って今以上の成績を上げることはもう難しい事かも知れないし、それより下降線を辿るほうの確率の方が高いかも知れない。
然し、彼の不遇な時代の経験、そしてそれを克服してきた経験はきっと彼にとって野球以上のプラスになったことと思う。
本人は勿論、奥さんや3人のお嬢さんたちのためにも、健康に気をつけてこれからの野球生活や人生を楽しんで貰いたいものだ。
「おめでとう、中村紀洋選手」
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